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「サバサバサバイバル術」 #にじいろメガネ 連載(2024年5月号)

このポストは「アイユ」(公益財団法人 人権教育啓発推進センターの月刊誌)の連載からの転載です。諸事情により先方HPでの公開がなくなってしまったため、発行後にここで無料公開いたします。
試験的に投げ銭機能も設置していますが、全編が無料で公開されています。


渋谷区在任中は、卒論のためのインタビュー、ゼミの視察、ゲストスピーカーとしての登壇、事務方への研修など、区内外の大学と多くの接点がありました。ある時、デートDV等の性暴力被害者支援の件で、とある大学の保健福祉担当にお会いする機会がありました。現場リーダー格の女性で、年齢は30代後半位でしょうか、サバサバとした歯切れのいい口調で話されます。

会話の流れで渋谷区の性的マイノリティ施策の話題になると、突然彼女は眉をつり上げて「トランスジェンダーは病気だから許せるが、同性愛は(結婚したいと望むなんて)わがままだ」と強い口調で言いました。

私は呆気に取られつつ、医療者である彼女が、なぜ無知と偏見だらけの見解に至ったのか、怒りよりもその背景が気になりました。

日本で性的マイノリティの受容性に大きく影響する要素は、年齢/世代です。彼女の世代で明確に否定意見を表明するのは、珍しいケースです。

それまでの会話の中で、彼女は家族からパートナーがいるか常に詰問され、結婚していないことを親戚や親きょうだいからなじられ続け、職場においても同様にいじられ続けてきた、と笑いながら話していました。

もしかすると否定され続けた日々の中で自身の心を守るため、彼女は処世術として「結婚なんて気にしない、サバサバと超越した人間」を演じざるを得なくなったのかもしれません。

しかしながら、自分よりも哀れな存在として留飲を下げていた性的マイノリティが、権利を回復して自分を追い抜いていくことは耐え難く、「病気だから」と赦しを表明してみせ、「わがまま」呼ばわりで、自身の心の中の矛盾(本当はパートナーがいる人生も望んでいる)を癒いやそうとした、と推測しました。

サバサバ風を吹かす彼女も、因習的ジェンダーの被害者だと考えると、私はどうしても彼女を強く責める気になれず、私が当事者であると伝えることも、発言を指摘することもなく、訪問は終了しました。

先日、ある大学で登壇した時「親友に当事者がいるが、父親が家で事あるごとに『LGBTQはキモい』と言うので、毎日心がえぐられて辛い」という相談をもらったことがあります。

最近は、「友人に性的マイノリティ当事者がいる」立場から意見を寄せてくれる学生が増えてきたように感じます。性的マイノリティの生きづらさを自分ごとに捉え、板挟みに苦しみつつも、誰もジェンダーやセクシュアリティで差別されない未来を願っている、そんな若者が日本でも増えつつあることは、私にとって希望の光です。

【参考】同性愛は、WHOが策定する国際疾病分類「ICD10(1990年採択)」において非病理化され、外れました。また、性同一性症障害/性別違和についても「ICD11(2019年採択)」において非病理化(別分類へ移行)されました。

「トランスジェンダーの医療に関する課題と最新情報」
https://www.center-mie.or.jp/frente/data/zemi/topic/138

三重県男女共同参画センター・フレンテみえ

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