失敗が許される仕事と、そうでない仕事
前置き
今回のお話はあくまで僕が経験してきたこと、感じてきたことにまつわる「価値観」なので、受け取り方によっては批判的な感情が芽生えたり、もしかしたら怒りを覚える方もいらっしゃるかもしれません。なので、念頭にその辺りをご留意いただき「こいつおかしい!間違ってる!」と思ったら「価値観の相違」とご理解頂ければと思います。
前置きはさておき(次もちょっと前置きだけど)、かつての僕は、どんな小さな自分の失敗にもビクビクするとても小心者なサラリーマンでした。
学生時代も、宿題をやらなかった翌日は登校時ずっとビクビクしていました。「それなら宿題やれよ!笑」ってなるでしょうけど、やらなかったこともあるのは、それ以上に楽しい何かがあったり、実は図太かったのかもしれません。
さて、サラリーマン初期の話に戻すと「とにかくどんな小さな失敗もしてはいけない」と思っていたのです。社会に出て働く以上はその時点で「プロ」であり「100点で当然!」、そう当時の先輩方からも厳しく言われました。
しかし、段々と価値観が変わっていきました。
医療業界での例
切欠は上司不在時に、同僚のNさんと2人で仕事をしていた時のこと。
(Nさんについては「過去の凄い同僚達1」でも紹介させていただいているのでよろしければどうぞ。)
とある失敗をしてしまい、上司は不在だし「どうしよう?どうしよう?💦」とうろたえている僕にNさんは、
リュウさん、その失敗で誰かが死にますか?
の一言。
その言葉で焦る僕は冷静さを取り戻し、ハッとし「ああ、さすがに死人は出ないわぁ。」ということで少し心が救われました。
もちろん、次の日上司からは叱られました(笑)
ちなみに「人が死ぬか?死なないか?」は極論なのですが、当時僕が居た業界は「医療業界」。許される失敗と、許されない失敗という意味では、文字通り「人が死ぬ(もしくはそのレベルの危機にさらされる)失敗」はやはり許されませんでした。
会議などでは稀にですが「人が死ぬかもしれないんだぞ!」というドラマのような怒号が飛ぶこともありました。
自己紹介に書いた、2社目と3社目が「医療業界」でしたので、その言葉は良くも悪くも深く刺さりました。ただ滅多な失敗では「人が死ぬ」ことはないなということも胸に刻み、どうしても失敗が続いてしまったりして、地の底まで気持ちが凹んだときは時は、今でもこの言葉を思い出すことにしています。「その失敗で誰かが死ぬ?」
大事なことは「許される失敗」であった場合も、そこから何かを学び、成長に繋げること。万が一「許されない失敗」をしてしまった場合でも、そこからの学び、成長することはもちろん大事ですね。
ただ小さな失敗にもビクビクしている僕にとって当時のNさんは本当にたくさんの「救い」になる言葉をくれた神のような存在でした。当然、Nさんも僕同様に失敗をすることはあったのですが、それを乗り越えてきたのはそういったマインドを持っていたからなのでしょう。ただやはり自分で自分を責めてしまっているときも(お互い)あったので、そんなときは「今日仕事終わったら五右衛門行こうぜ!」と会社近くの和風パスタ屋によく行っていました🍝
WEB業界での例
次は少し話が変わって、僕のもう1つのルーツである「WEB業界」の話。
小さな失敗にもビクビクしている僕がとある時期に気付いたことがあります。「WEBサイトってあとからでも修正が利くから、間違えても直せばOKじゃん!」ということ。
だからと言って失敗をして良いというわけではないのですが…当時「WEBサイトの更新」と「メルマガをお客さんに配信する」業務を掛け持ちしていた際、後者は1度送ってしまったら取り返しがつかないことを知っていたので、何度も校正し、校正用の時間もスケジュールの中にしっかりと組み込んでいました。
WEBサイトの更新ももちろん校正はするのですが、間違ってはいけない優先度としては、メルマガ配信>WEBサイトの更新という図式でした。
そんな中やはりというかメルマガ配信の業務で誤情報を配信してしまったことが、1回ではなく数回ありました…。
そんな時、当時の上司Sさんが言っていたのが、
そういう時は『ごめんなさいメール』すればいいんだよ。大丈夫大丈夫!
と励ましのような、救いになる言葉をくれました。
なんらかのメルマガを受信している方であれば、何度は経験があるであろう「お詫びと訂正のメール」、アレです。
もちろんカッコいいもんではないし、受信したお客さんからは「しっかり校正しろよ」と思われることでしょう。でも、クレームが来たことは1度もありませんでした。
その時学びとして思ったのは、お客さんよりも先に自分たちで見つけ、速攻でお詫びのメールを出すことが大事だったなということです。配信前も校正するのですが「人は間違う生き物」という前提の考えを、優秀なマネージャーの方(マネージャーでなくとも)は持っています。なので配信前はもちろんのことですが「人は間違う生き物」なので、配信後の校正こそがより大事なのです。ちなみに当時いた会社は、お客さんに送ると同時に社内にも送ることで、第二次校正体制を敷いていました。
ちなみに上司のSさんも配信前の「最終校正メンバー」に入っていたので、Kさん自身を守る言葉でもあったのが、ちょっと面白いな(笑)と当時思ったりしていました。
その後ですが、上司のSさんが会社を去り、僕が「最終校正メンバー」になりました。当然僕の性質である「どんな小さい失敗にもビクビクする」はこの時も完全には治っていなかったので、メルマガ配信前の校正は鬼の形相でやっていたと思います(笑)なので、自分が知る限りでは誤情報の配信はなかったのですが…もししてしまったとしても、冷静に「ごめんなさいメール」のオペレーションを回せていたと思います。
なので、もう1つの学びとしては「失敗から如何にリカバリするか?」ということですね。
ちなみにWEBサイトの更新の方は優先度低いと書きましたが、例えば1日100万ページビューあるWEBサイトの場合、更新した瞬間に何万人ものユーザーさんが見に来ることが想定され、メルマガ配信とほぼ同じぐらい影響があるため、WEBサイトの規模によっては「後から直せばOK」ともいかず、事前の校正に力を入れなければなりません。でもね、大手サイトでもやっぱりよくちょっとやそっとの誤字はよく見かます(笑)なのでその失敗で「人が死ぬ」でなければ、後からでも直せば良いと僕は思うのです。
ただたまにWEBサイトで誤字を見つけ、1年後とかに再度そのサイトを訪問してまだ直っていなかったりすると「ああ、ここの担当者はこのWEBサイトに対する愛が足りないんだな…」なんて思っちゃうこともありました(笑)
文章について大切なこと
そうそう、池松 潤さんという方の最近のつぶやきでも「文章」について大切なことが書かれていましたので一部引用させて頂きます。
つまり書いたら書きっぱなしは成長しない
誤字とか言い回しとかnoteとかblogは後から直せる
書き終わったら読み直してupしたら読み直して
その後、時間をかけて読み直して熟成させればいいと思う
該当の元ツイートはこちら。
https://twitter.com/jun_ikematsu/status/1373426536745897986?s=20
僕も今回こんなことを書いておきながら、自分が投稿した文章に誤字があることは多々あります。Twitterは後から直す機能がないので、見直して自分で見つけた時は密かに赤面しています(*ノωノ)
140文字の文章でもやはり「人は間違う生き物」を実感させられたことが何度もあります💦
そして今回の記事も恐らく誤字の1つや2つはあるんではないかと思います(笑)投稿ボタンを押す前に2~3回は見直しているし、投稿後に2度3度と見直すのですが…その都度誤字だけでなく表現がちょっと変な箇所に出会います。そんな時は過去の自分に対し「よう!またやってるな(笑)」と語り掛け「編集」ボタンを僕は押すのです👆
noteとかblog系は基本1人作成、1人校正なので、なかなかその辺りの個性も出るんですよね。
よそ様の記事については、コメント欄で、文章の内容ではなくちょっとした誤字だけを指摘するのも無粋かなーなんて思い、見つけた場合は作成者さんが自分で気付いてくれることを願っています。(理想は、誤字は勝手に自己解釈した上で、感想のコメントをしつつ、最後に「あ、ここ誤字ってましたよー」みたいなのが優し目かな?😊まぁ、自己解釈できたなら指摘自体不要かもしれないけれども…)
追伸
医療業界が長かったので…
・なおす(治す>直す)
・じゅしん(受診>受信)
・いか(医科>如何)
という風に第一候補で変換されちゃうので、
その都度「えいや!えいや!」と直しています。
今回の記事ではこの辺りの単語は大丈夫だよね??
(他に誤字が内科…じゃなくてないかは今見直してます。)