【伊達女】 見据える未来と曲げぬ覚悟
伊達女
PHP研究所 2020年11月6日 刊行予定
佐藤巖太郎
NetGalley様よりゲラを頂き、読了いたしました。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といえば戦国時代に覇権を握った男ですが、あと10年生まれるのが早ければこの3人の運命はどうなっていたのだろうかと思わせるのが、独眼竜と呼ばれた伊達政宗でしょう。
歴史に「もしも・・・」は存在しませんので、無駄な論争となりますが、やはり考えずにはいられない。
そんな政宗であっても、一人では何も成し遂げることはできません。
有能な家臣はもちろん、己の本拠地で奔走してくれる家族がいてこそ、政宗も安心して動けるというものです。
本作は、そんな政宗に関わった女性に焦点を当て、短編連作という形でストーリーが進行します。
収録されている短編は5本。
それぞれが別の女性に焦点をあててはいるが、共通しているのは政宗に関係する女性ということ。話そのものは1本目から5本目まで時間の流れと同様に進んでいくので、素直に1本目から読むのがよさそう。
敢えて1本を選ぶとすれば、3本目の片倉喜多の話がよかった。
伊達政宗を語る場合に、必ずといっていいほど名前の出てくる男が、政宗の右腕ともいえる片倉小十郎景綱。喜多はこの小十郎の姉であり、政宗の保姆(養育係)という立場にあった。
作品のタイトルとなっている「伊達女」とは「粋な女」という意味だそうですが、この片倉喜多に合わせれば、見た目だけの粋ではなく、心に折れない信念を持った内面の美も含まれているのではないだろうか。喜多は結婚はしていないが、相手がいなかったわけではなく、小十郎と政宗を育て導くという、己に課せられた責に向かい合い応えた結果であるといえる。
作中で喜多のとった行動というのは、伊達家のことを考えれば正解だったのだろう。ただ、政宗がそこに気が付かないほど盲目になっていたのだろうか。喜多もそこについては淡い期待もあったかもしれないが、体面としてやはりその判断はできなかったに違いない。
伊達家という、大きな集団の将来を考え、喜多という個は犠牲になる。それも自発的な意思によって。おそらく、現代の私たちから見れば不幸な出来事に感じるかもしれないが、喜多にそのような感情があったのだろうか。今となっては知ることはできないが、政宗の存在感を聞くたびに、自分の判断は間違っていなかったと安心していたのではないだろうか。
喜多の話に限らずこの作品は、戦国時代という「男」が主体の時代に対し、真正面から立ち向かい、乗り越えようとした「女」の側から見た話なのだろう。
タイトルの伊達女とは、信念を持った女性とは、そんなことを全面に出さずとも読み手に感じさせる作品でした。