【約束の果て 黒と紫の国】 神の物語を人間が紡ぐ
約束の果て 黒と紫の国
新潮社 2020年9月4日(kindle)
高丘哲次(たかおか てつじ)
この作品は、#読者による文学賞2020の推薦作品です。
私は二次選考を担当いたしましたので、読者による文学賞のHPに、読書感想文とはちょっと異なる「選評」なるものを書いております。
偉そうに書けるほど文学に精通しているわけではありませんが、そちらもリンクを貼っておきますので読んでいただけるとありがたいです。
読者による文学賞のHPはこちらです。
日本ファンタジーノベル大賞2019を受賞した作品で、作者のデビュー作だそうです。
あまりそういった情報を知りたくなかったのですが、amazonで購入する際に知ってしまいました。。。
先入観無く読めればいいのですが、なかなかそううまくいかないものです。
読み始めて最初に思ったことは、なかなか読みにくいってことでした。これ、本作を読んだ方の多くが感じたことじゃないかな。
その原因は漢字。
ストーリーの中で中国っぽい名前が出てくることからもわかるように、はっきりとそう書かれているわけではありませんが、おそらく中国が舞台となる作品なのでしょう。もしくは、中国をイメージした世界観ですね。
そうである限り、人名や地名、国名には漢字がふんだんに使われるわけで、またその漢字が普段私たちが使っている漢字とは異なるものばかりで。
これ、世界観や雰囲気を作り上げるためには必要なことなのかもしれませんが、それが原因で読むことをやめてしまった方もそれなりにいらっしゃるかもしれません。
名前の読み方は振り仮名に頼ることになるんですけど、ページが進むうちに読み方を忘れてしまう。振り仮名のあるページまで戻って読み方を悪人する。納得する。読み進める。読めない漢字にぶつかる。振り仮名を探す。
つらい!w
いや、私の覚えの悪さが問題なのかもしれませんけど。
さて、この作品の最大の特徴となるのは、異なる3つのストーリーが交互に進行することでしょう。
ストーリーの始まりのきっかけとなる「青銅器」に書かれていた歴史に残されていない国家である「壙」と「ジ南」に関わる謎を解いていくために、考古学者の梁と梁から謎解きを引き継いだ田辺が行動する、時間軸が現代のパート。
この現代パートで、謎の2国についての手がかりとなりそうな書物が2冊出てきます。
それが、この作品で描かれる残りのパートとなります。
つまり、現代パートでは失われた国の歴史を探し出すため、ある書物を読み進めていくのですが、その書物の内容が残りのパートとして書かれます。
うーん、わかりにくいですね。
私たちは「約束の果て」という作品を読んでいるのですが、その作品を読む中で全く別の作品を2つ読んでいくことで、「約束の果て」という作品のストーリーが進んでいく、といった感じで理解してもらえるでしょうか。
言葉で説明するのって、本当に難しいですね。
さて、その2つの作品には、当たり前ですが作品のタイトルがつけられています。
南朱列国演義(なんしゅれっこくえんぎ)
歴世神王拾記(れきせいしんのうじゅうき)
南朱列国演義は、編者不明の歴史書とされているが、収められている物語の多くが南朱地方で古くから講談として受け継がれてきたもので、実際のところは「小説」という位置づけである。
歴世神王拾記は、伍州に存在していたとされる聖王についてかかれた伝記とされている。歴史書とは言えず、奇書の類とされており、さらには地方の伝承や神話等を盛り込まれた版すら存在するような書物である。
小説や奇書ということからも推測できるように、どちらの書物も歴史書ではなく「虚構の産物」と位置づけされている書物なのです。
しかも、壙とジ南という国名が書かれた書物は、あらゆる書物を探してもこの2冊しか存在しないため、壙とジ南という国の存在はいよいよ怪しくなっている。
しかし、梁は青銅器を所持している。壙とジ南という国に関する情報が見つからないとはいえ、青銅器はこの世のものとして存在しているのである。
それでは偽物か、というとそうとも言い切れず、先進的な発掘を行う者でさえ、青銅器の制作時記はかなり古い時代まで遡れるとしている、
さて、ここまで読めば気になるのは壙とジ南は実在した国なのか?ということになるでしょう。読み手である私たちと同様に、梁と梁の想いを継承した田辺も同様に考えます。
田辺の物語中での役割は、ストーリーを進めることです。
田辺が2冊の書物を読み、その場所と思われるところへ移動し、そこで何が起きたのかを確かめる。私たち読み手は、田辺の行動を見守ることで、壙とジ南という今はまだ未知の国で起きた出来事を知り、その2つの国が実在したのかどうかを確かめることができる。
南朱列国演義も歴世神王拾記も単一の作品と考えても素晴らしい内容で、本作は1つの物語としても面白い作品でありながら、作中に書かれている2つの作品も同時に楽しめるという、非常に希有な作品なのかもしれません。
西遊記の主役である三蔵法師は実在の人物とされていますが、西遊記に出てくる悟空たち妖怪は、おそらくフィクションとして作られた存在でしょう。ですが、その事実が見つからなかっただけで、実際はフィクションではなく事実だったとすれば・・・?
本作にも神のような存在が出てきます。
超常の力を持った生物も出てきます。
ただし、それは現代では存在せず、2冊の書物の中でのみ躍動してします。
しかし、西遊記と同様に、現実に存在しないという理由だけで、フィクションと断ずる行為は青銅器という実体を持った謎の出土品がある以上、時期尚早であるかもしれないのです。
読んでいるうちに、漢字のことは気にならなくなりました。たしかに漢字の読み方に困ることはあるのですが、それよりも先を読みたいという気持ちの方が強いのです。
素晴らしい作品の持つ力なのでしょうね。
※ジ南という国名は、当然漢字があてられているのですが、その漢字がどうやっても変換できなかったので、カタカナで書かせていただきました。
それでは、ここからは触れてこなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
いや、面白い作品でした。
西遊記のような、史実と創作が混ざり合ったような作品で、過去の風景に想いを馳せることの楽しさを思い出しました。
聞いたこともない、見たこともない壙やジ南という架空の国家を舞台に、人間や亜人間、神と呼ばれる超常の力を持つ者。そうした、私たちが生きている世界には無いものを、過去に存在しているかのように楽しめる作品というのは、読んでいて楽しいものです。
序盤は突然南朱列国演義の話に飛んだり、にたような世界の歴世神王拾記に飛んだりと、ちょっと読みにくいとも感じましたが、慣れてしまえばそのテンポも心地よく、ある程度の文章量で場面が切り替わるので、さくさくと読めるんではないでしょうか。
主役は、螞九と瑤花ということになるのでしょうね。もちろん、梁も田辺も主人公と言えるでしょうし、真气と瑤花も主人公と言えますが、やはり作品の始まりにして全編に影響を与える存在である螞九と瑤花が主軸となるのでしょう。
実際に、螞九は螞帝として後の世に影響を与えておりますし、瑤花は記憶を持ち続けることで初代と同一であるとも言えますからね。
さて、それぞれの物語を見ていきましょうか。
まず、梁と田辺の現代パートですね。
ストリーテラーのように、作中ではそれほど重要な存在ではなく、淡々と物語を読み進めるという役割をこなすのかと思いましたが、全くそんなことはなかった。
田辺がいたからこそ、青銅器は長い長い5000年という時を越えてジ南にたどり着くことができたのだから。
色とりどりの花園の中で一際強い香りを放つ菫。
瑤花が大蟒蛇と対峙したときに、瑤花の心を表すかのように強い香りで大蟒蛇を包み込んだ菫。
その菫が咲き誇る地に、瑤花の化身とも言える菫の花園に、田辺は螞九を連れてきてくれたのだ。
青銅器に込められた想いとして。
螞九の最後を、螞帝の最後を書物で知ったからには、その想いを汲んであげることができるのは、現代に生きる者として当然の行動だったのかもしれない。
それが田辺の意志の元で行われた行動だったのかどうかはわからない。
螞九と螞帝のことを考えれば、青銅器に込められた想いで、言い換えれば青銅器に残された力の残滓で、田辺を操ったのではないか。そう考えてしまう程に、螞九の想いは純粋で強い想いだった。
梁の願いから始まり田辺へと紡がれた歴史の結末は、小説と奇書という歴史書とするにはあまりにもかけ離れた書物の中の物語に繋がり、書物の続きを現代に蘇らせることとなった。
それは、あらゆる歴史の発見や、新しい古代の定義などとは比べものにならないくらい、遙かに難しいことであるし、現実離れと感じる現実だっただろう。
次は、南朱列国演義について。
通俗的な小説とされるこの書物は、結果的に過去に起こった出来事を記していた正しい「歴史書」であったと断言できるだろう。
ただし、それは万人には受け入れられることのない事実であることは認めざるをえない。この歴史は、歴史の中に生きた人間、亜人間、神の眷属たちと、青銅器に書かれた国を探したい田辺にのみ姿を見せてくれたのではないか。
南朱列国演義の最大の魅力は異才を持つ者たちの戦いだろう。
本作において、ファンタジー要素を見せつけてくれるパートではあるが、その展開は私たち読み手の想像を越えてくるからたまらない。
目を閉じている真气が物語の中心にいるため、風景やジ南がどのような国であるのかについて詳細が伏せられたまま物語は進行するが、ここで情報を伏せていたことで、終盤に読み手はジ南という国が識人が集まって作られた国であることを理解することになる。
もちろん、読みながら普通とは違う人間がいるなぁってのは何となく感じるんだけど、はっきりと名言されていないことが確信へと至らせない。
豪鳳が蜂の識人だと知ったときには、あぁだからか!と納得したもんです。
そりゃ、どう考えても人間の移動スピードじゃなかったもんね。
やたら声が小さいとか、見つかりにくいとか、最初から蜂の識人と言われてしまえばそこまで感銘を受けなかったと思うけど、情報を伏せてくれたおかげで終盤に生きてきた。いや、すごい。
歴世神王拾記で語られた戦いによって識人は滅ぼされたと思っていたが、南朱列国演義に瑤花がでてきたときに、そうだといいなっていう期待に見事に応えるかのように、識人が生き残り、しかも国家を成していたという展開は、なかなか胸が熱くなるものでした。
また、最後の戦いにおいて、どこまでも描かれたのは、螞九の一途な純粋な想い。
遙か昔に螞九と瑤花が交わした約束。
この約束が果たされるまでに、5000年という時間が必要だったわけだけど、現代パートの梁や田辺がどんな歴史書にも記録されていない壙とジ南という国の存在を信じ、唯一の手がかりである歴世神王拾記と南朱列国演義という書物の存在に気がついたからこそ、歴史に残されなかった真実は歴史の流れの中に入ることができたんだね。
ほんと、胸が熱くなる。
悠久の時を越えたボーイ・ミーツ・ガール。
最後は歴世神王拾記だけど、この物語は全ての始まりの説明だね。
私たち人間とは別に、神の力を受け継いだ識人という者たちが存在したこと。その識人たちは、人間と混じらずに生きてきたこと。
そして、愚かな人間のために滅亡したこと。
その中でも最も重要なことは、螞九という名前の識人は、青銅器の首飾りを奪われ、43、201の肉片を削り取られ頭のみの存在となって緩慢な死を迎えたこと。
もう、本作の土台となる全てがこの歴世神王拾記に詰まってる。
最初の物語としては申し分のない出来じゃないかな。
物語のあちこちにキーとなる出来事が散りばめられていて、読み進めていくと「あぁ!」とか「それかぁ」とか、感嘆符が次々とでてきちゃう。
肉片の数もそうだし、頭だけになるのもそう。想いの強さもそうだし、真っ直ぐに生きていくことなんかもそうだね。
螞九という、登場時はぱっとしない男が、外の世界を知り、弓という道具と出会い、誰かのために努力し、自分の場所を作っていく過程は、まさに少年が青年へと成長する様であるし、その中で出会った少女に一途な想いを抱くというのも成長の証なのでしょう。
ただ、花冠を渡してしまうシーンだけは、理解はできるけど渡さないでほしかったかな。もちろん、渡さないとこの作品が成立しないので言ってもしょうがないのですが、外の世界を知ったばかりの螞九には人間の負の部分までは疑うことすらなかったのでしょうね。
おそらく禺奇はこのチャンスをずっと待っていたのでしょう。自分たちとは異なる次元で生きている識人のテリトリーを奪うためには、何かしら識人の「モノ」で自分も識人と近しい存在になる必要がある。しかし、識人たちは交換品に一般的な酒や鉱石しか持ってこない。それはしょうがない。自分の作ったもの、気持ちや想いが込められたものを人間に渡してしまえば、自分たちのテリトリーに踏み込まれる可能性がある。それだけは防がねばならない。
それを螞九はやってしまった。
知らないとはいえ、やってしまった。
外の世界を知らなかった、人を疑うということすら考えなかった、そんな螞九に目を付けた禺奇の目利きをほめるべきか。商人の本質を見抜く力のすごさをまざまざと感じた、そんな取引でしょう。
全体としては、物語としては完成度の高い作品である、と簡単にまとめることもできるのでしょうが、この作品が素晴らしいのは単純な面白さは勿論、ボーイ・ミーツ・ガールという、まだ大人になりきれていない淡い恋心、最近の少年マンガのような派手で豪快な戦闘シーン、そして神の物語を人間が完成させるという壮大さ。
螞九が届けたかった青銅器は、わずかな距離を越えることができず、青銅器は本来の届け先に届かぬまま長い年月を眠ることになったしまった。
そのわずかな距離を、人間という最も神から遠い存在が、少ない記録を頼りにたどり着いた。その時間は5000年。
ちょっとだけ、表紙で損をしてるかなとは思いました。
非難するわけじゃなくて、この作品の表紙を見れば、ここまで壮大な作品とはなかなか気がつかず、手にとってもらう機会も減ってしまうのかな、と。
そのぐらい、表紙やタイトルは書店で本を売るときには重要で、表紙がちょっとアニメやマンガ寄りになっているだけで手にとってもらえないということが、自分の経験上ありました。
本当に面白い作品だったので、多くの方に届くことを願います。