ムカついたあのときのワンシーンを思い返すことが明日の自分の栄養剤
学生の頃はまるでなかったけど、
社会人の年齢に足を踏み入れると、新しいことをしようとすると割と応援されないなーという感覚がある
今まで普通に感じてなかっただけなのかもだけど、
「まあ頑張って、応援してる。」みたいに口ではいいつつも、
冷ややかな目で見てる感じも伝わり、興味がないんだろうというのも感じるけど、お前に何ができんだという奥底の本音とかも少なからずあるんだろうか
直接的に批判とかは全然ないしあまり多くの人からそういう風に感じたとかもない
でもときたまポロッと口にすると、
相手の目の色が変わって「お前が?」みたいな風に感じたり
考えすぎなのかなーと思いつつも、
正解のない荒波の中で小さなイカダに乗っているようなやつが今から世界一の秘宝目指す!って言ってるやつを見ると、僕もたしかに滑稽だなと見てしまう部分がある
これが社会というものなのかなと思いつつ、自分にも全然そういう風に人を見てる部分もあるので、社会云々というよりそういうことなんだろう
誰しもが今の自分を肯定したいし、自分のポジションや方向性を正解だと思いたい
マジョリティの選択肢を取ることによって周りからの承認を得られ、少しばかし正解なのかも?と思い込み、あれなんか違う…、マイノリティの選択肢、無理だった→マジョリティの選択肢…と、ループに陥る
周りからはほらなと言われ、人はポジションを守りたがる
それもそのはずで、
悪い人など誰もいなく、人の人生に責任取れるほど余裕あるやつなんてそうそういないしたぶん親とかそんぐらいのレベル
特に深く考えずに、
今までの関係値となんとなくの、表層的な部分だけで判断し、反射的に言葉を発しているのだろう
だいたいそんなもん
という前提については、頭で分かってるけど、気持ちではバチバチムカついてたりするわけなので、
こいつのことまじで見返して最終雇ったんねんぐらいまでのふつふつとしたものが毎日毎日湧いてきたりする
なめんなよくそが!って思うけどそれなりの結果は微塵も出てないので、まだまだこの苛立ちが活力になりそうで
周囲の期待の中生きることはとても居心地がよく、ある種気持ち的な正解があるから、選択も悪いとは思いづらい
けども、期待と逸れた行動をして、おかしな選択をすること
それによって少し冷やな目がくることにシンプルびびりつつも
たまにゾクッとしたり、快感になったり、さらっと否定された瞬間はうっ…てなるけどまあ見とけよくそったれとすぐに転換できるようになった
自分も割と一歩踏み出した感じがあるなーということで今日は閉店
また営業時間まで