あの人のInstagramはもう更新されない。
こんにちは、ちゃんりゅーです。
月が欠けるそんな夜更け。
空に浮かぶ綺麗な光たちを今まで何度眺めてきたのでしょう。ここ最近になって夜空を見ながら物思いにふける時間が増えました。
卒業式を終えた友人たちは別れを惜しみながらまた新たな一歩を踏みだしていく。彼らのInstagramの投稿を見ながら想起する四年間。
自分が過ごしてきた今までの学校での記憶が感情を擽らせます。
バカをして死ぬほど笑いながら遊んだ楽しさ、会う頻度が徐々に少なくなっていく寂しさ、周りとは違う自分の選んだ道への迷い、
いくつもの思いが胸を駆け巡って情緒がごちゃごちゃになりながらも、己を信じてやるしかないなと心に誓いまくる日々が3月に入って毎日続いています。
より強く鮮明に、なにもなかったようでいっぱいあった今までの大学生活。
また夜を過ごしていると少し語りたくなったので、僕の学生の間でお世話になった人の話をさせてください。
僕は現在学生の身分でふらふらしているのですが、大学入学当初、"大学生"という人種に大きな偏見がありました。
というのも、入学前に僕は「大学生活はより充実して!英語も勉強して!」と漠然と意識の高いことを考えてたんですよね。
華やかなキャンパスライフ、
大人としての振る舞い、
より専門的な学問、
入学前の大学への僕の勝手な想像がこんな感じです。
しかしいざ入ってみると、
派手な髪色をした男性、
異性との交流に慣れた女性、
マナー違反の授業態度、
当時の僕の期待とリアルでのギャップが凄まじかった。
そんな大学生の”いつも”の光景を目の当たりにして、
「あ、大学生ってこんなもんなんだ」と我に返った記憶があります。(今になって大学は能動的に動かなきゃいけない場所だったんだなと分かりました)
まぁでも、郷に入れば郷に従え。
良いように言いましたが、大学生序盤の僕はとびきり流されやすい性格で、意識高いことなんか一瞬で忘れて、「大学がこんなもんだったらまあいっか」ぐらいでとりあえず大学生が加入しがちの「サークル」というものに入りました。
サークルの中にはイケイケで飲み会ばっかのものだったり、本気で活動に打ち込んでいるところだったり、なにやってるかよくわかんないのがあったりとタイプはいろいろあり、
僕はあんまり「ウェーイ!」みたいな雰囲気には馴染み辛かったので、友人の誘いでゆるーくバスケを楽しめるバスケットボールサークルに加入を決意。
このサークルに入ったことが、僕の大学での充実度が変わったと同時に一つの後悔を生み出すことになります。
ゆるーくバスケを楽しむサークルだったのですが、なにぶん僕は高校時代からバスケをやっていたものの今までいい記憶がなくてバスケ自体はあんまり好きじゃなかったんですよね。
なので、必然的にサークルの活動にはあまり参加せずに飲み会やイベント、合宿に参加するだけで、本命のバスケに打ち込むことはありませんでした。
あんまり積極的に参加していなかったのにも関わらず、同期のサークル仲間もプライベートと普通に遊ぶぐらいめちゃくちゃ親しい友人になったんです。(もう本当に仲良くて、昨日とかそのサークルの友人と朝まで酒も無しに語り合うぐらいまぶい関係になってます)
年に数回、しかも飲み会とかでしか顔を出さない僕に、めちゃくちゃよくしてくれるサークルの人たち。
普通だったら参加率の低いメンバーを受け入れてくれないはずなのに、ここのサークルは本当に暖かかったし居心地がよかったです。
同期だけでなく、年上のどの先輩たちも親しみやすく、優しい人ばっかりでした。
このバスケットボールサークルのおかげで大学の友人も増え、これから先もずっと会い続けるであろう仲間を見つけることができました。
「このサークルってなんでこんなに暖かい文化があるのかな」
そこにはサークルを支える大きな存在がいたから。
僕のサークルは自分の代がけっこう一癖も二癖もあるやつらが集まっていたらしくて、好き勝手して全く話聞かないみたいなことが多かったんですよ。
なので、サークルの本命であるバスケ活動で割と支障がいくつも出てたそうな。(僕はバスケにはあんまり参加してなかったのですが、うちのサークルは徐々にサークル同士の大会で成績を残し始めていて、バスケで衝突とかもあったようです)
全く活動に参加しない僕を含めてこんなチャランポランで生意気な後輩ばっかりを引き連れていた一つ上の会長。
僕のサークルの暖かみはこの会長の存在が源でした。
この会長は、とても周りをよく見ている人で、常に考える視点は自分じゃなくて、他人へベクトルが向いていた。
なので、人への気遣いが丁寧にできるやなんのその。
しかも、バスケ自体がめちゃくちゃ上手い。
誰もが嫌がるようななことも進んでやるタイプで、誰にでも平等に優しい人でした。
例えるなら仏のような、そんな寛大で懐の広い人。
僕はこの会長へのリスペクトが尽きなかったんですよね。
だって、年に数回しかサークル行かない僕に、めちゃめちゃフランクに接してくれて、しかも何回か飲みにまで連れていってくれたんですよ?ご馳走もしてくれたんですよ?人間性に惹かれますよね?
この会長の人柄の良さは僕だけじゃなくメンバーみんな知ってて、ほとんどの人が尊敬してたと思います。
ものすんごい素敵な人なんですよ本当に。
僕は大好きなんですこの会長が。
本当にめちゃめちゃお世話になりました。
でもそんな最高に最高の会長の身に一つの異変が起きます。
昨年の、12月ぐらいかなー。
また別の先輩から一通の連絡が入って、その内容が「会長が重い病気になった」っていうやつでした。
それを聞いた僕はいても立ってもいられず、何かできるわけでもなくすぐ会いにいかなきゃ!と思ってサークルの友人を誘って会長の家に押しかけに行った記憶があります。
でも手ぶらじゃなんだからと思って、僕の好きなバンドのCDを何枚か持って行きました。(会長もバンドをよく聞く人でした)
今思うとすごい迷惑なことしてるんですけど、会長は快く引き受けてくれたんですよ。
で、会長の家に入って、最近なにしてんのかとかサークルどんな感じなのかとかたわいもない会話をしてたんですけど、
会長は笑顔を見せながらも僕たちに心配をかけないよう気を使って言葉を選んでいたのが丸わかりでした。
僕も触れちゃいけないところとか気に触るかもしれないこととか細心の注意を払いながら、会話に参加しました。
でね、あるとき友人の一人が病気について尋ねたんですよ。
すると会長は、「どうなるかはわからんのよなー」と無理やり微笑みながら、答えてくれました。
目に涙を浮かべて。
「あ、そうだったんだ。」
病気はけっこう稀なタイプの”癌”らしくて、日本でも前例の少ない病なんだとか。
話を聞いたとき、僕は「マジか」って不安がよぎったんですけど、「いやでも会長なら大丈夫だろ」ってなんか思い込んじゃったんですよね。
なぜかわからなかったんですけど、そもそも会長がやばくなることが想像できなかったし、漠然と「あの人なら大丈夫に決まってるな」って。
だって、あんなに素敵な人間だし、最高だし、ノリ良いし、悪いことなんかこれ以上起きやしないって僕の心の中で決めつけてしまったんです。
少ししてから、僕たちは会長の家に礼を言って出ました。
それからサークルの集まりや学校とかで会長と顔を合わすことがあって、いつも通り普通に接してくれた。
しかも友人のストーリーズとかに会長がバスケをしてる瞬間が写ってたり、会長自身も旅行に行っている投稿とかしてたりしたので、「元気になったんだ」と僕が勝手に会長は大丈夫だなと自己完結してしまってました。
月日は流れ、数日前。
会長の顔を見ることはできなくなりました。
もう会えなくなっちゃったんですよね。
僕が一年学校を行っていない間に会長は僕たちが想像もできないような治療を続けていて、ずっと一人で頑張っていて、たまに会ったときは心配かけないよう僕たちには普通に接して、ちょこちょこSNSも更新していて、
僕たちには弱いところも見せず、いつもの優しい会長を最後まで演じ続けて。
僕はまんまと会長の気遣いにやられたわけですよ。
なんで途中で気づかなかったのかなー。
今の僕がなにしてるか聞いてくれたりとか、冗談をいってはにかんでくれたりとか、またカラオケでデュエットしたりとか、最近の恋愛事情語りあったりとか、合宿でバスケ一緒にしたりとか、
もうこの会長と一緒に買い物に行ったり、話したり、飲みに行ったり、なにかするってことはできない。
本当に会えなくなることがめちゃめちゃきちぃっす。
後悔って失ってから気づくものなんですね。
どこかで聞いたことのあるこのフレーズ、実際に自分の身に起きたことでより言葉の重みが増しました。
なんでいつも僕はこうなのかなって、なんであのとき気遣わずに会いにいけなかったのかなって、
悔やんでも悔やみきれない。
会長が打ち込んでいたサークル、輪を作り出したサークル、行ってないやつにも暖かいサークル、
バスケあんまり好きじゃないって理由で行かなかったことが馬鹿馬鹿しい。
もっと行っとけばよかったなー。
人間いつ最後になるのか本当にわからない。
親だって大統領だって、もちろん自分だって1秒先のことなんか読めやしない。
あの人の顔を見ることもできないまま、僕は伝えたい言葉だけが募っていく。
とりあえず会長お疲れさまでした!
また飲み誘ったとき、ちゃんとLINEくださいね。笑
まじで大好きです!あと、CD返してください。笑
R.I.P
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?