節分の豆
私が小学生3年生くらいの頃、節分といったらそりゃもう一大イベントだった。2月2日の夜、寝る前から胸を高鳴らせていたものだ。
それはなぜか。小学校の給食に、「節分の豆」が出るからだ。私の地区では、ただ煎っただけのなんでもない「豆」が、献立表上では、給食の目玉であるプリンやゼリーと同じ「デザート枠」に登録されていた。
「デザート枠」で登場するデザートたちは、クラスの男子からはもれなく愛され、食べることを放棄した数名の女子からいかに頂戴することが出来るかということが、クラスの男子のステータスであり、ヒエラルキーを決定した。たとえば、七夕に出る「七夕ゼリー」。これは全ての男子が狙う大物だったし、その日だけは欠席者が多いことを心から願った。
「節分の豆」は、一袋にだいたい15粒くらい入っている上に、女子達の放棄率が非常に高かった。
小学3年生のころは、こんな感じの袋に入っていたが
高学年の頃になると、ちょっと可愛くなってたが気がする。
さて、「節分の豆争奪戦」は、朝の朝礼から始まっていた。いつも遅刻ギリギリで来るくせに、友達たちはいつもより早い時間に登校し、女子が教室の敷居をまたごうとするやいなや「節分の豆ちょうだい!」とねだりまくっていた。
しかし、私はそこには参加しない。なぜなら、私は2月の献立表が配られた時点で仲の良い女子たちに根回しをして、既に10袋以上をキープしてあったからである。友達の友達からにも予約したし、隣のクラスにも予約をしていた。
そうとは知らず、必死に声をかけまくる友達。女子から「ごめん、もうあげる人決まってるんだ。」と言われて落胆する友達の顔をみるたび、心の中でにやっとした。女子に寄って集って「ちょうだい!」とねだるのはすごくみっともないと思ってたし、断られた時はまるでフラれたような感覚を味わうハメになることを知っていたからだ。
そして給食の時間、それまで何の動きも見せなかった私のもとには、たくさんの「節分の豆」が自然と集まってくる。私の作戦勝ち、完全勝利だ。ほくそ笑む、という言葉がぴったりなくらい見事にほくそ笑んでたと思う。実に嫌なやつだ。
かくして私は「節分の豆争奪戦」に見事勝利したのだが、ここからが本番。10袋以上もある豆を給食の時間に全て食べきれるはずがなく、そもそも食べきるつもりなど毛頭ない。
余った「節分の豆」を、先生にばれないように、そうっとランドセルに忍び込ませておくのだ。その「節分の豆」を、下校中に友達を食べながら帰ることを想像していたからこそ、昨晩から胸を高鳴らせていた。
先生やPTAに見つからないように、ちょっと回り道をして、ランドセルの中の「節分の豆」を食べながら帰る。つぶされてくしゃっとした袋から一粒出して食べると、豆の香りが口に広がって幸せに包まれる。友達にも分けてあげて、ぼりぼりいいながら笑いながら帰る時間はとても楽しかった。
もはや、給食の時間に何袋集められるかなどはどうでもよかった。美味しさも楽しさも、全て下校中につまっていた。
2日後の給食で、大好きなプッチンプリンが出た。すっかり安心していた私は、プッチンプリン当日の朝から回収活動を始めた、が、これが失敗だった。
奴らは私の戦法を真似て、「節分の豆争奪戦」の日から根回しをしていたのだ。プッチンプリンの山を抱える友人の顔が、あれほど憎たらしく感じたことはない。
「別にいいや、プッチンプリンは下校中に食べれないし。」
心のなかで精一杯の言い訳をして、自分のプッチンプリンをつるんと食べた。