《魂》とはなんぞや

自分(わたし)=意識とは《記憶》である

記憶とは《光》フォトンである

わたし達は《記憶》を元に 自我フレーム=《わたし》を形成している

考えてみてほしい

今、あなたが完全な記憶喪失になったとしたならば・・・

 

自分の名前も

住んでいた家の場所も

恋人や家族の顔さえも

生まれてこのかた、経験してきた記憶のすべてを失ったとしたなら

あなたは《あなた》の存在(自我フレーム)の枠組みを認識する術がない

つまり、わたしという意識は、あらゆる記憶の集合体の中にぼんやりと形成されるもの

それらを取り払った瞬間、自分は空っぽになるのです

そんな《わたし》の自我リソースとなっている記憶はどうやって創造されているだろうか

部屋の中で一人ぼっちで体育座りしながら、記憶を創造することは不可能

つまり記憶は繋がりから生みだされている
自分ひとりで創造した記憶など存在しない
すなわち、人間は《他者との関係性》の中にのみ存在するのです

《わたし》も《あなた》もない

あるのは《関係性》のみ 

あなたは、自分のまわりのキャストにどんな価値を与え、または与えられながら

お互いの記憶と記憶がぶつかり合い

時空と時空がぶつかり合いながら、新たな時空が現実化し創造されるのです

そう考えた時から、思考の矢印は自然と外に向かい

トーラスが描く黄金比から算出された記憶が

他者との摩擦の中で新たな時空を生んでいく

自然界のあらゆる存在が絶妙なバランスを保ちながら存在しているように

個で独立して存在しているものは一つとしてないのです

しかし、昨今のスピリチュアル業界では

《魂》という言葉を勘違いしている部分が

まるで、独立して存在した自分という魂があるかのような誤った認識

この誤解が、人と人との間にありもしない境界を作り

皆、偽りの自我フレームにばかり気を取られ

他人と比べての無意味なプライドとコンプレックスという振り子に揺さぶられる

そして果てのない欲望は

人々を競争と争いの世界へといざない、戦争経済は加速する

はっきりと断言しておこう

自分という完全情報は存在しない

あるのは前途したように、関係性

《わたし》とは内側ではなく、外側に存在している

にもかかわらず、幽体として火の玉のような“アプリオリな魂”(独立した存在)が一人ひとりに宿っていると考えてしまうと、

矢印は自分(内側)に向き、脳内の欲望という渦(亜空間)に巻き込まれていく

「魂のレベルを上げれば、アセンション(次元上昇)できます」

などという戯れ言を真に受け

他者を無視し、自分だけ助かろう(アセンション)という矢印が内側に向かった瞬間

人体トーラス場は縮小をはじめ

脳内に多次元的世界や守護霊、ハイヤーセルフ、レプティリアン等の敵対的宇宙人、自称宇宙司令官、霊的現象に至るまで、あらゆる偶像ホログラムを認識してしまう

これが、昨今流行っているスピリチュアル業界の致命的な欠点である

引き寄せの法則やマーフィー、アファメーションなども例外ではない

使い方を間違えればたちまち茶番劇場と化す

(しかし、この茶番劇場にもある種の力が働いているため、ある程度までは的を射てしまう部分もあるのだが。これについてはまた機会があれば紐解いていこう)

どうか難しく考えないでほしい

己の思考、矢印が内側(自分)に向かうことなく

外側(他者との関係性)に向けることでしか時空は生まれないというシンプルな自然の摂理こそが、唯一無二の宇宙法則であるのだから

そうすれば、脳内の振り子(情報場)に振り回されることなく

人体の触覚静電気が機能し、同期並行計算された記憶があなたの新たな記憶《新しい過去》を算出してくれる

これが、最先端の生命科学に基ずいたスピリット(命)の解釈である 

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