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10/27(日)の日記 衆院選を終えて。旧帝大の学生ですら、政治への意識は希薄であるという事実

選挙に関する部分へは、目次で飛んでください。
最初の部分は大半の人が興味ないと思うので。
本日の主題は目次2個目です。

10時起床 1日の始まりはEU4から

とりあえず今日もEU4をやる。

本日はブランデンブルクをプレイ。

ブランデンブルクと言えば、後のドイツ帝国の中核となった地域だ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ブランデンブルク辺境伯領 

以下に、歴史の概要を載せる。

ブランデンブルク選帝侯国がドイツ帝国となるまでの歴史は以下のように概説できます:

## 起源と発展

1415年、ホーエンツォレルン家がブランデンブルク選帝侯位を獲得しました[1]。1470年にはベルリンを首都とし、1539年にはルター派に改宗して新教の有力諸侯国となりました[4]。

## プロイセンとの同君連合

1618年、ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントがプロイセン公国の公位を継承し、ブランデンブルク=プロイセンとして同君連合が成立しました[1][2]。これにより、ホーエンツォレルン家の支配領域が大きく拡大しました。

## プロイセン王国の成立

1701年1月18日、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世がケーニヒスベルクでプロイセン王として戴冠し、プロイセン王国が成立しました[1][5]。これ以降、ブランデンブルクはプロイセン王国の中核として重要な役割を果たしました。

## 領土拡大と強国化

18世紀後半、フリードリヒ2世(大王)の時代に、オーストリアからシュレージエンを奪うなどして大国としての地位を築きました[5]。1772年の第1次ポーランド分割で西プロイセンを獲得し、プロイセンの領土が大幅に拡大しました[6]。

## ナポレオン戦争と改革

1806年、ナポレオン軍に敗北し、一時的に領土の半分を失いましたが、その後の改革(プロイセン改革)により国力を回復しました[1]。1815年のウィーン会議で領土を大幅に拡大し、ドイツ連邦の一方の盟主となりました[6]。

## ドイツ統一への道

1866年の普墺戦争でオーストリアに勝利し、ドイツの主導権を握りました。1867年に北ドイツ連邦を組織し、1870年の普仏戦争での勝利により南ドイツも掌握しました[6]。

## ドイツ帝国の成立

1871年1月18日、プロイセン王ヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝として即位し、ドイツ帝国が成立しました[6]。これにより、ブランデンブルクを起源とするプロイセン王国は、ドイツ帝国の中核として、その実質的な支配者となりました。

このように、ブランデンブルク選帝侯国は、プロイセン王国を経て、最終的にドイツ帝国の中心となり、ドイツ統一の原動力となったのです。

[1] プロイセン王国 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD
[2] ブランデンブルク=プロイセン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3
[3] ブランデンブルク選帝侯(ブランデンブルクせんていこう)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E9%81%B8%E5%B8%9D%E4%BE%AF-2129464
[4] ブランデンブルク選帝侯国 https://www.y-history.net/appendix/wh0904-107.html
[5] プロイセン(ぷろいせん)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%81%B7%E3%82%8D%E3%81%84%E3%81%9B%E3%82%93-3168616
[6] プロイセン王国 - 世界の歴史まっぷ https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD/

プレイ概要は書くのがめんどくさくなったので、書かないことにする。

若者の選挙に対する意識

与党の過半数割れが確実となったらしい。

結果がどうなるかはまだわからないが、

結果がどうこうよりも、今回は若者の選挙に対する意識を書こうと思う。


実際に、周りには選挙に関心があり、よく調べた上で選挙に行く人がちらほら見受けられる。


自分もそのうちの1人だ。


ただ、全員がそうではないのは確かである。

実際、自分が通っている大学の友人に話を聞くと、

選挙があるのをそもそも知らない人

選挙があるのは知っているが、いつあるのか知らない人

政治についてなにから知ればいいのかわからない人

めんどくさいから選挙には行かない人

体感ではあるが、周りのおよそ7〜8割はこれのうちのどれかに該当するような気がする。

旧帝大の学生がこのような状況であることに、自分自身は非常に危機感を覚える。

若者の政治に対する意識は世間一般に議論を呼ぶ話題である。

実際、周りに若者が多い環境に身を置いている1人としては、若者の政治に対する意識は低すぎると感じる。

なぜだろうか?

現代政治に対する教育不足か?

若者の発言や一票に価値がないと感じるからだろうか?

政治は年配者が行うものであると思うからだろうか?

若者の政治参加へのハードルが高いからだろうか?

正解はわからないが、どれも当てはまると思われる。


昨今の石丸氏の東京都知事選での活躍を見ると、若者が政治に参加することで、政治が動かせるというのは証明されている。

ならば行かない理由はないと感じる。


今度は、アメリカ大統領選挙もある。

今年は選挙の年であった。

これから世界情勢がどうなるかはわからないが、見守っておこうと思う。

Duolingo

無事に次のリーグへ昇格した。

今週も頑張るぞ。

それでは、今日はここまで。

おやすみなさい。

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