25歳が地域リーグのサッカークラブGMになった話
2024年1月、福島県郡山市で長く活動してきたFCプリメーロが少し変わった。GMとして25歳の若造を迎え入れた。
発足から30年近く経過し、酸いも甘いも経験してきたFCプリメーロの新たな決断となった。
平 龍生(たいら りゅうせい)
1998年4月2日生まれの25歳。福島県郡山市に生まれ、高校卒業まで郡山で生活をした。FCプリメーロの存在は何となくだが知っていた。
大学時代を群馬で過ごし、卒業後はTV関係、サッカー指導者を経て、サッカーの記者として現在は働いている。
取材でプロの選手、クラブそのものと密接に関わるうちに、思ったことがある。決め手は天皇杯決勝、川崎vs柏を観たことだ。
満員のスタジアム。両クラブを応援するサポーター。クラブのユニフォームカラーに二分された客席。6万人を超える人間がピッチ内のボール一つを目で追い、ひとつひとつのプレーに反応する。その個人の反応が重なってスタジアム内に響く歓声やため息となる。これはとても素晴らしいことなんじゃないかと思った。
僕は、この光景を地元で見たいと思った。
FCプリメーロに知り合いがいたので、連絡を取った。
「郡山市にJクラブを作りたくて、FCプリメーロでやりませんか?」(この時は応援されるにはJリーグに入ることしかないと勝手に思っていた)
返答はこうだった。
「そういう動きはいいと思うけど、昔にも何回かあったんだけど断ってたんだよね」
その答えに、僕は高揚した。郡山に何かを見出していた先人たちがいたことが嬉しかった。
市民は多く、東北2位の都市。
東京から新幹線で1時間とちょっと。
街としてのポテンシャルが抜群だと感じていた。
ちなみにこの時、僕には何もなかった。何もないというのは、株式会社早稲田ユナイテッドが運営を手伝ってくれるということも、選手をどう集めるかというビジョンも、経営の経験も、本当に何もなかった。(僕の中ではFCプリメーロの人間としてスポンサーをいくつか獲得し、運営していくという漠然としたことしか思っていなかった)
しかしFCプリメーロ側にも様々な事情があり、この話を進めていいというのだ。それも、自分が代表として。
そして僕の「郡山市にJクラブを作りたくて」という部分も次第に変わっていった。
この動きをするにあたって、色々な人に話を聞いた。
その中で心に大きく残ったのは「リーグレベルはどうでも、応援されることの方が重要じゃないか」という言葉だった。
確かに、僕が作りたいのは多くの人が応援してくれている熱狂空間だ。
クラブが街に溶け込み、新しいコミュニティづくりのきっかけになること。
それはリーグレベルも多少関係しているだろうけれど、それ以外に応援してくれる理由があることに気が付いた。
好きな選手がいる、勇気がもらえる、同じ郡山で頑張っていて刺激がもらえる、サッカーが好き、応援することが好き、スポーツ観戦が好きなど、本当にたくさんの理由があると思う。
僕はFCプリメーロの活動を通じて郡山市をさらに発展させていきたい。震災から復興をして、もっと良くなった郡山を広めていきたい。「人」を呼び込む手段として、FCプリメーロがあると思っている。
FCプリメーロのやれることは小さいかもしれないが、スポーツにポジションがあるように、それぞれの人に役割がある。僕らがやろうとしていることに少しでもいいなと賛同してくれる仲間が集まることで、それは可能になっていくと信じている。
その結果として地元で応援できる、応援されるクラブへと成長していければいい。郡山市民33万人の中の何万人かにでも、僕たちの思いが届いて、会場へ足を動かすきっかけになって欲しいと願っている。
その何万人かが試合に足を運んでくれるだけで選手にはパワーが伝わる。
結局、人は人と繋がり、その熱が伝わることでしかパワーはもらえないと思う。ネット上でいくらでも繋がれる時代だからこそ、直接会って感じられる熱を大事にしたい。
僕のやりたいことはそういうことだ。
クラブGMに就任はしたが、結局は熱を伝えていきたい。
GMという役職は与えられているものの、自分にはスキルも何もない。
上に書いた熱量を持って、このFCプリメーロに貢献していくしかない。
それを続けていけば、おのずと郡山のためになっていく、そんな活動にしたい。
FCプリメーロ福島 GM 平 龍生