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裸のススメ

ぼくは歌が下手である。
入力に問題があるのか、出力に問題があるのか、はたまた両方なのか。
それは定かではないが、とにかく音痴なのだ。

音痴の自覚があるが故に、歌を歌わねばならないシチュエーションはハッキリ言って大嫌いである。
「カラオケ」という単語には虫唾が走る。
極力行かないで済むように人生を歩んできた。
それでも行かねばならぬ時がある、(人生ってツラいですね)そんな時は自分が精神的に萎縮していることがわかる。
気持ち同様にからだも萎縮し、ぐっと固くなり余計にリズムに乗れなくなって声が出ない。
悪循環である。

一方で、ぼくは歌が大好きでもある。
一人でいる時、パートナーといる時は自然と口ずさんでいることが多い。もちろん音程もリズムも外れている。アレンジを加えているつもりはなくともアレンジしている。ナチュラルアレンジャー。小林武史も真っ青である。

最近のお気に入りは藤井風くんで、歌詞にもメロディにも声にもやられている。もうメロメロである。
風くんのファンが聴いたらしかめっつらで耳を塞ぐようなアレンジを加えてぼくは歌う。ごきげんで歌う。安心できる状況ならば。

そんなぼくが先日、歌うことに関連して気づきがあったのでシェアしたい。

ある日、ぼくは裸でマイクを握っていた。
安心してください。裸でいても捕まらない空間ですよ。
その部屋にはカラオケがついていて、歌おう。ということになった。
一緒にいるのがパートナーでも、自分が萎縮したのがわかった。調子の外れた鼻歌をたくさん聞かせてきたパートナーしかいなくても、条件反射でぼくは萎縮した。苦手意識おそるべしである。
萎縮しているぼくは、音痴なぼくでもそれなりに歌える曲を選ぼうとした。それが人前で歌う時のぼくに出来上がっている思考回路。

ところが、ここでパートナーから衝撃的な言葉をかけられる。

「歌える歌じゃなくて、歌いたい歌を歌えばいいんだよ」

え?歌いたい歌?
上手く歌わなくていいの?(歌えないけど)

素直なぼくはこのありがたい言葉を受け入れ、黒夢の『Like @ Angel』を歌った。裸で歌った。
楽しい。ただ楽しい。歌うってこんなに楽しいの?

この出来事から、ぼくは2つの気づきを得た。
一つ目は、自分がほんとに望むことをすると楽しいということ。
これまでのぼくは、人前で歌う時はそれなりに歌える無難な曲をチョイスしてきた。
下手だと思われるのが恥ずかしかったから、かっこ悪いから。
また、歌っている時のギャラリーの反応が怖かった。(萎縮している人間は周りの反応に敏感なのです)
でも、他人軸より自分軸の方が圧倒的に楽しい。震えるほど楽しい。

もう一つは、はだかになる大切さ。
はだかになっていると、これ以上なにも守るものがない。
精神的な鎧をあたまで外そうとしてもなかなか難しいけれど、物理的に「はだか」になっていると、自然と外れやすくなる。
ぜひ、つかまらない範囲でいろんなシチュエーションで試していただきたい。
驚くような変化が感じられるはずだ。

今回のことを経て、ひとつ軽くなったような気がする。
人間単純なものである。
そう、ほんとはすべてシンプルなのだ。

今度は服を着て歌ってみよう。




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