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【エッセー】『チキンライス』の歌詞を嫌う人が多いらしい

「七面鳥は、やっぱり照れる~♪」

今日、「なんでボウリングで3連続ストライクを決めたら『ターキー』って言うんやろうな?」って話になって、その流れで、『チキンライス』を思い出したんよ。あぁ懐かしいなぁって。久々に聴こかなぁって。歌詞を眺めながらさ。

そう思って、検索をかけたんやけどさ、

「一番上に『嫌い』が来てるやんけ・・・。」

んー、なんやろう。この曲の歌詞を「好き・嫌い」で考えたことって、あんま無かった気がするんやけど、少なくとも「嫌い」とは思ったことなかったから。うん。どっちかと言えば「好き」やから、ふと思い出して、「久し振りに聴こかなぁ」って、思ったんやろうし。

それも、一番上に「嫌い」が来てるっていうのもな。まだ、3~4番目ぐらいにあるんならな。「そう感じる人もおるんかぁ」ってなったやろうけど。得てして、名の売れた作品は、賛否両論が付きまとうのが、世の常やからな。「100人中100人に好かれようとしたら100人中100人の記憶に残らない」とは言い得て妙や。誰が残した言葉か良く分からんけど。(それやのに事あるごとに聞く気もする)

賛否両論でいうと、「嫌い」とは反対の意味を持つであろう言葉が並んでないってのも、ちょっと引っ掛かるところではあるよな。例えば、「好き」もそうやし、「泣ける」とかもありそうやな。「感動」とかも、歌詞のテイスト的には有りそう。「古い」とかも有るかもしれん。やっぱ、ジェネレーションギャップとか、あるやん。なんとな~く、思い浮かんで来たけども。「価値観」的なアレでな。

しかし、フタを開けてみたら、「嫌い」が一番上に来て、あとは・・・、う~ん、なんというのか・・・、ていうか、「原文」と「添削前」って、なんなん?コレって、書き換えられてんのかな。「松本人志」の名前も有るけど、彼が作詞したって認識は有るんやけど。人の手が加えられたんかな。楽曲にしたためるために。そうなんかもしれんな。知らんけど。

あと「なんj」は草生える。「なんj」だけに。草。「なんj民」は、この歌詞を見て、どんな感想を抱くんやろうか。見ようとまでは思わんけども。気にはなる。いざ見始めると時間食い虫なのよ。「なんj」に限らずな。ネット掲示板(?)って、そんなイメージ。

一時期、見てたこともあるから、尚更そう思うんかな。時間の捻出が出来んくなって、断とうと決意した経緯がある。嫌いじゃないねんけどな。アングラ的なノリは。地下アイドルとかも、ちょっと興味あったりするし。追いかけようとまでは思わん程度の、ちょっとした興味に過ぎんけどな。ガチガチのファンからしたら、いい迷惑やろうな。こういう、興味本位のヤカラってのは。ごめんて。


・・・で。

「嫌い」の表示を見つけてしまった以上、『チキンライス』の歌詞のどの部分が、現代人から嫌われるんやろうって疑問が、今日一日、頭をもたげてた感じがあったから、ちょっと考えてみようかと思う。

ただ、noteは、歌詞をドーンと載せると、記事の公開を停止してくれってメールが届くみたいやから、僕が、裏で、歌詞とジックリ対峙して、吟味を重ねて、「ココなんかなぁ・・・?」って箇所を、一つ、ピックアップしてみるわ。

というわけで、ほな・・・。(裏作業へGO)

【※】
「歌詞をドーンと載せると」って、極めて曖昧な表現やけど、コレ、よくわからんねんな。基準が。1フレーズぐらいなら、多分、大丈夫そうやねんけど。2フレーズだとグレーゾーンに近付く、3フレーズ以上になると、これはちょっと、もう、レッドゾーンに近いぞ、って感じかなぁ・・・。(経験者は語る)


【吟味タイム】


親に気を使っていたあんな気持ち
今の子供に理解できるかな?

最後は笑いに変えるから
今の子供に嫌がられるかな?

「うーん・・・。」

ココかなぁ。他のフレーズも、「まぁ見方とか受け取り方によっては、『嫌い!』ってなるんかもしれんけど・・・。」って箇所も、ちょこちょこ、あった気はしたけどな。でも、ポンポン載せると、マズいことになるから。ココだけにしとくで。堪忍な。

まぁ、なんやろう、比較表現を用いてるやんか。この箇所は。それが、現代人からすると、アレルギー反応を起こすんかもしれんなぁ、っていう。前述した「ジェネレーションギャップ」に近いけども。良くあるやん。そういうのって。得てして嫌われるパターン。そして「我以外皆我師」の言葉を胸に、「反面教師もまた教師なのだ」と心の中で唱え、「人の振り見て我が振り直せ」のことわざを思い出すのだった・・・。てへぺろ。

【※】
カッコつけた文章を書いたり話したりし始めると、「てへぺろ」とか言って、おどけを演じる癖が、僕にはある。物心が付いた頃から、ちっとも変わらん。持病みたいなもんやな。

コホン。

まぁ、その、『チキンライス』の歌詞に関しては、比較した感じにはなってるけども、僕が見る限り、「今の子どもは~」って、批判的なニュアンスは感じられへんのやけどな。なんていうんやろう。哀愁を漂わせるために用いてる感じよな。「昔」と「今」の対比としてさ。

実際、曲の終盤では、ダウンタウンがブレイクして、お金に困らんようになった、チキンライスと言わず、七面鳥でもなんでも持って来いや、みたいな展開の仕方をするんやけど、でも、だからこそ、というのかな、ブレイクする前のことを、ふと思い出しては、「金が無かった頃のチキンライスの味が懐かしいなぁ・・・」って、思い出補正も相まって、また食べたくなるわ、みたいな、うん、そんな感じやんか。上手く言えてんのか良く分からんけど。

まぁでも、そのテイやったら、「今の子ども」ってフレーズじゃなくても、とは思うけどな。別に関係ないよな。今も昔も。ブレイクする前とブレイクした後、って解釈の仕方で行くとするならよ。

「ビッグな人間になるぜ!」と、野心を抱いたはいいものの、理想と現実の乖離に悩まされて・・・、って流れは、昭和の昔も、令和の今も、大して変わってへんのちゃうか、とは思うんやけどなぁ。どうなんやろう。割合的には変わってたりするんかな。「さとり世代」なんて言葉もあったしな。最近はあんま聞かんくなった気もするけども。

もしかしたら、当時の松本人志の目には、「近頃の子どもは俺がガキの頃のようなガツガツ感が無いよなぁ・・・。」とか、思ってたんかもしれんし。「一億総中流社会」なんて言葉もあったっけか。これはいつごろに生まれたのかは、ちょっと分からんから、アレやけども。「貧富の差」ってのが縮まって、身の丈に合った暮らしを送るようになっていったことで、いわゆる「貧乏エピソード」的な逸話が生まれにくくなった現代への、風刺的な意味合いも込められてるんかも分からん。

「・・・まぁ、知らんけどな。」

【※】
僕は、人と、真面目な話をしてる時も、真面目チックに語った後に、「知らんけど。」を添える癖がある。関西人の十八番と言えばそれまでやけど、心の中で、「自己保身的なアレやろうなぁ・・・。」と憂う自分が居る。

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