【エッセー】キャップの穴からポニーテールを出す女子高生が好きだ!
夏の甲子園 with JK
また、この季節がやって来た。可愛い女の子を探す旅の始まりだ。
僕は「打ち消し線」を使用せずに、ハッキリと述べる。甲子園の魅力の一つに「可愛い女の子を見て目の保養にする」があると。
「可愛い女の子」だけだと、少々、言葉足らずかもしれない。それならば、なんだって良いはずだ。「可愛い女の子」は、外を出歩いても、テレビをつけても、スマホをイジっても、どこもかしこも、存在するからだ。
SNSアカウントの女性は「ホンマにこの女の子は実在するんか?」「ホンマにこの女の子が文章を綴ってるんか?」と疑ってしまうケースが、多々ある。
なので、正確に申せば、「高校球児を懸命に応援している幼気(いたいけ)な女子高生を見て目の保養にする」と書くべきだろう。
この光景は、やはり、甲子園でしか、お目にかかれない。プロ野球だと、ちょっと違う、いや、だいぶ違う。それがたとえ、女子高生だったとしても、だ。「プロ野球選手を」と「高校球児を」とでは、天と地ほどの差がある。少なくとも僕にはそう感ぜられる。
プロ野球も高校野球もよく観てるけど、プロ野球観戦に来てる女子高生風の子って、ちょっと、イケイケ過ぎるんだよな。ビジュアル的にも目の保養感が薄れる。
打ち消し線を使う場面と使わない場面を、適切に判断出来ているのかは、僕自身、良く分かっていないのだが、とにかく、この項で言いたいことは、「高校野球万歳!」「女子高生万歳!」の2点のみなので、それが伝われば、もう、良いと思う。
ちょっと、上手く言えなかったね。ごめんね。
今日のかわい子ちゃん♡
今日も今日とて、高校野球を観戦しながら、作業に勤しんでいたのだが(僕は大抵、自室でデスクワークに勤しんでいるため、野球観戦とすこぶる相性が良いライフスタイルなのだ)、その時、ふと、目に留まった女性が居た。
「あぁ・・・。かわいい・・・。ステキだ・・・。」
彼女は、アルプススタンドで応援している、女子高生だった。ブラスバンド部だろうか。大きな太鼓を打ち鳴らすための道具を持って、ドンドンと叩いている。一見、華奢な見た目とは裏腹に、ダイナミックな音色を響かせているのも、僕にとっては大きなプラス要素だった。いわゆる「ギャップ萌え」である。
そんな彼女は、白いキャップを被っていた。メーカーは確認することが出来なかったが、おそらく、スポーツタイプだと思われる。シンプルなデザインに見えたからだ。「ファッション」よりも「機能性」を重視しているかのようなキャップに見えた。それもまた良かった。
ハイブランドに身を包んで自信たっぷりな表情を浮かべる女性よりも、みすぼらしい服装で健気に日々を生きる女性の方が、美しく感じることが、僕にはよくある。
・・・まぁ、今回が、それに該当するかどうかは、また別の話として、ともかく、この彼女が、たいそう可愛く思えた。それだけは、偽らざる真実なのだ。
惜しむらくは、どこの学校を応援していたのか、ハッキリと記憶していないことだ。僕としたことが、とんだしくじりを犯してしまった。なんなら今も後悔している。なぜ「可愛い!」とセンサーが反応したタイミングで、メモを取らなかったのか、と。
一応、僕なりにリサーチはかけてみたが、期待するような情報は、全くと言って良いほど出て来なかった。おかげさまで、今日の記事は、僕の文章が羅列してばかりだ。誰がこんなものを読みたいのか。書いている僕自身、読む気にならない。自分で書いて自分で辟易としている。なんてこったい。
※【余談】※
こまめにリンク機能を利用して、なるべく文章の羅列にならないようにしているのは、「読者の読みやすさ」を考慮しているとも言えるが、本音を言うと、「自分で読み返す時に文章ばっかりだとウンザリする」ことに気付いたのが、大きい。
キャップ&ポニテ女子
「それにしてもホントにかわいいなぁ・・・。」
僕が目を付けた女性が中継のカメラに抜かれるたびに、視線を、パソコンのモニターからテレビへと移すように、心掛けていた。一度も見逃すことがないよう、抜かれていないにもかかわらず、チラッ、チラッ、と、テレビ画面を見ていた気さえする。言うまでもないが、作業効率は、低下していたであろう。「女にうつつを抜かす」とは、ああいう状態を指すのだと思われる。
「カメラに抜かれる」とか、「うつつを抜かす」とか、「女」と「抜く」ってワードが頻繁に出て来ると、どうしたって、卑猥な絵しか思い浮かんでこなくなる僕は、病気なのだろうか。それとも、正常なのだろうか。他意は無い。忌憚無い意見を、お聞かせ願いたいものだ。
そんな中、僕は、あることに気が付いた。
「キャップにポニーテール。絵になるなぁ・・・。」
そう。彼女は、シンプルなスポーツ用キャップの穴の部分から、長めのポニーテールを出していたのだ。それはもう、かなり、長かった。おまけにツヤツヤそうだった。
イメージ的には、こんな感じ。こんな長さ、こんなツヤツヤ感で、髪色は、黒髪。もうそれだけで、おじさんは、おなかいっぱいだ。(意味深)
そんなわけで、「キャップ x ポニーテール = 最強」という方程式が成り立った僕は、世間一般的にはどれほどの支持を受けているのかが気になって来たので、「キャップ ポニーテール 出す」と打って、ネット検索をかけてみることにした。
ところが、目を疑うような光景が・・・。
ゴーイングマイウェイ
「何言ってんだコイツ・・・。」
ブログ運営者の方には大変ぶしつけな物言いで恐縮なのだが、僕は、記事のタイトルを目にするやいなや、反射的に、「ハァ?」と思って、悪態をついてしまった。「ダサい?」「お前の審美眼はどないなっとるんじゃ?」と言わんばかりに。よっぽど、「キャップ&ポニテ女子」が、お気に召したらしい。
そんなわけで、僕とは真逆の趣旨の内容で発信しているであろう記事に、目を通そうとしたのだが、「目次」の部分で、面食らってしまった。
「いくらなんでも長過ぎるやろうて・・・。」
なるほど。これがいわゆる「網羅性」と呼ばれるやつか。ブログ記事に良くあるパターンだ。「あくまでも一個人の感想に過ぎません」ではなく、ありとあらゆる情報をひとまとめにした記事である。
おそらく、記事のターゲットは、「ポニーテールの時にキャップってどう被ればいいんだろう?」などと悩んでいる女の子なのだろう。少なくとも「ハァ?『キャップ&ポニテ女子』を舐めんじゃねえよ!」と言わんばかりに、喧嘩腰に乗り込んで来た、イキリおじさん(UP主)ではないはずだ。
「そういうのを求めてたわけじゃないんだよ・・・。」
僕は、急速に、興が醒める思いがした。期待していた内容と、目次とが、あまりにもかけ離れていたからだ。それは単に「長過ぎる」というわけではない。たとえ長かったとしても、「あくまでも一個人の感想に過ぎません」みたいな内容を、独白スタイルで、延々と書き綴っていく記事であれば、僕は、目を通したと思う。あの時のテンションであれば、少々、冗長な文章だったとしても、最後まで目を通したはずだ。
この記事に、筆者個人の独断と偏見は、一切見られない。それは、「網羅性のあるブログ記事」を作成する上で、マイナスにしか働かない、ということを心得ているからに他ならない。言うならば「主観的な目線が入ると客観的根拠に欠けるためGoogleのアルゴリズム的に評価されず検索上位に表示されにくい」といったところか。
そこまで思い至った僕は、自分にとってこの記事は必要が無い、と判断して、そっと、タブを閉じた。キャップの穴からポニーテールを出すことを「ダサい」と感じる人の話は、僕の中で、無かったことにしようと思う。
正確に言うと、気にしないことにした。僕が「メッチャ良いやん!」と思ったものを、どこかの誰かさんが、「メッチャダサいやん!」と思う。そんなのは、よくあることだ。今に始まったことでもなければ、キャップとポニーテールに限った話でもない。気にする方が野暮、というものだ。
俺は俺の道を行く。
ゴーイングマイウェイ。
サンキュー、宮本浩次。