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【エッセー】絵文字問題の闇は深い feat.松村沙友理

松村沙友里の主張

LINEなどの絵文字の話になると、「私はLINEとかで絶対にこの絵文字は使われたくないっていうヤツがあって」と話し出した松村。

 画面に頬を赤く染めたスマイルの絵文字が映し出されると、「私、これを男性に使われたら『絶対に下心しかないやん』って思っちゃう」ときっぱり。「なんか、スケベ顔じゃないですか? ニンマリで」と続けていた。

画面に頬を赤く染めたスマイルの絵文字って、「☺️」のことを指すのかな。だとしたら、結構、使って来たんじゃないかなぁ・・・。コレ、使いやすいんだけどね。僕の感覚的には。それで「絶対に下心しかないやん」って思われるのは、正直、心外だなぁ・・・。まぁそもそも、スマイルの絵文字が間違ってました、だったら、ごめんなさい、なんだけれども。

「うーん・・・。」(スマイルの絵文字をザーッと眺める)

「画面に頬を赤く染めたスマイル」という特徴で、かなり絞られるんだよな。候補としては「☺️」「😊」「🤗」「🤭」「😚」の5つか。少なくとも僕のスマホはそう。最新かどうかは分からん。気が付いたら勝手にアップデートされていることが多い。あるいは、アプリのアップデートの際に、「iOSが~」って言われて、ハイハイと従うか、そのどちらかだ。極めて杜撰なタチである。

「スケベ顔じゃないですか?」っていう一言もなぁ。引っ掛かるなぁ。僕が見る限りでは、スケベ顔といったら、まぁ、コイツだな。「😚」。コレは確かに。松村沙友里の言わんとすることも分かる、と僕も頷く。

ただね、もしもさ、今回の記事に取り上げられている絵文字がさ、「😚」だったらさ、「画面に頬を赤く染めたスマイルの絵文字」って文言で紹介するのは、いささか説明不足ってもんよ。これは僕に非はない。メディアに非がある。もしもこの絵文字だったら、の場合に限るけどね。

だってさ、もっとさ、特徴的な部分があるじゃんね。口元とかさ。「😚」だよ。いわゆる「タコチュー」ってやつ。嫌でしょ。これはさすがに。送ったことないわ。逆に言うと、他の4つ、「☺️」「😊」「🤗」「🤭」は、送ったことあるんじゃないかな。あんまり、異性とか同性とか、性別を気にしながら、絵文字を選定したことはないけどさ。あっ、ハートは自重するかな。異性に送る際は。ベタだけど。

というわけで、松村沙友里が、どの絵文字を「絶対に下心しかないやん」「スケベ顔じゃないですか?ニンマリで」と言い放ったのか、僕には分かりかねたので、この項は打ち切りの形で終わらせていただく。消化不良で申し訳ない。僕もモヤモヤを抱えたままである。

願わくば、この番組を視聴していた人に、松村沙友里はどの絵文字が嫌だとカミングアウトしていたのか、教えてもらいたいものだ。


「絶対」に物思う

日頃から僕が抱えているモヤモヤの一つなのだけど、人との会話で、頻繁に「絶対」というワードが出て来ると、「うーん・・・」と思ってしまう自分が居る。気にし過ぎと言えばそれまでだが、「果たしてそれは『絶対』と呼べるものなのか?」と、疑問を呈したくなる瞬間が、僕には、度々ある。とりわけ、使用頻度が高い人ほど、その感覚が強まる傾向がある、

今回の一件だけで、「松村沙友里は『絶対』というワードを頻繁に使用するタイプの人だ」と、僕に決め付けることは出来ない。たまたま、ネットニュースが目に留まって、気になる内容の記事だったから、テレビでの発言を引用し、今日のネタにさせてもらっている身で、その仕打ちは無い。恩を仇で返すようなものだ。

そもそも僕は彼女のことを知らなさ過ぎる。「漢字変換、一発で出るんだなぁ」と驚いたぐらいだ。僕が思っているよりも、全然、売れっ子のアイドルの方なのだろう。前の項では若輩者が出過ぎた発言をしました。大変失礼しました。

・・・いや、これもまた、おかしい。そう言われてみれば、確かにそうだ。相手が自分よりも目上の者であると知ったタイミングで、手の平を返すように、ぶしつけな態度から、「はは~!」と、ペコペコと頭を下げるくだりは、『水戸黄門』を筆頭に、よく見られる光景であるが、果たして、あれでいいのだろうか。本当に。

僕自身、物心が付いた頃から、そういう光景(相手の身の上を知ってから態度を改めてペコペコする)を見て来たので、まぁそういうものなんだなと、違和感なく受け入れて来たフシがあるが、大人になった今、改めて考えてみると、相手の立場の上下で、自分の主義主張がコロコロと変わったりする輩は、僕は、イマイチ好きになれない。

そういう人のことを「付和雷同」だとか「風見鶏」などと形容することも覚えた。「権力に阿(おもね)る」という言葉も覚えた。そういう人のことを「腰巾着」と呼んだりすることも覚えた。どれもこれも、言葉を聞くだけで、嫌な気分がしてくるワードだ。にもかかわらず、はからずも、自分がしてしまっている、この事実。自己嫌悪の極みである。

ここで「目次」の”「絶対」に物思う”という表記を見て、僕は「あっ」となった。また、やってしまった。お得意の脱線である。「絶対」というワードの使い方について、僕なりの考えを筆記するはずだったのに、いつの間にか、お偉方にペコペコする行為について物思ってしまった。

やれやれ、僕は、物思ってばっかりだ。


そして性欲に走る

「松村沙友里の主張」の項で「タコチュー」というワードが出て来たが、その際に、戯れに、「タコチュー キス顔」で、画像検索をかけてみたのだが、まぁその、なかなかのものだった。アイドルと思われる人のタコチュー顔もあれば、一般人と思われる人のタコチュー顔もあって。僕の股間が「ムズムズ」の「ムズム」ぐらいは反応した。より生々しい表現をするのであれば、「挿れられるぐらい」といったところか。「どこに挿れるのか?」は、敢えて、秘密にしておくとしよう。

「・・・・・・・・・・」(生唾を飲み込む)

ココで僕は深く考える。果たして、セクシャルハラスメントに抵触するような発言をしていいものなのか、と。そもそも手遅れな気もするが。

今、僕は、ドストレートな下方向の発言を、書いて、打ち消し線を入れて、よし、と思ったが、思い直して、消した。あまりにも、下劣、且つ、「ムズムズ」の「ムズム」に達した元となったキス顔画像を引用した上で、そのような愚行を働くのは、取り返しのつかない事態に発展する恐れもあるのではないか、と感じたからだ。

もう一人の僕が「キス顔をSNSにUPする方もする方じゃないか」と言ってきたが、この主張は、あまりにも、自分都合が過ぎる。それを言い出せば、タンクトップ&ホットパンツの姿の女性に対して、「露出部分の多い服を着ている方が悪い」と言い出しかねない。「厳しい夏の暑さに順応するためにチョイスした服だ」と言われれば、何も言い返せない。

これだから性欲は怖い。見境が無くなってしまう。後日、振り返った時に「なぜ俺はあんなことを・・・。」と、後悔の念に苛まれた日々は、数しれず。恋仲ではない女性と共に外飲みをした時が、危ない。意外と、宅飲みは、危なくない。自分の貞操観念みたいなものを信用していないからこそ、対策がとれるのだと思う。外飲みは、危ない。ベタな話だが、終電を逃した時が、最も、危ない。

・・・よし。どうにかこうにか、己の理性をもって、性欲を鎮めることに成功した。「ムズムズ」の「ムズム」を「ム」以下にすることが出来た。より生々しい表現をするのであれば「ふにゃチン」である。これでは挿入など夢のまた夢だ。「どこに挿入するのか?」は、敢えて、秘密にしておくとしよう。

僕は、これ以上、キス顔で、性欲が滾らないよう、「癒されるタコチューキス顔ランキング俺的1位」の画像を、凝視することにした。

Octopus kiss

「良い写真だ・・・。」(ホッコリ)

僕は、幼女を見て、「ムズムズ」の「ムズ」ぐらいまで反応してしまって、「俺は子どもを純粋な心で愛でることすら出来ないのか・・・。」と、自己嫌悪の念に苛まれることがある。それと同時に、「疲れているのかもしれない・・・。」とも思う。

これは僕の経験則によるものだが、疲れが溜まって来ると、思考パターンが、邪(よこしま)な方向にばかり行ってしまって、いつも以上に、悶々とした日々を送ることになりやすい。

それを裏付けるように、直近の記事のタイトルは、

  • 川島海荷がサムギョプサル食べてる動画 feat.フワちゃん

  • サムネイルの女の子が可愛い

  • NHKの広告の女の子が可愛い

である。

そして今日は「feat.松村沙友里」と、やはり、年頃の女性のセリフから着想を得て、ココまで、文章を綴って来た。

「・・・・・・・・・・」(深呼吸)

「お盆前ですね。頑張りましょう。」(意味深)

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