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【エッセー】「なぜ関西弁口調に?」→「岡田彰布監督の真似事ちゃうかぁ?」

ピックアップしたいところやけど、膨大な量の語録が眠っているから、ちょっと自重するわ。阪神ファンじゃなくとも、野球に興味関心がある人やったら何となくは知ってるやろう。昨年の日本一のおかげもあってか、野球のこと全然知らん人でも、「おーん」とかは知ってそうやな。知らんけど。

「知ってそう」なのか「知らん」なのか、ハッキリせんかい。うん。僕もそう思う。でもな、「知ってる」とは言ってへんからな。「知ってそう」やからな。ギリセーフやで。そもそもの説得力が無いから。「知ってそう」には。「野球に興味無くても、岡田監督の『おーん』ぐらいは絶対知ってるやろ!知らんけど」って答える人もおるからな。そっちの方がアウトやろ。

まぁ、その話は、もうええわ。

別に、誰に聞かれたわけでもないんやけどな。言うならば、セルフツッコミみたいなもんや。突然、もう一人の自分が、自分に向かって、問いただしてきたんや。「なんで関西弁口調で記事書き出したんや!」って。僕自身、何となくの思い付きで、「せや、関西弁で書いたれ」と思って、それなりに手応えを感じたというのか、「あれ?書きやすくね?」と思ったから、そのまま続けてる、まぁ、そんな感じやな。

色んなSNSを触ってるけど、その中でも、noteは迷走してるねん。マガジンは、作っては消して、その繰り返しやし。他にも色々アイデアはあるんやけどな。試行錯誤を重ねた末にGOサインを出したにもかかわらず、いざ始めてみると、早々に頓挫する始末よ。そして残るのは「エッセー」ただそれだけ。何でもアリやからな。エッセーと言っとけば。知らんけど。

書きたいことはあるんよ。でもな、書き始めるとな、メッチャ時間食うねんな。「時間食い虫」ってやつやな。なんで「虫」って言われるんか、未だによくわからんけど。僕が子どもの頃から聞いてきた単語やわ。「時間食い虫」。「時間食う」でもええよな。なんで「虫」にしてしまったんやろ。「虫食い」みたいなイメージから来てるんかな。「〇〇をやると1日24時間の内の△時間を虫食いの被害に遭ったかのように無くなってしまう」みたいなニュアンスでな。知らんけど。

まぁ、その話も、もうええわ。

多分やけど、冒頭にもリンク貼っといたけど、岡田監督の影響がデカいと思うで。やっぱり記憶に残るやん。それはまぁ、関西弁だけが原因じゃなくて、岡田監督の話術っていうのか、スラスラ読めてしまう、あるいは、読みたくなってしまう、何かしらの魅力があるんやろうけど。関西弁で書けば岡田監督になれるわけじゃないんやけど。でも、そうは言ってもさ、「まずは形から入ろう」って言ったりもするやんか。この際、そういうことにしとこうや。

僕の周りの野球好きは「関西人」と「阪神タイガースファン」が多いから、偏りのあるデータなのは否めへんけど、「他の人が監督やってる時は読まんかったけど、岡田監督の記事やったら読んどこかって思うよなぁ~」って話してる人、多いんよ。「解説とか評論記事を読んだり聞いたりするのが好きでなぁ」って人も割と居るなぁ。そういう諸々の経緯もあって、「あっ、他の監督さんは読まへんのや…。」と思ってはいて。で、「読みたい!」と思わせる話を展開出来る岡田監督に少しでも近づけるならば、と考えた時に、手っ取り早い方法としては、自分も関西弁に変えてみる、それしかないよなぁって。

「解説:岡田彰布」から、この動画の存在を思い出したわ。凄いよな。コレ。他の野球解説者の人で、作業用BGMとして動画にUPされた人、おるんやろうか。僕は聞いたことないんやけど。あるなら教えて欲しいぐらい。もしも無いなら、それもそれで凄い。オンリーワン。ラストワン。フォーエバー・岡田彰布。

あとは、そうやなぁ、シンプルに、関西生まれ関西育ち、っていう属性を活用したいって考えも有ると思うで。これまでの人生で、両手で数え切れるか怪しい程度には、「関西人っぽくないよね(笑)」と言われて来たのもあるかもしれへん。どうやら僕は「関西人のソレ」に合致しないタイプらしい。どんなレッテルを貼られているのか分からんけどな。会話の語尾が「~じゃない?」の関西人っておらんのんか?(相手にもよるんやけど、結構、「~じゃない?」って言っちゃう人)

あと、文字で伝えるの難しいんやけど、イントネーションのアレコレもあるよな。「~じゃない?」も、関西人の人が使う「~じゃない?」は、やっぱ、どっかしら、なまってるというか・・・。それも踏まえたら、割と使ってる人多そうやけどなぁ。ちなみに僕の「~じゃない?」は、いわゆる「標準語」と呼ばれそうなイントネーションで使う時もあれば、ちょっと関西なまりが入ってる時もあったりする。僕自身、無意識で使い分けてるみたいやから、「この時はこう」って言えへんのやけどな。

でも、そう考えると、人間って凄いよな。瞬時に判断してるってことやろ。「あっ、この人に対しては、こういう口調で話そっ…。」みたいな感じに。個人差あると思うけど、僕は多分、その振れ幅、大きい方やと思うわ。自分で思うもん。「Aさんに対する自分とBさんに対する自分、同一人物なのか疑わしいわ…。」ってな。

例えば、Aさんは、ビジネス上の付き合いが主になっている関係性やったとする。一方、Bさんは、地元のツレで、物心ついた頃から仲良しの関係性やったとしようや。ていうか、逆に聞きたいくらいや。「こんだけ関係性が違ってても『Aさん仕様の自分』と『Bさん仕様の自分』を使い分けへんのんか?」と。

この手の話題になると、良く疑問に思うことがある。「人によって態度を変えるのは良くない」って教えがあるけど、あれはホンマなんか、と。むしろ、人によって態度を変えるのは当たり前なんちゃうか、と。だって「同じ人はこの世に二人として存在しない」って教えもあるわけやろ。「人を見て法を説け」なんて言葉も辞書に載ってるわけやろ。「画一化から個別最適化の指導法への転換」とかも言われてるよな。にもかかわらず「人によって態度を変えるのは良くない」って教えが残存している。これはホンマかいな、と。非常に疑わしい。少なくとも僕はそう思ってる。

スマン、話が逸れたわ。

岡田監督もヒートアップしたら話題が明後日の方向に行って、メディアから「癇癪を起こした!?」とか書かれてたりもするし、まぁええか。

言い忘れてたけど、関西弁口調で記事を書くようになってから、執筆に要する時間が削減されてる感じもするんよな。むしろコレが一番の理由かもよ。やっぱり人はラクしたい生き物やからな。ラクしても良いことはラクしたらええと思う派。その本能があるからこそ社会は日進月歩の勢いで発展し続けてるわけやからな。蔑むんじゃなくて、尊ぶべきや。

ほな。

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