【エッセイ】「今更俺がハライチ岩井を推す必要ないやろ」
昨日、6月16日(金)のお話。
たまたま「ペンディングトレイン」というドラマ見て「上白石萌歌、目がまんまるしててかわいいなぁ」など思いながら、ボーッと見終えた後、A-Studioが始まった。
で。
元来、トーク番組は割と好きなタイプの僕は「お、この時間にやってんのか」「鶴瓶師匠は相変わらず元気そうで何より」「キスマイ藤ヶ谷も結構長そうねぇ」などと思いつつ、番組を眺めていたわけだが。
「今回のゲストはハライチです!」
そんなテロップが「ドン!」と出て、僕は「おっと」と、少々、身構えた。
なぜ身構えたのか?
僕は、割と長い間「ハライチ岩井はいいぞ」と、密かに布教活動に勤しんでいた経験があるから。
なんなら、最近、思い付きで書き始めた、このエッセイも、はなからマネしようとしたわけではなくとも、岩井勇気のエッセイ本に影響されているのは、まず間違いなく、ある。
もう一つオマケに付け添えておくと、大泉洋のエッセイ本にも影響を受けているだろうな、と、僕は思う。むしろ、こっちの本を読んだ時に「なんか俺も書き残してえなぁ・・・」と感じた記憶が、根強く残っていたりもする。
・・・まぁ「なぜ僕がエッセイを書き始めたのか?」という理由を洗いざらい書き出すのは、今回のテーマから外れるので、やんわりと「色んな作品から影響受けてますよ」って感じで終えておくとして。
そんなこんなで、僕は、ことあるごとに「岩井は『じゃない系』で括ってはならない」だとか「とりあえず『ハライチのターン』を聴け。話はそれからだ」などと、ぶっきらぼうな物言いではあったが、僕なりに、岩井勇気の魅力を、周囲の人間に伝えてきたつもりだ。
だけどさ。
別に、もう、必要ないでしょう?
みんな、岩井の面白さ、知ってるでしょう?
「知った」というよりも「気付いた」とか「発見された」と言った方が、より真実に近いのかもしれない。「なんだ、岩井ってこんなおもろいやつだったのか!」みたいな。驚きの感情も伴うような。そんな感じ。
特に、僕の身の回りには「ハライチのターン」で岩井のフリートーク部分を切り抜いて、繋げて、一つの長編動画にして、作業用BGM代わりにどうぞ、みたいなヤツが、好評を博している。
参考までにYouTubeのリンクを貼っておいたが、おそらく、色々と探していけば、数限りない量のフリートーク集が、次々に出てくると思われる。それも、現在進行形で。
「ハライチのターン」内でも、たびたび、YouTubeにアップされている音声動画に触れられることがある。「違法アップロードですよ?」という、毒付く、もとい、岩井らしいスパイスを添えた上で。
おっと、怒られてしまった。
ごめんなさい、つい。
言葉のチョイスを間違えましたね。
で。
そんな風に、色んな感情とともに、A-Studioを眺めていると、母親に「リュウ(僕の呼ばれ方)の好きな岩井が出てるやん」と言われて。
そこで、僕は、こう返したわけだ。
「まぁねぇ・・・岩井ねぇ・・・」
「まぁ別に、もう、いいかなぁって・・・」
「なんていうのか・・・」
「今更俺がハライチ岩井を推す必要ないやろ」「そんな感情?w」
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僕は、そういうところが、結構ある。
ONE OK ROCKは、活動休止期間を経てからの楽曲『完全感覚Dreamer』以降にボンッと来た気がして、熱が冷めて行ったり。
UVERworldは『CORE PRIDE』が青の祓魔師のオープニング曲に使われた辺りから、デンッと来た気がして、熱が冷めていったり。
back numberは『青い春』でMステに出演して以降、人気に火が付いた気がして、熱が冷めていったり。
・・・とまぁ、簡単に列挙してみたのだが、各々の熱狂的なファンからすると、ちゃんちゃらおかしい内容になっている可能性は、結構高い。
なぜなら、あくまでも、僕の身の回りで感じた部分によるものが大きいからだ。あと、僕がそこまで「音楽関係ガチ勢っす!」ってわけではないのも、あるだろう。
こうやって自身の発言に保険をかけがちなのも僕の悪い癖である。
まぁ、真偽は、置いておくとしてさ。この感情、いったい、なんなんだろうね。自分事ながら、疑問に感じることが、多々ある。
僕の知ってる言葉で形容するならば「天邪鬼気質」だとか「生来の捻くれ者」だとか、そんな風に片付けてしまうことが、多いのよね。まぁそれも、間違ってるとも思わないんだけどさ。
なんだろう・・・。
もっと深掘りしようとすると、心の奥底に潜んだ、センチメンタルな感情が、表出して来そうな。そんな気がしてさ。
勘違いも甚だしい、と前置きした上で、敢えて書かせてもらうならば、
「ああ、もう、私だけのものじゃないんだな」
こんな感情が無いと言えば嘘になるんだろうな、とは思う。
もちろん、世界の中で自分しか彼らの魅力に気付けていない、などと思い込んでいるわけではない。「僕の周りでは」という意味での「私だけのもの」である。
にもかかわらず、なのか、だからこそ、なのか、そんな彼らのことを「もっと評価されるべきだ!」と布教したくなる感情。これも、改めて考えてみると、なかなかに分からない。
心のどこかでは「僕はアナタよりも審美眼に優れているんだ」みたいなマウントを取りたいのか、それとも、ただ純粋に「もっと知られて欲しい」「ブレイクして欲しい」という親心に近いものなのか。
だけど、もしも後者であるとするならば、念願叶ってブレイクしました、となったら、「じゃあもう私が布教する必要はないね」「次に参りましょう」っていうのも、それはそれでおかしい。
う〜ん・・・。(悩)
色々と思案してはみたものの、結局、しっくり来る結論は出なかった。なんだか「不時着」みたいな話を展開しちゃって、ごめんなさい。
だけど、たとえ、論理性に欠けていたとしても、言語化が出来ていなかったとしても、心のモヤモヤみたいなものは、確かに存在している。これは紛れもない事実。
まぁ、なんだろう・・・。
最後、綺麗な終わり方にしたいよね、という、魂胆も込みで、と断った上で、だけど・・・。
人間関係でも「良い時に群がって来て、悪い時に離れて行く人は信用ならない」と言われるようにさ。
今この瞬間を切りとけば、誰がどう見てもブレイクしていて、その光景を端から眺めて「あぁ、別にもう俺が推さなくて良いな」と、若干、冷ややかな視線を投げかけていたとしても。
その後、ブレイクが落ち着いて、もっと時間が経つと、ニュージェネレーションが世間を賑わせて、あんまり見かけなくなったな、と感じた時にはさ、「ようし俺の出番だ!」と思える人では、ありたいよね。
客観的根拠を示すものは何もないんだけど、僕は、そういうところがあると、自負している。
そんな僕は、当時、大人気MMORPGともてはやされ、北乃きいちゃんが「めいぷるめいぷるぷ〜るぷる♪」と歌ってるCMも話題になった「メイプルストーリー」を、今現在もプレイしている。
世間では「オワコン」とすら言われなくなった「真のオワコン」という位置付けのゲームではあるけれど、やっぱ、自分を形作る一つには違いないから、離れられないんだよね・・・。
話の流れで大体察することが出来ると思うけど、僕は、ミニマリズムの考えに素晴らしいと思いつつも、いざ捨てるとなると、なかなか行動に踏み切れず、二の足を踏んでしまう、そんなダメ人間でもあります。
今日は、そんなお話、ということで。
なんか、とっ散らかりましたけども。
まとめるのが困難なので、放棄します。
m(_ _)m