【夢日記】<中③>鳴かず飛ばず
※これまでの内容
【前回の終わり部分を引用】
>かくして、”見習いパワーストーン占い師”、として、僕の新たな旅が、スタートすることになったのだが・・・。
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とりあえず、”習うよりも慣れろ”、というわけで、「パワーストーン占い」の鑑定の流れは大体こういうものだ、と知るために、礼二さんが相談者の役となって、「こういう時にはこういう質問を返せばこういう返答がかえってくる」といった、コミュニケーションの部分をレクチャーをされていた。
僕は、占いを本格的に学ぼうとする以前から、「ああいう仕事柄の人は『心理学的な見地』が絡んでいるのではないか?」、といった見立てをしていたのだが、礼二さんの説明や「占いマニュアル」と呼ばれるものを見聞きしていると、”あぁ、僕の見立ては、あながち間違っていなかったんだなぁ”、と思えた。
そんなこんなで、礼二さんに「占い師のセンス有り」と見込まれて、逆にそれがプレッシャーになりつつも、懸命に受け答えをしていたのだが、”コミュニケーションの面は大丈夫そう”、との評価を下されて、ホッと一安心した。
礼二さんいわく、その界隈で名の通ったベテラン占い師であれば、「アナタ、〇〇でしょう?」と言った具合に、ズバッと言い切ってしまっても、実績とネームバリューから来る説得力によって、相談者は、ズバリ言い当てられたような心持ちになるものだが、まだ名が知れていない若手占い師は、よほどのカリスマ性を有していない限り、むしろ逆効果で、相談者の心が離れて行ってしまうとのことだった。
これは僕も納得が行く話だった。例えば、「ズバリ言うわよ!」でお馴染みになった細木数子さんをイメージすれば分かりやすいと思う。あのフレーズは、細木さんが言うからこそ説得力を増すのであって、他の、特に見知っていない占い師に突然言われても、「えっ、いきなりなんだろう・・・」と身構えてしまって、心を開くどころか、心を閉ざすことになりかねない、そう思えたからだ。
つまり「何を言うか」よりも「誰が言うか」の方が重要なわけだ。その点は、自分がコミュニケーションについて興味関心を深めていった、高校生の頃ぐらいから、意識的であれ無意識的であれ、頭の片隅にあったため、礼二さんのレクチャーも、スンナリと頭に入って来たし、僕なりに、実践することが出来たのであろう。
しかし、僕は、大きな壁にぶち当たることとなった。
”器用さ”
僕は、相談者とコミュニケーションを取りながら、それと並行して、パワーストーン占いを進めていく工程が、極めて苦手だったのだ。
つまり、”口を動かしながら手を動かす”、という作業が、僕にとっては「マルチタスク」に感じてしまうらしく、両方を同時に行なおうとすると、両方とも満足に行なえなくなってしまうのだ。
「口を動かす」ことに集中していると、コミュニケーションばかりに意識が向いてしまって、「手を動かす」ことがおざなりになってしまう・・・。
「手を動かす」ことに集中していると、パワーストーンばかりに意識が向いてしまって、「口を動かす」ことがおざなりになってしまう・・・。
最初は、礼二さんも、「何事も『慣れ』が肝心だから!」と、励ましてくれていたのだが、一向に上達する気配がない、むしろ、気持ちばかりが焦ってしまって、ケアレスミスも目立つようになった僕に、「一旦、クールダウンしようか?」と、苦笑いが強めの笑みをたたえながら、声を掛けてくれた。
その声は、優しい口調ではあったものの、僕にとっては、”痺れを切らしたような”、というニュアンスも感じ取れた。
僕は、気を遣わせて申し訳ない感情や、自分の可能性を信じてくれている方を失望させたくない感情など、諸々が綯い交ぜ(ないまぜ)となって、どうリアクションしたら良いか分からなくなってしまい、ただただ、仏頂面で、焦点が合っているのか良く分からない視線を、礼二さんに向けることしか出来なかった。
礼二さんも、さすがに僕が、これほどまでに不器用だとは思いもよらなかったらしく、「ココでつまずいてしまうのか・・・。」と言わんばかりの、沈痛な面持ちだった。
僕は、こうなると、生来のネガティブ気質が、すぐ顔を出してきて、「やっぱりダメか・・・。」と、鬱屈とした気持ちで満たされてしまう。
そうなると、「他の人がつまずかないところでつまずくのが僕の特技だからなぁ・・・。」と、自虐癖も顔を出してくる。まさに、負のスパイラルにハマッてしまった。
・・・・・・。
僕と礼二さんの間では、気まずい沈黙が流れていたのだが、その空気を振り払ってくれたのも、やはり、礼二さんだった。
~「中④」へ続く~