【脱線】「ステキやん」からネットサーフィンの魔力に溺れた男の末路 浜脇流星 2024年10月23日 06:24 今日分の記事を執筆している途中、「ステキやん」って言い回しが頭に浮かんできて、「なんか島田紳助のイメージあるよなぁ・・・。」となって、なんだか懐かしくなって、「ステキやん 島田紳助」でググったのが、終わりの始まりだった。まずはWikipediaをガーっと目を通しまくった。島田紳助の周辺の人物を。島田洋七は「M-1で審査員してた人」ぐらいしか認識になかったのもあって、「えっ、師弟関係やったんや。島田洋七は島田紳助の兄弟子やったんか・・・。」と、強いインパクトを覚えて、島田洋七に関する情報を、結構、読み漁った気がする。そこから、漫才ブームの変遷(これは前から何となく知ってた気もするが)に興味が移り、「あ〜、この人らあのネタ、見たくなってきたなぁ・・・。」という欲求が生まれてしまった。文字媒体で止めておけば良いものを・・・。人間の欲求はとどまるところを知らない。このご時世、ユーチューブで検索をかければ、何でも出てきてしまうもので。便利過ぎるのも考えものだと思う。「現代人は情報過多にならぬよう取捨選択が大切になってくる」なんて話を耳にするが、全くもって、その通りだと思う。往年の漫才師のネタを次々と見まくった。なんならネタを流しながらコメント欄もチェックしている自分が居た。ユーチューブに限らず、こういう文章を追い続けると、あっという間に時間が過ぎることを、僕は幾度となく経験している。そのたびに後悔することになるのに、ちょっと油断すると、凝視している自分が居る。大体、この類いに目を通すと、口論的なモノが起きていて、自分は何も関与していないにもかかわらず、一人、心を痛めて、「あっ、いけないいけない・・・。見ないようにしていたのに・・・。」と、後味が悪いまま、ページを閉じるパターンが多い。だったら見なけりゃいいのに、と自分でも思うのだが、それでも見てしまう不思議。気が付けば早朝はおろか朝になっていた。この事実にも軽い絶望感を覚える。多くの人が活動を始めるタイミングで自分は活動を終える。「俺は長いものには巻かれぬ主義なんでね」と嘯いてきたが、三十路オーバーにもなると、「トガる」ではなく「イタい」が先行してくるように感ぜられる。そして今日も、最悪な気分のままベッドにダイブして、人肌恋しさを紛らわすかの如く、抱き枕のクマを2匹抱いて、眠りにつくのだった・・・。同棲を経験すると(同じベッドで恋人と寝るのが習慣だったのを経験すると)、抱き枕無しでは寝付けない身体になってしまうと思うのだけど、みんなはどう思う? いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #動画 #お笑い #芸人 #お笑い芸人 #漫才 #素敵 #ネタ #松本人志 #ダウンタウン #ステキ #島田紳助 #ネットサーフィン #浜田雅功 #脱線 #島田洋七 #漫才ブーム