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【エッセー】水谷怜が可愛い

Instagram

Instagramのアプリを開いて、虫眼鏡のマーク(検索窓を出す場所)を開いたら、利用者のアルゴリズムから導き出された「こんなのがお好みではないですか?」という投稿画像が、バーッと表示される仕様だと思う。間違っていたら、ごめんちゃい。(謎の可愛さアピール)

チャイティーはあまり好んでは飲まないかも。

その画面に出て来たのが、冒頭にリンクを貼った、とある女性の顔写真。他にも、沢山の画像が表示されているにもかかわらず、瞬時に、彼女の満面の笑みが、認識に上がって来た。気が付いた頃には、彼女のアカウントに飛んでいた。

Instagramに掲載されている画像を一通り眺めたことで、彼女は、ミュージシャンとして活動されていることが分かった。どうやらヴォーカルを務めているらしい、というのもうかがえた。僕は彼女がどんな歌声で曲を歌っているのか気になった。また、自分で歌詞を書くならば、どんなリリックを刻むのかも気になった。これは一種のエゴであろうが、作詞も作曲も自身で行なった楽曲を歌っていて欲しい、とも思った。

彼女の属性について軽く知ったところで、一番初めに見た、満面の笑みを浮かべている画像に戻って来た。あかん。可愛すぎる。また語彙力を失いそうになる。人は可愛いものを見たら何にも言えなくなるらしい。「壮観な景色を見ると言葉を失う」といった話を聞いたことがある。それと似ているかもしれない。「大好きな笑顔を見ると言葉を失う」。なお、「言葉には出来ないが自身の顔も同じように綻んでいる」も付け加えておきたい。

願わくば彼女のような女性と付き合いたいものだ、なんて贅沢なことは言わないから、せめて、今よりもまだ、異性と触れ合う機会の多かった学生時代に、彼女のような女性と交流をもって、思い出の1ピースに加えておきたかった。たとえ、学校を卒業してからは疎遠になったとしても、思い出はいつまでも、色あせることはないから・・・。

僕は、過去の出来事を思い出して物思いに耽ることを、高頻度で行ってしまう癖がある。それでいて「前後裁断」の生き方を志しているらしい。何とも笑えない冗談である。


Twitter

InstagramのアカウントにTwitterのアカウント名が記載されていたので、いったい彼女はどんな呟きをしているのだろうか、と気になって、飛んでみた。

バーっと眺めた限り、諸々の活動を簡潔に伝えるツールとして利用しているみたいだった。いわゆる「ポエム」的な投稿は行なっていないようだった。

なお、この場における「ポエム」は、蔑称的な意味合いは、一切入っていない、むしろ僕にとっては、最上級の褒め言葉にも成り得る表現であることも、併せて記載しておきたい。

僕は、いわゆる「ポエム」と呼ばれる文章が大好きな人間だ。書くのも読むのも大好きだ。そこに人間味が凝縮されている気がしてならないからだ。「ポエム」を馬鹿にするような輩は、自分の人生を謳歌していないからだと、本気で思っている。

どうやらTwitterは告知用として利用しているらしい、ということが、薄々分かって来てからも、僕は、スクロールする手を止めなかった。どこかに「おっ!」となるものが転がっていやしないか、という淡い期待が、僕の手を突き動かしていた。

その”淡い期待”によって、全投稿に目を通してしまい、結局収穫ゼロ、みたいな結末も、僕は何度か経験したことがある。

そこで出て来たのが、冒頭にリンクを貼ったツイートである。ちなみに『here,there and somewhere』とは、曲のタイトルを指している。ちなみのちなみに「作詞作曲・水谷怜」である。・・・と、思う。おそらく。明記してないけど、多分、間違いないはず。そうじゃないと「私の『ヒアゼア』を!」とは書けないだろう。

話を冒頭に貼ったリンクのツイートに移す。

”君の言葉はふと浮かんで背中を押すんだ”

この手の歌詞が話題に上がると、決まって「君ってアナタだと誰のこと?」という質問が行われるが、僕はそれを好かない。強いて言うならば「その時その時で変わる」としか言えない。「少なくとも今の気持ちとしては」と前置きを入れてから、特定の人物の名前を出したにもかかわらず、相手からは「アナタは〇〇(特定の人物)の言葉がふと浮かんで背中を押される時があるんだね」と受け取られるのが、もどかしくって、しようがない。

カミングアウトすると、僕は、恋人の存在があるにもかかわらず、ラブソングを聞いた時に、恋人とは別の女性を思い浮かべることがある。また、そのことを正直に、恋人に打ち明けたことすらある。そして僕は、言った。

「浮気という字は『浮ついた気持ち』と書く。つまり『目に見えない気持ち』が重要なんだ。『目に見える行為』は重要じゃないんだ。この解釈に照らせば、僕は、『浮気』をしていることになる。そんな僕とこれからも付き合ってくれるのかい?」

と。

僕の唐突な”迷文”を受け取った彼女は、いったい僕が何を言いたいのか分からない、といった、困惑とも取れる苦笑いを浮かべながら、曖昧に、頷いていた。その姿を見て、僕もまた、苦笑いを浮かべた。

後日、その彼女とカラオケに行った際、「なんでワタシ(恋人)と一緒にカラオケに来てるのに失恋ソングばかり歌ってるの?」と、不満げな口調で尋ねてきたことを、今でもハッキリと記憶している。僕は、確か、適当に、はぐらかして、その場をやり過ごしたと思う。その記憶は曖昧だ。

だが、「目に見えない気持ち」ではなく、「目に見える行為」で、愛情を推し量ろうとする彼女に対して、もうそろそろ潮時なのかもしれないな、と、心の中で、終焉を予感したことは、何故だか、ハッキリと記憶している。


Youtube

ココまでの記述を通して、センチメンタルな気分に浸っている僕は、InstagramのアカウントにYouTubeチャンネルのURLも記載されていたのを思い出し、彼女が歌っている動画をチェックしてみようと思い立った。

ただただ、音楽が、聴きたくなったからだ。それも、女性の歌が、聴きたくなった。そういう気分の時が、僕にはある。「男性の歌が聴きたい」と思うことは無いが、「女性の歌が聴きたい」と思うことはある。「音楽が聴きたい」と思う時は、男性の歌も女性の歌も聴くのだが。結果的に、女性の歌を聴く機会が、僕には多い。

僕は、無性に、チャットモンチー、もしくは、橋本絵莉子ソロの楽曲を聴きたくなる周期が、定期的におとずれるように、プログラミングされている。

彼女のYouTubeチャンネルに飛んでみると、オリジナル曲よりも、カバー曲を、多数UPされていることが分かった。そりゃあそうか、と思った。自ら作詞作曲するとなると、そうポンポンと、新しい曲を生み出すことは出来ないよな、と思ったからだ。また、カバー曲を通して、新たな発見や学び、閃きや着想も得られるんだろうな、とも思った。

シンガーソングライターの知り合いが居るわけではないから、想像の域を出ないけれども、ともかく、一つだけハッキリと言えることは、ゼロからイチを生み出せる人は、総じて、カッコ良い。内容の出来不出来ではなく、その行為自体が、カッコ良い。僕はそう思う。

そんなことを考えながら、彼女の楽曲を聴いていると、あっという間に時間が経つ。1曲5分換算で考えると、僕が物思いに耽る時間って、いったいどれだけ長いんだろう、と思った。オリジナルの楽曲を、1曲、また1曲と、ポンポン聴いた。「関連動画」の欄に上がって来るのだもの。聴いてしまうよ。そりゃあもう。

素敵なBGMで有意義な時間を過ごせました。どうもありがとう。MVに関して感想を少々。画像で見た時のキュートな印象と、相違無い仕草や表情を見せたかと思えば、オトナのオーラを身にまとうような立ち振る舞いもあったりして、ちょっとドキッとさせられもしたり・・・。あどけない笑顔が似合う女性だと思っていたのですが、真顔で見つめられるのも、心を持って行かれそうな感覚を覚えました。

僕は、”ギャップ萌え”に滅法弱い人間です。笑顔と真顔のコントラスト。ココに、彼女の魅力を感じた次第であります。例えるならば、陰と陽。僕は、「陽キャ」「陰キャ」と、単純に分けられるものではないと思っています。人間は、誰しも、陰と陽、両面を持っている気がしてならないのです。「多重人格者」なんて言葉があるけれど、そもそも人間は、みな、多重人格者ではないかしら、と思うことさえもあります。

失敬、自分語りが、少々、過ぎてしまったようですね。

・・・そんなことより、

24×18 / 水谷怜|MV|スクリーンショット

この女の子、ください。(小並感)

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