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【エッセー】スキが5以上付くとプレッシャーを感じる小心者

「昨日の記事、スキが10も付いとる・・・。」

これは間違いなく初めての経験や。ていうかそもそも、スキが10付くことすら、非常にレアな現象なんや。それがなんと、昨日の今日で、10だなんて・・・。

えっと・・・、こういう時って、「皆さんありがとうございます!」「沢山のスキが付くと励みになります!」的なノリになると思うんやけど、ん~っと、そういう気持ちが、無いわけでは、無いんやけど、なんやろう、それより、もーっと強烈なエネルギーとして、「ちょっとさすがに10スキは荷が重いわぁ・・・。」って、尻込みしてしまう自分が出て来るんよなぁ。この気持ち、誰か、分かってくれるかい?

正直に打ち明けると、今日、寝て起きて、昼頃に、チラッとnoteを開いたんやけど、その時点で、スキが、5以上はあった・・・かなぁ、確か。それで、「うわっ!」ってなって、「やっべ、今日のネタ、何にしよ、なんか、メッチャ、ハードル上がった気がするんやけど・・・。」って、わなわなしてきてさ、参ったのよ・・・。

noteを開いたっていうのも、「どや!プロペラ恐怖症の話!おもろいやろ!伸びるはずや!」と思って、開いたわけじゃないねん。フォローしてる人の記事を、ちょっと目を通そうかなぁって思っただけなんや。軽い日課というかな。スキマ時間にサクッと。目についたもんを読む、みたいなさ。

これまた、正直に打ち明けるけど、「いやあ、今回のネタは、ちょっと、良い反応貰えるかもわからんなぁ・・・」って、自画自賛したくなる時も、あるにはあるねん。僕の感覚の中で、「今回は筆が進んだなぁ・・・!」みたいな時がさ。

でもな、そういう時って、決まって、芳しい反応が得られないわけよ。「期待すれば裏切られる」とはよく言ったもんやで。僕はこの言葉、イマイチ、好きになれへんのやけどな。でも、一つの真理やとは思う。それでも、期待しては裏切られ、その繰り返しの中で、僕の心は、少しずつ、少しずつ、鍛えられていくのであった・・・。なんつって。

・・・いや、そういう話じゃなくって。

とにかく、「うわ~、スキが付くと、いつものノリで書きづらいなぁ・・・。」って思ってたら、フッと、閃いたんよ。「そうや、この状況を、今日のネタにしてしまえばいいんや!」とな。

タイトルは「スキが5以上付くと~」にしてみたけど、ぶっちゃけ、僕的には、3ぐらい付くと、「おっと・・・。」ってなるけどな。うん。「1~2」辺りが、居心地的には、ちょうど良いっていうか・・・。うん。そのくせ、「0」やと、「あっ、こんな話は誰も興味が無いのか・・・。」とか思ったりな。

そう考えると、数字に振り回されてるんやろうか。振り回されてる感覚はそこまで無いんやけどな。これが難しいところや。「書きたいものだけを、書いていきたい。」をモットーに掲げながらも、「0」がずーッと続くと、おそらく、「ちょっと軌道修正を図るか・・・。」となるやろうから。「そのやり方は『書きたいものだけを、書いていきたい。』に反するのではないか?」と問われたら、「うっ、確かにそうかもしれん・・・。」と、うなだれる他は無いやろう。


「・・・あっ!」

そうや。取り留めも無い文章を書き散らかしてたら、ふと思い出した。確か、noteのアカウントを作成して、記事を書き始めて間もない頃に、「ハードルは低い方が良い」みたいなタイトルで、つらつら~って、思いの丈を書いてたような・・・。

おぉ、あったあった。これや。「#8」とか書いてる。この頃は、ナンバリングシステムを採用してたんやな。はえ~・・・。てことは、8本目の記事なんや。そう考えると笑えて来るなぁ。

見て。ほら。2022年の6月3日やって。UP日。それもまた笑えるよな。あと「05:08」も笑える。これって午前の5時過ぎってことやろ。相変わらずのUP時間やな。多分、今から寝るんやで。この人。昼夜逆転の生活スタイルも変わってないなぁ。アハハ・・・。(自己嫌悪も伴う笑みを浮かべる)

ほんでまた、丁寧に、見出しも設定されてるけども、今の僕と、何ら変わってないような・・・。本文はチェックしてないけどな。なんか気恥ずかしいやん。過去の自分が書いた文章って。怖いもの見たさで見たくなる時はあるけども。確かに。でもそういう時の方が稀やな。あと、僕の場合、お酒が入ってないと、なかなかね・・・。シラフの状態で黒歴史を覗く勇気が無いねん。そういうところも小心者たる所以かもしれへん。

特にTwitterとかはそうやな。あれってさ、僕の感覚で言うと、気軽に「いいね」が押されるし、気軽に「リプライ」も来るイメージあるねん。だから、それだけに、「通知〇〇(件数)」の欄をチェックするのに、抵抗感があるというのか・・・。

情けない話やけど、シラフ状態やと、あっこは、押せる気がせんのよ。「罵詈雑言を浴びてたらどないしよう・・・。」みたいなさ。ネガティブなイメージばかり、エンドレスに広がっていくというのか。そういうのだけは上手いねん。ポジティブなイメージを思い描くのはヘタクソやねんけどな。まったく、どないなってるんや。

そう。そんな人にオススメなのがコレ。「防衛的悲観主義」。事あるごとに思い出すワード。大野将平さんに教えてもらった。ビビッと来た。僕にピッタリやないかと。「そうか、そういう考え方もあるんか!」っていう発見もな。『龍が如く』で例えるなら「我、天啓を得たり」といったところか。

試合2週間前、大野は言った。「自分が負ける姿を想像して、どうしたら負けるのかだけを考えている」。稽古では常に最悪を想定し、体調が悪い時の準備さえもしておく。自分の弱点にだけ目を向け、嫌なことをつぶしていく。一寸の隙を埋める作業だった。「マイナス、ネガティブなことを考えて勝利をもたらす。防衛的悲観主義」と説明する。この5年、その思考で稽古に励んできた。

うんうん。そうそう。東京オリンピックで金メダルを獲得したのもあって、この「防衛的悲観主義」って考え方が、お茶の間に浸透したんよな。多分。人によって受け取り方は様々やと思うけど、僕はメチャクチャ刺さったで。毎回言うもん。「柔道の大野将平さんをリスペクトしてるんや」って。もちろんこれからも言い続けるで。よろしゅうに。


ココでちょっと、ふと気になって、noteの「ダッシュボード」をチェックして、これまでにUPした記事を、「スキ」が多い順番に並び変えてみた。こういうのは不思議と抵抗感は無い。なんやろうな。「コメント」が付くと、結構、「おっと」とはなるかも。僕もイマイチ基準が分からん。OKラインとNGラインのアレが。

最初、記事のリンクを載せる形で行こかなと思ったけど、個人的な好みとして、自分が書いた記事のリンクをポンポンと貼るのは、ちょっとどうなんやろ、と思うタイプなので、これで行くことにした。他人様のやつなら、また違うんやけどな。あっ、あくまでも、僕個人の考えに過ぎないので、悪しからず。

「10スキ、2記事だけやぞ・・・。」

これは別に、「数え切れないぐらいの記事をUPしてきたのに、たったの2記事かよ!」って意味じゃないで。「3記事目の10スキのスピード、エグ過ぎるやろ・・・。」という驚嘆の声、と表現するべきやろうな。

よく見てみると、「トンボの空飛ぶ自転車は危ないって子どもの・・・」ってタイトルの「スキ」は「8」になっとる。これはなんやろ、更新タイミングの問題かもわからんな。明日になったら「10」になってたりするんかな。多分。

ていうか、「トンボの空飛ぶ自転車は~」ってやつ、「ビュー」が「11」に対して、「スキ」が「8」やねんな。エグない?これ。11人の方に記事を開いてもらって、その内8人の方に、スキを押してもらったってことやろ。冷静に考えるとビビる。

「すんません、そんな、良いもん書けないんですけど、僕なりに、精一杯、やらせてもらいますねぇ、エッヘッヘ・・・。」って、へりくだりたくなる。隙あらばハードルを下げたい癖が強過ぎて。ふぅ・・・。(数字見てると気分悪くなっちゃう人)


「・・・あっ!」

また思い出した。確か、UVERworldの曲に、今回のテーマと、ちょっと絡んでくるような論調の歌詞があったなぁって。「ウーバーの曲の歌詞とタイトルが一致しないマン」を自称してる僕は、うろ覚えの歌詞を入力しては検索、を数度繰り返して・・・。

分かる人だけでいい
分かってくれる人だけでいい
そんな程度の想いで今
歌ってるわけじゃない

「そうそう!これこれ!」

うん・・・。これなぁ。UVERworldとして、長年、音楽業界のトップランナー(って表現で良いんやろうか?僕はそう思うんやけど)として突っ走って来たからこその歌詞やんなぁって、思ったんよ。凄い印象的なフレーズでね。「あぁ、俺なんかとは、全然違うモノサシで、世界を見てるんやろうなぁ・・・。」ってさ。

まぁ、別に、どっちが正しいか、とかじゃなくて、おそらく、段階の問題やと思うんよね。多分、ウーバーにも、「分かる人だけでいい」「分かってくれる人だけでいい」の思いで、音楽を届けてる時期があったと思うのよ。例えば、小規模のライブハウスとかさ。(音楽やったことないヤツが憶測で語ってるから的外れなこと言ってたらごめんな)

で、ブレイクして、一定の地位を確立して、今がある、っていう感じやと思うんやけど、そんな中でも、「まだまだ俺らは満足しちゃいねえぞ!」「こっからもっとビッグになってくぞ!」的な熱量を感じる、熱いフレーズというのか・・・。うん。ええなぁって。こういう年の取り方したいなぁって、心底、思ったよね。

正直、今の僕は、「分かる人だけでいい」「分かってくれる人だけでいい」って気持ちやろうし、なんなら、「自分が書いてて楽しいと感じられるならそれが一番じゃないか」って感覚も結構ある。「誰かに届けたい」って意識は、う~ん、全く無い、わけでもないけど、でもやっぱ、「自分自身のために」って感覚で書いてるかなぁって。

思考の整理っていうんかな。書きながら、もう一人の自分が、「そうそう。オマエってそういうトコあるよな」って、相槌を打ってるような感覚があったりもして。自己理解の一助としてのnote的なね。逆に、「えっ、そんなコト考えてたんや!」って、自分が書いた文章で、新たな自分を発見したりする時もあるからさ。そういうのって、ちょっと楽しい。いや、かなり楽しい。だから続けられるんやろうな。うん。

・・・締め方が迷子状態なので、ここらへんで終わっとく。

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