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【エッセー】「チェリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」

どうぶつの森をプレイしていて、さくらんぼの木を揺らして、実を回収して、たぬきちのお店に売却する作業をしながら、僕は、

「チェリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」

と、気分良く口ずさんでいた。

そう。みんな大好きサザンオールスターズの曲に出て来るフレーズのことだ。僕は、さくらんぼを見かけるたびに、「チェリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」と、口ずさみたくなる。TPOをわきまえて、グッとこらえることもあるが、心の中では、ちゃんと、口ずさんでいる。

そもそも、さくらんぼを見かけるシーンは、大体、気分が良い時だ。例えば、パフェを注文したら、上にちょこんとさくらんぼが飾り付けられていました、とか。見た目も可愛いし味も美味しい。気分が悪くなるはずがない。「チェリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」と口ずさむ条件が揃っている。「さくらんぼの有る人生は幸せだ」と言っても過言ではないはずだ。

・・・だが、そんな信念を持ち合わせていた僕を、大いに驚愕させる事実に、今日、気付いてしまった。


エリー My love so sweet


「えっ?チェリーじゃないの!?」


30年以上生きて来て、物心が付く前ぐらいから、この曲のフレーズは耳馴染みがあるけれども、今の今まで、「エリー My love so sweet」ではなく「チェリー My love so sweet」だと思い込んでいた。気付いてからはずっと、狼狽しっぱなしでありながらも、「穴があったら入りたい」という言い回しは、こういう心情の時に用いる言葉なんだって、冷静に受け止めている自分も居る。

おそらく後者の自分は「自己防衛本能」から来るものではないかしら。「俯瞰癖が有る」「自分事を他人事のように話す癖が有る」などと述べることがあるのだけど、それもおそらく同じ。受け入れがたい現実を真正面から受け止めてしまうと、自我が崩壊してしまいそうで・・・、だから、意識的に、客観視に努めようとするんだとと解釈している。

これはいわゆる「メタ認知」とは、また別物なのかもしれない。一つ言えることは、「高次の認知」って感覚は、全く無い。というのも、”冷静に振る舞っているように見せてはいるが精神状態は全然冷静ではない”のは、僕自身が、一番良く分かっているからだ。

そもそも、「冷静になれ・・・。冷静になれ・・・。」と念じている時って、大抵の場合、冷静じゃない時だ。冷静にならないといけないのに冷静になれない自分を認識しているからこそ、「冷静になれ・・・。」と唱えているわけで。

更に言うと、「冷静になれ・・・。」と念じれば念じるほど、逆に、狼狽の色が濃くなってしまうきらいもある。この感覚は、「緊張するな!」と周りから声を掛けられると、かえって、緊張している自分を認識して、「あっ、いかんいかん・・・。緊張しないように・・・。」と思えば思うほど、変な力みが生まれて、逆効果に働いてしまうものだ、という話を持ち出せば、共感してくれる方も多いのではなかろうか。

※【参考記事】

 巨人・阿部慎之助監督(45)が24日、4年ぶりのリーグ優勝へナインに「力め」指令を出した。優勝マジック4で迎える25日のDeNA戦(横浜)からの5連戦。嫌が応でもプレッシャーがかかる状況だが「『もう力めない』っていうくらい、力んだ方がいいかもしれないな。『力むな』って言うと、力んじゃうから。もう体が壊れるんじゃないかというくらい、力んだ方がいいかもしれない」と重圧を全身で受け止めて戦うことを求めた。


ここまで、アレコレと思考がグチャグチャになった後、急に平静を取り戻した僕は、ふと、考えた。

(「エリー」の発音の仕方、こんなんだっけ・・・?)

確かに、「エリー」の「エ」にアクセントを置いて、「エェェェ↑リィ↓」と、かなりクセが強い歌い方になっている。まぁこれは、ベテランのアーティストが、往年の名曲を歌唱する際に、よく起きる現象なので、さして珍しいことでもないのだが、

(「チェリー」と聞き間違うのを防止したのでは・・・?)

そんな思念が湧いて来たのだ。往生際が悪いというか、なんというか・・・。僕にはそんなところもある。「〇〇だから△△になった」と、なんでもかんでも、自分なりに理屈を付けたくなるのだ。他人からすれば、そんなの知ったこっちゃない、むしろ、言い訳はよしてくれ、としか思わないであろうが、それでも、僕は、僕自身を納得するために、理屈を付けることに、とにかくこだわる。”とにかく”である。己の「確証バイアス」をフル活用するのだ。それがたとえ、どんなに愚かしい行動だったとしても、だ。

そんな僕が辿り着いた動画が『いとしのエリー』(1979年Ver.)だった。ちなみに先に貼った動画は『いとしのエリー』(2018年Ver.)とのこと。約40年もの差がある。いや、どんだけ歌い続けんねん、このおっちゃん・・・。(ドン引き/桑田佳祐さんには良く有る話)

「エリー」を「チェリー」と聞き間違えてもおかしくはない歌唱法だった、という一縷の望みを胸に抱いて、勇んで聴いてみたのだが、

「エ↑リー↓」と歌っている。確かに、「エェェェ↑」とは歌っていない。がなる(って表現でいいのかな?)感じではない。やはり歌い方はキャリアを重ねる中でアレンジが加えられていたのは確からしい。けれども、「チェリー」と聞き間違えるような歌い方には、到底、思えなかった。

「俺の・・・負けだ・・・。」

「いったい誰と戦っていたのか?」という物言いについては、「僕は、僕自身と、戦っていたんですよ」と答えておくことにしようか。僕にはそんなところもある。「仮想敵」を作り出して、一人で、アタフタする癖が。そもそも、「いったい誰と戦っていたのか?」なんて物言いも、どうせ起きやしないのだから。我ながら、笑えない話だ。

ただ一つ確かなことは、今回の一件以降、「さくらんぼ」を見かけるたびに、「エリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」と脳内再生されて、「チェリーではなくエリーなんだよな・・・。」と恥じ入るシーンが、自分が息絶えるまで続くのであろう、ということだけだ。


【余談】

「チェリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」と、英語のカタカナ発音を文字に起こすのを繰り返していたら、卑猥な話に思考が及んでしまったことを、白状する。

まず、チェリーについて。

英語で童貞を意味する言葉。アメリカでも使われている。単に「チェリー」とも言い、「チェリー」はさくらんぼの意。チェリーは元々は英語で処女(処女膜を失った時の血の色に例えて)を意味する言葉だったが、そこから転じて童貞、初心者、新しい品物の意味に変わった。別にさくらんぼの形状をタマタマに例えている訳ではない。

説明の通りである。僕が今更語ることでもなかろうが、「チェリー」は、性経験を指す隠語として用いられる。ただ、日頃は、ソッチ方面で思考を働かせることはない。というのも、スピッツ、YUI、などなど、「チェリー」から連想される名曲が、数多く存在しているからだ。「さくらんぼ」にまで範囲を広げると、大塚愛なんてのも、良く頭に浮かんでくる。

「であるならば、なぜ今回に限って?」という質問にお答えしておくと、「チェリーとマラの合わせ技が決まったんですよ・・・。」と、苦笑混じりに答える他は無い。

【マラ】
ペニスを指す隠語。仏教用語で「煩悩」の象徴という意味の「摩羅」「魔羅」が語源とされている。

これも説明の通り。「マラ」は男性器を指す隠語として用いられる。ついでに言っておくと、「リセマラ」は「リセットマラソン」の略であって、男性器を指す「マラ」とは、何の関連性も無いので、お間違い無きよう。(ゲームとか全然やらない子が卑猥な単語だと勘違いしていた。「そんな間違いある!?(笑)」と思った。どの口が言うてんねん)

この二つを踏まえて、「チェリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」と、再び口ずさんでみると、ワンチャン、「童貞ボーイの男性器が大好き♥」と、和訳出来ないこともないよな、と思考が及んでしまった。そうなるともうダメ。ソッチ方面でしか頭が働かなくなる。

これを、「エリ~♪マラ~♪ソスウィ~♪」と置き換えても面白い。「エリーは男性器が大好き♥」になる。「アカン、『いとしのエリー』に思い入れがある人達に殺されてしまうかもしれへん・・・。」と思いながらも、「エリー」という名前の女性が、破廉恥な行為に及んでいる絵が脳裏をよぎって、もう、どうしようもなくなってしまった。

「エリー」という名前の女性がポンと浮かんで来なかった僕は、音の響きが似ている「シェリー」で、代用することにした。

「よっ!セクシーなウィンクだね~!♥」

じゃあちょっと、「シェリ〜♪マラ〜♪ソスウィ〜♪」してきますね。(意味深)

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