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チキチキボーン → 僕の母

我が家は、チキチキボーンは冷蔵庫に常備するようにしている。なぜなら、欲しくなるタイミングが無数に存在するからだ。小田和正が歌う『ラブストーリーは当然に』という有名な曲があるけれども、僕に言わせれば『ラブストーリーとチキチキボーンは突然に』である。チキチキボーンが食べたくなる瞬間は突然やってくるのだ。

ゆえに、不測の事態に備えて、我が家では常に冷蔵庫にチキチキボーンをストックしているわけなのだ。そうだな、未開封のものが必ず1つは有るようにしているな。開封済みのもの1つだけだと「あると思ったらあんま残ってなかった!」というトラブルになりかねないからな。備えあれば憂いなし。常識中の常識だ。

チキチキボーンと聞いて、まず頭に思い浮かべるのは、やっぱり「酒のアテ」だろう。これはもう間違いない。メインに据えることも出来るしサブに据えることも出来る。前半に置くことも出来るし後半に置くことも出来る。酒のアテ界の名ミッドフィルダーだ。「肉界の大空翼」と言っても過言ではないはずだ。さすがのキャプテン翼ファンも「チキチキボーンならば翼くんの名を冠するのに値するなぁ」と納得してくれることだろう。

先ほど「酒のアテ」と書いたが、なんなら「シメ」と題して、ご飯のおかずとしても十分活用することも出来る。コイツがまた美味いんだ。我が家では「おふくろの味」みたいな安心感すらある。チキチキボーンを一口かじった後、追っかけるように白米をかき込む。口の中で広がるハーモニー。思わず「おっ、これこれ!」と小躍りしたくなる美味さだ。

せっかくだから「おっ、これこれ!」という感覚を具体的に言語化しようか。先ほど「おふくろの味」と書いたように、僕にとっては「懐かしの味」なのだ。チキチキボーンと白米によって、様々なシーンが思い起こされる。中高生の弁当のおかず、長期休暇の朝ごはんや昼ごはん・・・。当時は「弁当に入ってたから食う」「食卓に出されたから食う」といった感じで、何の気なしに頬張っていたものだが、改めて振り返ると、どれも色褪せないメモリーとして、僕の心に今なお息づいている。そんな、思い出すだけでつい微笑んでしまうような記憶の数々を、チキチキボーンと白米が、僕に教えてくれるのである。

チキチキボーンの魅力はこれでは終わらない。特に、年齢をある程度重ねてきて、食べる量が若い頃と比べて落ちてきたなぁ、という時に重宝するのが「手軽さ」である。1本単位で食べられることに加え、1本当たりの肉の量も、かなり控えめ。語弊を恐れずに言えば、子どもの頃は「この骨の部分も肉に変えてくれよ!」と文句の一つも言いたくなるぐらいには、控えめなのだ。

具体的に、どれぐらい控えめなのかというと、骨付き肉の絵文字(🍖)と比べると、3分の1ぐらいしか肉が付いていない。「チキチキボーン」という名前を考えると明らかにおかしい。いかにも「チキン・チキン・ボーン」の割合の骨付き肉ですよ、というネーミングでありながら、実際は「2:1」よりも「1:1」の方が近い気がする。もしそうだとすれば「チキンボーン」か「ボーンチキン」に改名した方が良いかもしれない。お客さんによっては「景品表示法違反かなにかに引っかかるんじゃないの!?」と、クレームの電話を入れかねないから。

・・・違う。僕は、チキチキボーンをアゲる記事を書きたくて、noteを開いたんだった。この論調だと、チキチキボーンをサゲる記事になってしまっているじゃないか。また僕の悪い癖が出た。書き始めると、何だか楽しくなってきちゃって、当初、頭に思い描いていたプランを置き去りにして、勢いそのままに突っ走ってしまうところがある。「チキンボーン」とか「ボーンチキン」なんて、これまで一度も考えたことなかったのに。

強いて言えば、僕の母のみ「チキチキボーン」とそのまま呼ばずに「チキボー」と略して呼んでいるか。無意識的に何らかの影響を受けていたのかもしれない。ちなみに「Yogibo(ヨギボー)」が流行る前から、僕の母は「チキボー」と呼び続けているので、流行りに乗ってるわけでもなんでもない。

それで思い出した。僕の母は「豚の角煮」を「豚角(ブタカク)」と略して呼んでいた。これはさすがの僕も音だけで理解することが出来なかったのでよく覚えている。シチュエーション的には「ブタカクどう?」と、突然尋ねられたのだが、僕は何を聞かれたのか皆目検討がつかず「豚のカクテル・・・?」とだけ返した。すると「角煮。豚の角煮。食べる?」と返って来た。母のリアクション的には「ブタカクで通じひんのか〜」という感じだったのだが、僕の知り得る限り「豚の角煮」を「ブタカク」と略すのは、僕の母ぐらいだ。

思い返すと、色々出てくる。「トウモロコシ」を「モロコシ」と呼んだり「ブロッコリー」を「ブロッコ」と呼んだり、グレープフルーツを「グレフル」と呼んだり(これは割と聞くか?)、ピンクグレープフルーツを「ピングー」と呼んだり・・・。おそらく、まだまだありそうだ。「えっ、それも略すん!?」と感じることが、しばしばある。

息子でありながら、母の言語感覚が、いまいち掴めない。それも、贔屓目抜きで仲良し家族だと自負していながら、いまいち掴めない。「こどおじ」として、成人してからウン年経っても実家に居座り、母と過ごしてきた時間は相当長いはずなのに、いまいち掴めないまま。これいかに?

思案する中で一つのことに気付いた。「えっ、それも略すん!?」という感覚は「若者言葉」に通じるものがある。「風呂から離脱」を「フロリダ」と略すと聞いた時にはビックリした。僕の母と言語感覚が似ている気がしないでもない。もしかして、僕の母って、肉体年齢と反して、精神年齢は女子高生のままなのではないか・・・?

そう考えるとピースがハマってくる。僕の母は、オーバーフィフティでありながら、若者が聴きそうな楽曲を好んで聴いている。音楽をかけながら家事を行う習慣があるみたいなのだが、その時に聞こえてくる声は、嵐、米津玄師、back number、Official髭男dism、菅田将暉、優里・・・。あと、他にも色んな声が聞こえてくるけれども、僕が把握出来ない歌手がドンドン増えていて、よくわからない。

白状すると、優里は、僕の母を通して知ったアーティストである。あっ、そうだ。思い出した。Saucy dog。このバンドは、確か、一昨年?の紅白歌合戦で「初めて聞く名前やなぁ」と言ったら、母は「え〜?メッチャ有名やのに!」と驚いていた。息子である僕が既に今の音楽についていけていないのに、母はしっかりとトレンドを押さえているらしい。

・・・・・・。

なんてこった。チキチキボーンの話をするつもりが、僕の母の話になっちまったよ。おかげで精神年齢がJKのオーバー50であることが判明したよ。やったぜ。(棒読み)

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