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【2783字】2024.07.17(水)|山﨑夕貴(やまさきゆき)/名前間違い/「貴」

<事件勃発>

芸能人カップルに関する話題になって、僕が発した一言。

「『おばたのお兄さん』と『山﨑夕貴(やまざきゆうき)』は、なんか微笑ましいイメージあるけどな。奥さん好きやねんな。良く知らんけど。なんか、パッと見で、良い人そうやんか。ああいう人好きやねん。根拠は無いけど良い人そうやなぁって感じるタイプやんか」

「ちゃうちゃう。『山﨑夕貴(やまさきゆき)』な。好きとかいいながら苗字も名前も間違えてるやんけ(笑)」

「あぁ・・・。おぉ・・・。うん・・・。」


<謝罪会見>

山﨑夕貴(やまさきゆき)さん、苗字も名前も間違えて覚えてしまっていて、誠に申し訳御座いませんでした。「良く知らんけどなんか好き」なのが災いした形です。少し考えれば、「読み方合ってんのかなぁ?」と思えたはずなのに、それを、怠ってしまった。ひとえに、自分の注意不足が招いた過ちです。この場を借りてお詫び申し上げます。

重ねて、謝罪しなければならないことがあります。「山崎」と「山﨑」の違いも、良く分かっていませんでした。「まぁ普通に『山崎』なんちゃうかなぁ」ぐらいに考えておりました。「山﨑夕貴(やまさきゆき)やぞ(笑)」と指摘されて、調べて、漢字を確認して、一人、心の中で、「あっ…。」と思っていました。

つまり、まとめますと、僕は、「山崎夕貴(やまざきゆうき)」と思い込んでいたみたいなのです。苗字の読み方も違う、名前の読み方も違う、苗字の漢字も違う・・・。違う、違う、違う。違うのオンパレードです。彦摩呂よろしく「ミスの宝石箱や~」なんて言っている場合ではありません。

”名前間違いは重罪である”

今一度、しかと、心に留めなければなりません。最後に、繰り返しになりますが、この度は、御迷惑をおかけして、誠に申し訳御座いませんでした。

「夕貴」という漢字の字面はメッチャ好きだったんで間違えてないですよ!褒めて下さい!さぁ!褒めて!褒めて!!


<名前間違い>

僕は、これまで知り合って来た人の中で、「中島(なかしま)」さんが二人居たのだが、二人とも、ことあるごとに、「中島(なかじま)」さんと呼び間違いされていたのを第三者として眺めて来た、という経験がある。

「中島(なかしま)」さんは、最初に間違えられた時は、「あっ、『なかじま』じゃなくて『なかしま』なんです~」と、訂正を加えていた。すると、呼び間違えた人からは「あ~、ごめんごめん!」と詫びられていた。そのたびに「よく間違えられるんですよね~。こちらこそすいません、紛らわしくって(笑)」などと、笑い話に昇華してみせる、器量の広さを見せていたのを思い出す。

しかし、時が経ってから、再び、同じ人物から、「中島(なかじま)さ~ん」と呼び間違いされると、「あっ、なかしま、です…。」と、苦笑いを浮かべつつ反応を示す、といった具合に、リアクションに変化が生じてくる。そのたびに、間違えた側は「あっ、そうだったね!ごめんごめん!」と平謝り。「中島(なかしま)」さんは、苦笑いを崩さぬまま、会釈する。

さらに時が経って、みたび、同じ人物から、「中島(なかじま)さん、ちょっと~」と呼び間違いされると、いよいよ、「あ~っ、はい、なんでしょう?」と、まるで「中島(なかしま)」から「中島(なかじま)」に改名したかのようなリアクションで、相手の問い掛けに応じるようになる。相手は、自身の間違いに気付かず、用件を伝えて、そのまま、去って行くのだった・・・。

幸か不幸か、僕は、そういった光景を、同じ苗字で、同じパターンを、二度、目の当たりにしているわけである。その経験を通して、僕は、心底思った。「名前間違いは重罪である…。」と。

にもかかわらず、この体たらくなのだから、我ながら、頭が痛い。

言い訳にもならないが、もしも、「山﨑夕貴」という名前の人が、自分の身近なコミュニティに居たとすれば、「正しい読み方は?」と、調べていたことだろう。テレビで見かけて、「あっ、なんか良い人そうだなぁ、ステキだなぁ」ぐらいの認識で終わっていたから、間違えて覚えてしまったのだろうと思われる。

あと、ホントにどうでもいいことなんだけど、謝罪ついでに白状すると、女性の名前で「ゆうき」って、個人的に好きだから、「ゆき」じゃなくて「ゆうき」だと思い込んだ点も否めない。

”人間は見たいものを見たいように見る生き物である”

耳が痛い言葉である。気を付けます・・・。


<「貴」>

余談だが、僕は、女性の名前で「貴」が入っている人が好きだ。

「なぜ?」と聞かれたら、答えに窮する自分が居る。フィーリングというか、なんというか・・・。なんか、良いよなぁ、って思うんだよな。誰か僕の代わりに言語化して欲しいくらい。

そう言うと、いつも「なんやねんそれ。意味分からんし(笑)」と、手痛いツッコミを食らうけのだけど、こういう、”良く分からないけど好きなのは確かだ”という感情があったって良いじゃないか、とも思う。

僕は、何でもかんでも、言語化したくなるきらいがある。だからといって、何でもかんでも、言語化出来るわけではない。今回の例のように、「上手く言えないんだけど…。」という感情も、沢山ある。

そういうモヤモヤって、特に、言語化して人に伝わる形で説明することに、強い苦手意識を覚えている人からすると、日常茶飯事レベルで、感じているのかもしれない。

だとすると、僕は、「意味分からんし(笑)」と返すのは、ベターではないよな、と思う。「伝える側」の時と「伝えられる側」の時で、スタンスがコロコロ変わるのを、僕は良しとしない。

これは僕の個人的な見解になるが、「伝える側」の時は「上手く言えないけどそういうことやねんって!」と押し通す一方で、「伝えられる側」の時は「そういうことって言われても意味分からんし!」と、相手に言語化を求める、場合によっては、意味が分からぬことに立腹するケースも、僕は、第三者的立場で、見かけたことがある。

こうやって書いている僕自身、言語化することに意義を感じる性質が邪魔をして、ついつい、相手にも言語化を求めてしまうきらいもある。自らの戒めの意味合いも込めて、「名前間違い」の件と併せて、気を付けたいものである。


<おわりに>

最後に一つ。

そもそも、人間とは、間違える生き物である。「気を付けよう」と思っていたとしても、100%間違えない、なんてことは有り得ない。ヒューマンエラーは付き物だし、時には、ケアレスミスも起き得るし、自分自身、信じられないような失態を犯すことだってある。

そういう時に「気を付ける、気を付けるって、いつも口だけじゃないか!オマエの言っていることは全く信用ならない!」と突き放した態度を取るのではなく、「どれだけ気を付けていても間違うこともあるよなぁ…。」と、背中をポンポン叩ける人でありたいものだ。

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