俺は本当によかった

俺は、幼少期(だいたい5~6歳くらい)に広汎性発達障害(PDD。今ではASD(自閉症スペクトラム)に統合されている)という診断を受けた事がある。

最近、俺自身、この障害を持っていて、本当に良かったと思う事が増えている。
もちろん悪い面の方が出る事が多く、良い事の方が少ないのかも知れないが、もしも俺が障害者の立場でなかったら、病気のことを調べたり、自分のことを自認することもできなかったんじゃないかと思うのだ。

逆になぜ、悪い面ばかりを見て、良いところを見ようとしないのか、俺にとっては今でも疑問である。極端な考えばかりだから、もし障害者が何か悪事をしている訳でもないのに悪者だと決めつけるなら、存在価値などないと思う。

この記事を書いている2週間くらい前、職場の人からこう言われてしまった。

「良いところがひとつあっても、悪いところがたくさんあるなら、そこが悪目立ちする」

忙しかったし、仕事を行なっている最中だったので「はい、はい」と肯定していたのだが、今考えてみると個人的には差別的な言動のような気がするのだ。

世間には一応、「障害者枠での雇用」と「合理的配慮の遂行」の二つがあり、一応企業的にはそこはやらなければならない項目なのだ。

このようなマイナスなところだけを見るようなら、俺みたいなアホの存在価値はゼロに等しいと思った。俺の友達だって、もっとひどい境遇を受けているのかもしれないのに。

考えてみるとAppleでiPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズもADHD(注意欠陥・多動性障害)だし、TwitterをXという名前に変えさせたイーロン・マスクだってASD(自閉症スペクトラム)である。
自分の指示にそぐわない社員をクビにしまくっても、とっておくはずだったお金を使ってしまっても、実績を上げているので「天才」と称される。

言葉では「やります」「頑張ります」など簡単に言えてしまうものだ。
しかし、自分自身を変えるのは自分自身であることに、今年に入ってから特に意識するようになった。

加えて、リスタートができるチャンスはだんだんと減っていく。歳を食って気付いたらできなくなっていたという話もよく聞くから、やはり口だけでなく、何かに没頭して実行していく力は、俺にとって大切であり、生きるモチベーションである。

最近思うのは、自分の浪費癖を本気で治したいと思うようになったこと。このままではお先真っ暗になる気がして、毎日毎日怯えるのが怖くなったから(THERMOSの水筒を新しく買おうか考えたくらい)。

あとは、映画をよく見るようになり、この6月だけでも2~3本、映画館に行って直接映画を観るのだ。
普通なら異常者であるが、やはり趣味に没頭する時間が一番楽しいし、有意義であり、新たな幸せな時間が訪れたと感じる。あとポップコーンの美味さがたまらん

このように、マイナスだけを見ているのなら障害者はマイナスである。
マイナスをマイナスで見ているなら、マイナスにしかならない。

しかし、マイナスな面が多くても、自分のことについて少しでも向き合って、心に優しさを持てば、少しだけでもプラスになるんじゃないか?と最近脳内で考えていたりする。

向き合い方は人それぞれだが、俺の場合、自分で自分の病気(PDD,ASD,ADHDなど)のことを調べて、どういう特性があるのかを調べたりしていた。
そのため、俺自身「ADHDって何?」って聞かれたらこういう感じのやつ〜って即座に返せる。

そして、もっと器用に生きれると思う。
俺のような人間は「趣味」や「こだわり」が強いので、それを活かす事ができれば、もしかすると世界を変えれる可能性もあると思う(俺が変えれるとは言ってない)。

あとはお願いだから「自認」をさせてほしい。
理解してほしいという訳でもないし、過度な優しさもいらない。
しかし、その道を誤るとただの甘えや変な人というカテゴリーになってしまう。
なので、それが発達障害と向き合う上で一番大切だと、俺は思う。それでネガティブになるか、ポジティブになるかはその人次第ではある。

ただ、総合的に言えるのは、
全てがネガティブになるという訳ではなく、たまたまネガティブが多くなるというだけで、プラスの面もちゃんとあるから。生きてて大丈夫。俺も

強みも、弱みも、自分に落とし込んで生きていくことが、今後は本当に大切になってくる。

これからも、死にたいと思っても、こんな面白くない俺でも、
生きていたい・幸せでいたいと感じた夕方であった。

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