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Macbookで記事を書いてみる③ (Last 63minutes, 2,833 Words)

Macbookで記事を書いてみる シリーズ、今回で最終回にしようと思う。

理由は、Noteをもっと更新したいというモチベーション向上のため。
かなりスキがついたことで、少しずつ自信が付いたと思う。

こうやって、どうでも良い出来事も、重要な出来事も、例えばPartyがどういう感じだった〜とか、多分やろうと思えばできるかな、という気がしてきている。

だからこそ、これはやめてはならない行動。

日々、起こったことを下手でも記録していくことが大切だ、とNoteを通じて感じた。

ちなみに、このNoteは木曜日にいつも書いている。初回(①)は自宅で深夜にやることがないからやっていたが、前回(②)は場所を移しドトールで書いていた。

木曜日は自分が仕事が休みの日なので、この機会にバンバン更新していきたいと思う。ちなみに今回の執筆時間は1時間で、音楽を聴きながらやっている。
これを更新しているのも、午後9時に近い時間帯でかなり遅いのだが…。

「遅い」といえば(本題)。

昨日(2024/05/08)、仕事の後に横浜スタジアムでDeNA vs ヤクルトの試合を観てきた(何回か忘れたけど途中から)。声がおかしくなった(枯れた笑)。

結界、負けてしまったけど、この後の飲みがまた、楽しかったのだ(だいたい22時20分ごろかな)。
行った鳥貴族に知り合いがおり、少しだけ話せたのだ。
これだけで、だいぶ気分が上がった笑

親友2人と飲んでいく中、終電の時刻が近づいて来た。
深夜11時50分ごろ。とり雑炊から、焼き鳥やらポテトやら頼みまくって、俺なんかメガレモンサワーと優しいレモンサワーというキチガイみたいな飲み方をかまし、結構多く頼んで、親友が一言。

「お前明日仕事ないんだから、すぐ家帰んなくてもいいだろ!」

終電の時刻を過ぎて、横浜西口から歩いたのだ。
吉野町あたりで疲れてタクシー拾ったけど…笑

でも、歩いたうちに思ったのが、こういう時にしかゆっくり話ができないような気がしたのだ。

普段、あいつは忙しそうだ。
介護職で、おじいちゃんやおばあちゃんの世話をしている。
俺には到底できないな、と毎回思う。

そもそも、人をお世話するのって、そんなに簡単な話ではない。
メイドとか、執事とか、そういうものを題材にした漫画とかあるけど。
相手の都合に合わせなきゃならず、それを遂行することでお金を貰えたりする。すげーわ…。高齢化社会のなかで、よくやっているなと感心するのだ。

加えて、認知症の方と接する機会もあるらしい。
「今日は何月何日、何曜日ですよー」という会話をすると、親友からよく聞く。
親友曰く、自分が死ぬ時は介護施設には入りたくない、と言っていたが。

そんな彼、最近脱毛を始めたらしい。面白いエピソードを話してくれた。なんと、カウンセリングをしてくれた方が彼と同じ誕生日だったらしいのだ。
まさかこんなことがあるとは思わなかった、少し興奮して話していた。
「まず顔からやるぜー」なんて話していたが。

2001年生まれということに少しだけ憧れを持っている俺としては、少し羨ましかった…笑
なぜなら、2002年生まれである俺としては、1つ下の世代と勘違いされやすいからだ。

しかも、親友は2001年4月に生まれているということで、もう23になってしまった。年齢が一つ置いていかれている私。
やはり、人付き合いは大切だ、と思った。

特に「若い世代」は。

今現在、俺は偉そうな態度を取っている人がいる会社で働いている。
若い22歳世代は。まさかの俺一人。18(高卒の年齢)から働いている人間も、俺一人。

もしかしたら、①と書いている内容が被っているかもしれないのだが、やっぱり「自ら動くこと」というのはとても大切な気がするのだ。というか、そう。

だから、今まで書いたNoteの質が悪くても(いい記事書けなくてごめんなさい)、これだけは確かだと思う。

自らの行動に勝るものはない」と。会社にいると、止まっている時間の中にいるような気がしているのだ。怖くなる。
そういう「自らの行動を諦めている人間」、「自らは変わらず、他人を無理矢理変えようとする人間」に幸せなど、存在しないのだ。

だから、馬鹿はいつまでも馬鹿だし、アホはいつまでもアホ、ナルシストならばいつまでもナルシスト、なのである。

というより「俺自身・私自身が一番かっこいい」という感情は、心の中にしまっておくものであり、他人に公言するものではない。
なぜなら、それは自分以外の誰かが決めることであるからだ。
自分を見つめ直し、変わっていくこと、動いていくことは、今しかできないし、今この瞬間から、この記事を見ている人間は変わるチャンスがある。

俺は「もう歳だから」と自分で諦めをつける人間が好きではない。

歳だから、自ら動いて何かを成し遂げてはならない、という法律なんて、存在しない。
料理でも、ハイキングでもなんでも、自ら動いて行ったことに価値があると俺は考える。

正当化しているつもりはないが、つい最近までの自分の浪費癖も、人生の中のひとつの経験として捉えている。将来、笑いのネタにするつもりだ。もちろん、ポジティブな話題の方が多いということに越したことはないのだが。

最近の新卒の、すぐ辞める問題について思うのは「人間の本質に気付き始めている」ということ(とはいえ、今年は多すぎる気がするけど…)。

人間は人間のままであり、進化ができるわけではない。

しかし、進化しようとしないか、進化できると思うか、その姿勢は、自分で決めることができる。

俺自身も、何かを成し遂げているわけではない。しかし、このままの現実から抜け出したいし、何かしらの変化で自分の悪い価値観を壊していきたい、と思っている。
今年の新卒は、人生の危ない橋を渡ってでも、変わりたいという思いが強いのだろうと思うのだ。とはいえ、1ヶ月はいたほうが…と思っているのだが。

フリーランスで生きている人の話を聞く機会が、最近少しずつ増えていると感じる。
もちろん、それは誰でもなれるものではないし、失敗、壁に当たることもある。

最後に話すのは、自由に職業を選ぶことができる今の環境に感謝をしたい、ということだ。

個の時代と言われていたり、社会不適合者と言われる人たちが多い時代に生まれて、俺は本当に良かったと思うのだ。

なので、もうそろそろ、俺は大きな一歩を踏み出す瞬間が来る。
そうでなくても、5年以内かな?

ラッパーやプレイヤーに対する憧れ、フリーランスに対する憧れがここ最近、溢れ出しそうなくらいに加速している。

多分、今すぐ1歩を踏み出せないのは、自分の中で、そうなりたいという勇気がまだないのかもしれない。多分まだ怖いのだ。
本当に、ここから先、どんどん年老いてクソな自分になっていく事は、もっと怖い。

時間は掛かるかもしれないが、必ず、私は行動をしていきたい。
行動をやめない。口だけにはしない。

クソはクソなりに、生きる。

これを持って、この記事シリーズを締めることにする。


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