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何かに恵まれたわけじゃない

生まれつき、僕は何かに恵まれてたわけじゃなかったんだと思う。


特に運動ができたわけでもなく、顔立ちが整っていたわけでも、環境が極めて恵まれていたわけでもない。

家の周りは緑に囲まれ、遊ぶ時は雨なら山で鬼ごっこだし、晴れたら乾いた田んぼで野球をする。
家に帰れば両親の喧嘩が耳に入るからとできるだけ1人で外でできる遊びを考えた。

ペンやボールはもちろん、バットやラケットか何かを握らせれば才能開花してチヤホヤされる、なんてゲームみたいなこともなく。毎日馬鹿みたいに泥だらけになって遊んだ。

それでも、かけっこをやれば大体ビリで、鬼ごっこの鬼は大抵僕で終わる。



平凡ここに極まれり。ってくらいの凡才ばかりを詰め合わせた僕の人生も気づけば22年が経った。

月日なんて過ごすには永遠に感じるのに、過ぎてしまえば振り返るのは一瞬でできてしまう。


育った街には高速が繋がり、交通量が増え、遊んでた山は跡形もなく消えていった。
周りに流されて始めた野球を続け年月が重なり、圧から解放されたみたいに大学では旅をしたり恋をしたりしてきた。

1人で生きていくことのできるこの時代に
わざわざ僕らはまた誰かのもとで過ごして
その人たちと過ごそうとしていく。

馬鹿みたいに抱え込んだ荷物の重さに気付くのはいつも失ってからで、失うたびにもう抱えるもんかと意気込むのは今ではお決まりみたいになってる。


傷つけられるたびに、もう知るもんかと知らないフリするあいつも、傷つくたびに平気な顔して話題を逸らしてくるあいつも、今はもう側にいない。

僕は、何かに恵まれてたわけじゃない。


******


「りゅうさん、パンセクシュアルなんですね」

まぁ、となんてないフリをして聞き流したけれど
内心はドキッとさせられてた。


大学3年になったばかりの頃、僕は自分がパンセクシュアルであることを認め、少しして公にした。
22年間向き合い続けた変えようのない隠しようのない事実との折り合い点だった。

https://note.com/ryuo28/n/n3efad93e8129

自分があれだけ苦しんで手に入れたはずのほんの少しの落ち着きに平然とその子が触れてきてしまった気がしてビクついてしまったのかもしれない。


パンセクシュアル、わかりやすく言えばバイ
特段相手の性別はもちろん自分が男性か女性かなんて気にしたことなかった。別に気にしなくても「男性」の欄に丸をつけて、周りの男の子に合わせてれば生きてこれた。

目立たないこと。が大切だった。


大学に入るとそれまでとは違った答えが求められた
"目立たないこと"より"どこで目立つか"

個性が求められた。


自分は何ができるのか、どこに所属してて、どんな資格を持ってて、どれだけ特別なのか。自分で書いたこととはいえ、さぞ立派に見える自分の概要欄はいつだって虚しい気持ちにさせてきた。

特別こそが正義なんだ。と言わんばかりのSNSの海で僕は今日も遭難してる。


何かをやってなきゃだめで、何かに優れてなきゃだめで、大きい夢がなくちゃだめで、あの子みたいに頑張ってなきゃいけない。

そんなことはないはずなのに、広く深くなりすぎたこのSNSの世界では"そう"あることこそが正義みたいに感じてしまう。


広く深くなりすぎてしまったこの世界に文句の一つでもつけてやろうかと思って書き始めたこのnoteだったのだけれど、気づけば書き始めて235日が経った。

毎日毎日少しずつ書いては消してを繰り返し、何度も消してしまいたかったはずの下書きで、僕の下書きの中で1番古いものがこのnoteだった。

たった数千字のために普段の何倍の時間を使ったんだろうか。

それでも、出してしまうことより、書いてしまうことがずっと億劫だった。

書いてしまえば自分が何かを認めてしまう気がして
何もできないんだよと自分に言い聞かせることになってしまう気がしてた。


「なんの価値もないやつ」とレッテルを貼られてしまえば僕たちはしばらく本当に無価値になれるんだということを野球部時代に学んだ。

丁寧に言葉を選んで、ゆっくりと落としていくような文章が書けないかとペンを握った。
カラオケで人を魅了させるような歌声はできないかとマイクを握った。
誰もが憧れる野球選手にはなれなくても、野球で食べていけるような人になれないかとバットを握った。

それでも、僕には何もなくて
あったのは五体満足なこの身体と、人一倍鈍感なのに中途半端に繊細なこの心だけだった。



どんな言葉を今ここに書けばいいのか。
どんな内容にしてしまえばいいのか。
今となっては書きたかった思いも消えてしまったけれど、いくつか答えは出てたりする。


22年なんて他愛もない時間を過ごし、月日は往々にして僕の前にゆったりと横たわっていった。

天才になりたくて、眩いばかりの才能に嫉妬し、力がほしいと熱望した時もあった。それでも時間が経つたびに少しずつ変化する自身の想いにようやく向き合うことにする。


******


2020年に入り、瞬く間に世間の話題はオリンピックからコロナウイルスへと移り変わっていった。

僕は1年ぶりにTABIPPOの地へ帰ってきて
相変わらずのように「旅」をキーワードに毎日を過ごしている。


活動が始まってから今日でちょうど1ヶ月。
つい先日、集まった約90人の仲間たちへ向けてメッセージを残し、組織図を完成させた。


「旅で世界を、もっと素敵に」にするんだよ。


幾度目かの夢物語に終わってしまいそうだと感じながらも、途方もない旅路の始まりに胸を高鳴らせる。

10数年続けた野球の経験からも、自分が特に何かに恵まれたわけではないことはもう十分わかってたけれど、叶えたい気持ちは本当だった。

旅の何がいいのかと聞かれれば
あぁ、なんだっけな。と過去にしまい込んでしまった記憶を探るようにして言い訳のように並べる。

旅の良さなんて言葉にできないだろ。といってしまいたくなる気持ちを抑え込んで、申し訳程度に今日も話す。


けれども、旅はたしかに今の僕を作ってくれた。

ドラマの影響を受け、野球の練習をサボってまで訪れた江ノ島水族館は僕にとっての初めての旅だった。
オーストラリアのゲストハウスで2週間引き籠ったのは僕にとっての初海外。

朝日に照らされ打ちあがる気球をバイクで追いかけたミャンマー。ピラミッドの荘厳さに度肝を抜かれたエジプト。どこまでも続く地平線も空が真っ赤に染まった夕焼けも忘れはしない。

誰かと共有したかった景色も
独り占めしたいと思った景色も
等しく記憶に焼き付いて忘れられそうにない。


僕らは少なからず、旅で世界を変えられた人たちなんだろう。


何もないのだと嘆いたけれど、そういえば僕らは旅ができる国に生まれ、自分の力で進んでいける体を与えてもらったのだったと思い返す。


******


キックオフからちょうど1ヶ月。
こんなことを書いている裏では各チームが全都市揃ってMTGをおこなっいて、何かできることはないのかと今にも噛みつかんばかりのメンバーの顔を思い出す。

5月、代表になることを決めお世話になった方へ1年ぶりにLINEを送った。

勢いに任せるようないつものLINEではなく
一文字一文字丁寧に打ち込みながら溢れ出す思いを数文字に詰め込んだ。


あの日から2ヶ月が過ぎた。相変わらずバタバタと時間は過ぎ去っていき、やれたことは他になかったのかと毎日毎時間、毎秒自問自答する。

今この瞬間。自分の手の届く範囲にいる90人のためだけに数秒ですら使いたいと思う。


ここまで1ヶ月。
みんなはどんな風に過ごせた?

楽しかったかい。苦しかったかい。悩んだかい。
大切な人はできたかい。友達は増えたかい。
涙で枕を濡らせてないかい。TABIPPOは楽しいかい。

今更綺麗な言葉を書くことのできない僕なりの精一杯

ほぼ毎日のようにLINEやSlackが動き、通知が増えていく中でバイトに学校に遊びにを繰り返す。
「うまくやりなさい」なんて僕にもできやしないことをやれなんて言えない。


1人でこなすにはとんだ夢物語だろう。

けれど、僕らは1人じゃない。


できないことは頼る。
できることは頼られる。

今ここには400人の仲間が全国にいる。


******


できることを人の真似できないレベルまでやる
できないことはできる人に任せる

それでいいんじゃないかと思う


僕は、何かに恵まれたわけじゃない。

そんな僕の、僕らの旅路。


どこまで辿り着けるだろうか。

90人全員が、学生支部400人全員が、
この先も笑って旅をしていくために。


今、僕たちが旅を広める。

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りゅう
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