平成が生んだ怪物
「平成が生んだ怪物ってなんだと思う?」
同じバイト先なのにこれまで全く話したこともなかった子から突然聞かれた。
いや、僕に聞いたのかはわからず、ただ不意に呟かれたその言葉がいつまでも僕の耳に残った。
「私はTwitterだと思う」
誰かの答えを待つこともなく彼女は答えた。
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Twitterに限らず、僕らはSNSに取り憑かれた人種なのだろうか。
SNSがなかったら、こうしてnoteに、記憶ではなく記録として残しておこうと思うことはなかった。
それに日常を呟こうとも、動画を撮って載せようとも思わなかっただろうし、僕は彼女とは出会わなかったのだろう。
僕らはSNSを通してこの世界を見ている。
嬉しさ、悲しさ、怒り、楽しさ。
溢れかえった多くの人の感情が今夜もTwitterでは渦巻いている。
自分はこんな人だ。こんなことに優れている。こんな特徴があって、こんなこともできる。そう書き記されたSNSのプロフィール欄は今では当たり前みたいになっている。
SNSはたしかに僕らに世界を見させてくれたけれど
それによって傷つく人たちも等しく増えたのだなと感じる。
彼らも、何者かになりたいのだろうか。
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TABIPPOには、本当に色んな人がいる。
ここには多種多様な人で溢れていて、共通のキーワードは「旅」や「学生」くらいだろうか。
無数に溢れた価値観の海を誰も傷つけぬようにと航海することは中々難しく、難航している脇を何食わぬ顔で突っ切ってしまう船もいる。
「こうありたい」や「こうなりたい」の願望を描ける子もいれば、描けずに悩む子もいる。
未来が等しく誰にでも描けるものだなんてどれだけ裕福な家庭で育ったのかと疑いたくなるけれど、そんな僕も今では叶えたい未来がある。
人が聞けば「絵空事だ」と笑い
「何を馬鹿なことを」と馬鹿にする未来を
僕は今夜も真剣に話する。
いじめや差別のない世界平和を実現したい。と。
僕も、いじめを受けて育ち、抱えた性別のギャップで差別を受けいじめは悪化したけれど、自分の子供や孫にはそんな経験をさせたくない。
そんな想いから描かれたこの未来が、本気で叶えたい未来だったりする。
幸いにも僕は旅のできる家庭に生まれ、自由に発言できる武器を手にいれた。笑いたい時に笑い、泣きたい時には存分に泣けて、好きな人には君のことが好きだと伝えられる。
SNSで呟かなくても良いようなことを呟き
書き記さなくても良いようなことをnoteに書く。
それは時に、必死に世界に抗うための術として、
自分を満たす術として、言葉にできなかったコトバたちを残しておく術として、僕らはそれができるからそうする。
なぜ人は発信するのだろうか。
なぜ旅を広めるのだろうか。
なぜ生きるのだろうか。
悩みや不安だらけに思えるこの世界を
わからぬことをわからぬままにしておけるのが
SNSやnoteなのだとすれば、彼女がいう「平成が生んだ怪物」もわりとイイ奴かもしれない。