可笑しなことを考えていた
誰かのせいにするのが得意な人生だった。
ただなにも考えずに言われたことをやって、成功すれば味をしめ、失敗すれば誰かのせいにすれば逃れることができた。「あいつがこう言ってたから」。そんな人生だった。
議論メシ
ふいにSlackに流れてきた、いかにも面白そうな香りのするタイトルに飛びついた。
新しい旅のカタチについて考える
時代はコロナがぶっ壊し、訪れてきていた時間の流れを早送りしたみたいに先へと進めた。
そんな時代のせいにすることなく、本気で旅についての新しい可能性を考えようとする姿が羨ましかった。
結局、時代の流れに適応することを選択したのは"自分"でしかない。
そんな簡単そうなことに気づくこともできず
「コロナのせいで」ばかりが口癖になってた。
旅で世界を、もっと素敵に
いつ見ても、いつ聞いても大好きな言葉。本気で叶えたいと思って、本気で成し遂げられると思って、僕らは日々旅のことばかりを考えている。
コロナの今だからこそ、新しい旅のカタチを考えていくべきはずなのに考えてるつもりで考え切れてなかったのかもしれない。
持続可能な観光は何なのか。世論では国内旅のみが注目され、海外はしばらく良いかなという声も高まっている中で、何が今後の旅になるのか。
そこを考える上で、議論メシは大切な考え方にたくさん気づかせてくれて、学びが多かった。
何が旅の良さなのか
当たり前みたいに旅をしている中で見失いがちなのが、旅の良さの部分。何が良いんだろうか。
旅は、僕らにリアルを体感させてくれる。空港に降り立った時の独特の雰囲気。初めて降りた駅は僕の体を数倍軽くしてくれて、初めて食べた食事は僕の食文化に刺激をくれる。音も匂いも視覚も旅は僕らにリアルを与えてくれる。
旅をすれば人として成長できる。
ミャンマーで携帯を亡くした時、アメリカでパスポートをすられた時、エジプトで食中毒に遭った時、イスラエルで物乞いをする子供にお金を与えてしまった時。思えば色んな経験が今の僕や今の僕の考え方を作ってくれた。
旅をすれば、少しだけ優しくなれて、少しだけ穏やかになれて、舌打ちの回数が減って、上を向く回数が少し増えた。
わざわざ声を大にして、旅していることを呟かなくたって誰かが必ず僕らの旅を見ていて、僕らは人知れず大人になっていく。
安心安全な空間
議論メシに参加しているときは気づかなかったけれど、何事もなくただただ時間だけが流れていき十分に議論を終え、満足して終わったことに気づいた。
そう、ただただ安心安全に議論を行い、ただただスムーズに時間だけが流れていった。
日頃からMTGなどでzoomを繋いでる僕にしてみればそれは違和感で、こんなにも何事もない環境を画面越しに用意できるのだと衝撃を受けた。
おそらく最大限まで配慮して、最適に用いられた流れや綿密に組まれたスケジュールがあるから、や、ファシリ能力なんてまとめてしまうことすら億劫になるほどスムーズな環境を知れたことは僕にとってめちゃくちゃ価値があった。
つまり、zoomであることですらスムーズな活動や関係構築をできない理由には一切なり得なかった。
僕らは旅ができる
大好きな歌で、旅に行きたくなってきた頃に必ず聞く歌にjunnosの「旅の人」という曲がある。
日焼けもせずキレイな服で歩いてたら
カモられるのは仕方がないね
騙されて おこってばっかいないで
取らなきゃ生きられなかった奴らを思え
ああ いきたい所に行けるの
良い国から来たね
ああ いきたい所に行ければ
そりゃ 幸せ
僕らは、旅ができる時代に生まれた。そこは、旅ができる国で、行きたいところに行ける国。
旅をしなくても体感できる時代を
僕らは旅ができる国で過ごしている。
コロナのせいで旅ができないと思っていた。
何もできないと思っている人がいた。
本当にできないのか。
そもそも旅はどこからが旅なのか。
結局、何かのせいにして逃げて言い訳ばかりを繰り返してるのは僕で、僕は僕のことばかりだ。
旅ができないと感じ、考える人の多い今だからこそ
旅ができる僕らは旅の新しい価値に気づいていく必要があるんだと感じる。