そして彼は星になった
彼と出会ったのは幼稚園の頃。
それ以前の記憶なんてないけれど、ちゃんと認識して仲良くなったのはその頃だった。
小学生、中学生と歳を重ねるごとにだんだんと距離は遠くなったけれど、彼はいつも変わらず「おかえり」と言ってくれた。
そういえば、彼は頑固で無口な人だった。
すらっと高い鼻は顔をキリッとさせ、深い堀の目元は日本人離れを彷彿とさせた。邪魔になるからと短く切られた髪は常に整えられていて、しっかりとした印象がどこからも感じられた。
「おかえり」と告げること以外、そういえば滅多なことでは口を開こうとしない彼は黙って何かをしてしまうことが好きな人で、出かけるたびに困ってる人を助け、捨てられた子犬を見つけては拾って帰ってくるような人だったけれど、優しく厳格な人だった。
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小学生に上がったばかりの頃、彼と初めて手を繋いだ。黙って右に行ってくれてることなんてその頃は考えたこともなかったけれど、彼は決まって右側を歩いてくれた。
ゆっくりと歩調を揃え、歩くスピードを落としてくれていることに気づくこともなく、2人並んでどこまでも散歩に出かけた。
博識だった彼の話は面白くて、いつも無口な彼も2人で歩いて何かを教えてくれる時だけはやけに饒舌だった。それを知ってるのはきっとあの頃には自分だけでそれがより一層嬉しさや楽しさを加速させてくれた。
花や草木を愛でる人で、「雑草」と決して呼ばない彼は道端にただ咲き並んでいる彼らのことをそれぞれ名前で呼んだ。
「本をたくさん読むと世界に優しくなれるんだよ」という彼のことも世界もわからなかったけれど、優しくなれるのなら本を読もうと思った。匂いに耳を澄まし、音に目を見張る。五感全て使って何もかもを掴めば人生が3倍楽しくなるのだと話してた彼は楽しそうだった。
中学に入り、少し疎遠になったけれど、たまに帰省してくるたびに彼は顔を出してくれて「おかえり」と言ってくれた。
相変わらず笑顔だけは見せない人だった。
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「やりたいこと全部やるんやで」
小学6年生の頃、彼がふとそんなことを口にした。
随分と思い悩みながら、ゆっくりとこぼすように、その場に落としていくみたいに下に向かって呟く彼の言葉を聞きたくて彼の膝下にもたれる。
彼の父は地雷によって片足がないのだと話してくれた、行きたいところにいけなくなった父の分までどこかに行ってやればよかったと思うようになったのは彼の父が亡くなってからで、大切なものはなくなって初めて大切だったと気づくのだと言ってた。
小学生の自分には難しい話で何もわからなかったけれど、幼いながらに彼が泣いてる理由はなんとなくわかる気がした。
中学に上がったばかりの頃、その日は彼がやけに上機嫌だった。
美味しいマグロを今夜食べれるのだと自慢してくる彼の目を見て、どうやら美味しい魚が食べれるのだと子供ながらに理解した。
いつもは無口な口がその日は朝から随分楽しげに踊っていて、疲れることもなくパタパタと動き続けた。
マグロの美味しさを熱弁し、解体まで細かく話す彼はいつもの何倍も楽しそうに思えて、彼と一緒にマグロを食べてみたいと思ってた。
その数時間後、彼は僕たちの目の前で事故を起こした。アクセルとブレーキを踏み間違えたことが原因らしい。
決して間違えを犯さない厳格で無口な彼は、饒舌だったその日に命を落とした。
僕の母は「星になったんだよ」と話してくれたけれど、幼かった僕でも彼は星になったのではないことがわかっていた。
祖父は53歳でこの世を離れた。
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祖父は旅が好きだったわけでもなければ
ましてや世界を変えたいなんて大それた人間ではなかったと思うけれど、それでも僕にとっては偉大で、果てしなく大きく遠い背中だった。
「おかえり」と口にして迎え入れてくれる祖父の周りにはいつだって人がいたわけではなく、むしろ怖がられることの多かった祖父だったけれど、それでも彼こそが僕の祖父だった。
側にいることが当たり前で、明日や明後日、来週や来月もこうして会えると思い込んでいた人は真っ先に会えない人になった。
つい数日前まで手を繋いで歩いていた人が眠る棺が焼却台に運ばれ、確認する。
一つ一つ丁寧に行うその姿勢はこの時の僕には億劫で、早く手際良く行ってくれやしないかとソワソワしていた。
彼の棺の焼却ボタンは僕が押させてもらった。
僕なりに精一杯考えて「いってらっしゃい」と心に唱えて押したけれど、あれでよかったのだろうか。
彼が灰になった頃、僕はもう涙が出てこなかった。
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あれからもう8年が経った。
いつが命日かも覚えておらず、ただ亡くなったのだと思ってはいたけれど、そういえば墓参りにも最近は行けていない。
祖父が足を運びたがっていたエジプトの地だけは行ってあげたくて、祖父の写真を忍ばせて行った。
ピラミッドの大きさは荘厳で、夕焼けに照らされたピラミッドは紅く染まる。エジプトの考古学博物館で見たファラオの仮面もミイラも僕の常識を簡単にぶち壊していった。カイロからバスで1時間移動した先にあるマンシェットナセルという小さな街はゴミに埋め尽くされていて、人々の暮らしはここにもあった。
祖父が見たかったエジプトは、僕のもう一度見たい景色になり、次は色んな人を連れてきてあげたいと思うようになった。
祖父の「おかえり」と言う穏やかな声はもう聞こえてこない。
僕らは毎日。
泣く。笑う。考える。喧嘩する。謝る。愛を囁く。
僕らは言葉でできている。
僕らは言葉でできていて、僕らはまだ冗談も言い合えて、会いたい時に会え、繋ぎたい手を繋ごうと差し出すこともできる。
そうしようとすることが減ったけれど。
TABIPPOなんてものにいて、学生支部をしていると人と話す機会は意図していなくても増えていき、自分とは別の何か大きなものの流れによって生み出される渦に呑み込まれないようにと足掻く。
学生支部全体でおよそ450人。
そこには450通りのこれまでのストーリーが転がっていることは明白で、これからもまた450通りのストーリーが広げられていくことも明白だけれど、僕たちはまた今日も忘れてしまう。
まるでそのほとんどのストーリーの主人公は自分だと言わんばかりに僕たちは時々振る舞ってしまう。
人の気持ちを深く考えず、味方のフリして搾取する。
相手のルールに土足で上がり込んで、勝手な正義を振りかざす。
自分の傷には敏感なくせに、他人の傷には見て見ぬふりで受け流す。
僕らは役割以上のことを、ついしてしまっているのかもしれない。
この船はどこに辿り着くのだろうか。
行き先は常に「若者に旅する選択肢が広がった未来」だけれど、旅が全てだとは考えない。
乗組員はみんな、それぞれ辿り着きたい場所があって、仲間にしたい人や描きたいストーリーがある。
この船はそうしてできている。
どうせ行き先が似ているのなら、一緒に行こう。
それくらいの緩さで集まって歩み出した僕ら。
僕らはまだ毎日を笑えている。会いたいと口にして会えている。
僕らは言葉でできている。
言葉にすることは減ったけれど。
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世界一周。
すれば何かが変わると思っていた。
けれど僕が変わったのは「旅」ができるようになっただけで、「生活」することはできていない。
いつもギリギリに起き、ご飯は食べたり食べなかったり、ただ目の前に現れる仕事をその場でこなし、時間が過ぎるのだけを待つ。気づけば夜は更けていて、眠りにつく。
僕は旅ができて、仕事ができても、生活ができていないのだなと痛感する。
祖父は、普通の生活のできる普通の人だった。
人と話し、人と笑い、人に悩まされ、人に怒る。誰かに好きだと伝える。そんな普通のことを普通にすることが、実は1番難しいのかもしれない。
世界一周をすれば何かが変わり、僕の世界も劇的に何かが変化するだろう。自慢にくらいなるだろう。
そう思って踏み出したはずの一歩は、途方もなく長く遠い道のりへと続いていて、人々の残した"無責任"だけが長々と世界には横たわっていた。
僕らは結局無責任なのだろう。
○○のためだと口にするのに責任は伴わず、本当にその人のためだけ思い続けて行動を選ぶ人はいない。
ワクワクしたから。楽しそうだったから。
ひどく中傷的な言葉を選び、感情に責任を取らせ、僕らはその行動を選択する。
どこに繋がるか、何が起こるか、予測しなかったできなかったことを僕らは感情のせいにして感情に責任を取らせようとするのだ。
祖父はマグロを食べれる日の朝に死んだ。
厳格で、誠実で、無口で、実直だった祖父。
そんな祖父が「お前のせいだ」と感情のせいにして死んでいったことだけは想像がつかない。
これまでは随分と感情に責任をなすりつけてきたけれど、僕もそうありたいと考える。
僕には夢がある。
自分の人生にくらい責任を取りたくて夢を持つようになった。
僕にはやりたいことがある。
生まれてきた、産んでくれた人たちのせいにはしたくなくてやりたいことを考えるようになった。
僕は代表を選んだ。
旅の選択肢がなくなり、自分の子供たちが旅できなくなった未来に「お前のせいだ」と誰かに責任をなすりつけたくはなくて。
僕らは責任が取れるはずなのに、責任を取るのが嫌だから何かのせいにする。
うまくいかない人生にお前のせいだと母親の胸ぐらを掴む人ではいたくない。自分の失敗をお前のせいだと感情のせいにする自分でもいたくない。
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「おかえり」
漁港が好きだった彼は僕を漁港に連れていってくれた。中学に入ってからはどこか変なプライドを持ってしまったせいで行かなかったけれど。
あの日が最後だとわかっていたら、漁港くらい一緒に行っておけばよかった。
あの日が最後だとわかっていたら、彼ともっと話しておけばよかった。
あの日が最後だとわかっていたら、彼の手を掴んでもう少し一緒にいようよと言えばよかった。
彼の「おかえり」はもう聞けない。
そして彼は、星になった。