病気や障害は負担ではなく、負荷であり、贈り物や試練、学び、個性である。

超親分には、病気と障害がある。

はじめは、なんで、超親分ばかりとめげていた。

しかし、これは、神が与えた試練であり、神が与えた贈り物、そして学びであり、個性である事に最近気づいた。

神が与えてくれた、贈り物だから、神に感謝したほうがいいのである。

神様、極めてありがとうございます🙇

試練というのは、負担ではなく、心を鍛えるためのバーベルや、鉄アレイだという、負荷なのである。

学びというのは、この龍のウロコを通して、人生、人間等の清濁等、様々な事を学ぶ事ができる。この龍のウロコを、醜いというニュアンスをいう人がいて、カッコいいと褒めてくれる人もいて、物事の見方は、様々であり、リフレーミングの重要性を学ぶ。

病気については、神はこういった「おまえの身体を病気で醜くした。だからこそ、心だけは美しくするように、心を鍛えなさい」

心を鍛えるというのは、読書だと超親分なりに考えている。

障害については、神はこういった「おまえは、頑張りすぎた。だから、障害を与えた。障害が治るかはわからないが、しばらく心身を休めなさい」

こういった事に、超親分は神の恩恵に気づいた。

こう考えれば、病気や障害が少しは楽になる、、、かもしれない。

自分だけの悟りにしようと思い、下書きにしていたが、少しでも誰かの役に立つのではないかと思い、やや加筆修正し、再公開した。


いいなと思ったら応援しよう!