理屈を主張するのではなく感情を動かすべし

ある職業訓練所での出来事だった。

あるPC指導をする職員は、日常的に舌打ちのような事をするのがクセだった。

私は、その何度も行われる舌打ちのような音が耐えられなかった。

何度か施設長に相談した。だが、施設長は、私が自分で受け流すようにと言ってきた。

私は納得が行かなかった。

職業訓練の卒業時、そのPC指導をする職員は、私が別れの言葉を終えた後、私の右上腕を思いっきり上から下へ振り下ろすかのように叩いてきた。

暴行罪である。

ただ、私の正しさを強調する理屈としてそのPC指導をする職員を追いつめていたのかもしれない。

私は正しくても、そのPC指導をする職員を感情でどうにかして動かすように施設長に話しておかなかったから、こういうことにもなったのかもしれない。

ただ、どういう言葉を投げかけて、感情を動かしていいか、すぐにわかる人はいるだろうか?

施設長を間に挟んだ事も、余計、こじらせたのかもしれないと思った。

暴行罪の暴力を受け、痛かったが、怪我をしなくて済んだので、今考えると、気合いを入れてもらい、良い学びになったと思い込むことにした。

相手の低い次元にまで降りず、相手と同じ土俵に立たず、相手の挑発に乗らないで、私は、その職員に対して少々投げやりだが、強調するように「ありがとうございました!」とだけ言った。

普通なら、やり返してやりたいと思うのが自然な感情だろう。

暴力に感謝で返したのである。

本能を使うのではなく、理性を使った!

悔しかったが、ネガティブにポジティブで返した自分を思いっきり褒めてあげたいと思うし、その職員とは、自分は格が違う事を見せつけてやった。

人は、正当性や理屈で強調しても、通らない場合がある。その時は、代わりに、人の感情を動かすやり方をする必要があるという事を、デール・カーネギーの「人を動かす」の本から学んだ。

嫌な出来事があっても、そこから学ぶべき事は、何かしらあるのである。

人生、日々、学びの連続である。

PS
誰か、感情を動かすってどうやるんだ?
と尋ねたら、

本郷さんが「褒めるんだ」と言いましたね。

本郷さん!そうかもしれない!

だが、まだ、その頃の私はほめ達のレベルが低かったから、まだ未熟だったようだ。

褒めて、褒めて、褒めて、褒めて、最後の一回に苦情を言えば、その職員を動かす事ができたかもしれない。

しかし、なかなか高度なテクニックじゃないですかね?

いや、褒めて、褒めて、苦情いれて、褒めて、褒めてのサンドイッチ方法のほうが良さそうじゃないですかね?

ん?私は本郷さんと会ったこともないし、メールも電話もないよ。

本郷さんの声は、誰かのテレパシーでキャッチしてるだけなんだ。

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