嫌煙者はナ○スではない。それは極論だ。
ある人が、嫌煙者のことをナ○スのようにたとえ、非難していた。が、それは違うと思う。みんな健康になれるみたいな考えがナ○スみたいだというが、正確に言うと、みんなではなく、より多くの人たちが健康になれるというポジティブな考え方だ。
あえて不健康になる人を減らすために嫌煙者の存在は必要だと思う。
これは、病人を攻撃することにもつながるのではと恐れているようだが、つながる可能性があるだけで、嫌煙者たちが集まっても、心ある嫌煙者たちだっているはずだ。自分では望まないのに病気になった人たちを、理屈や道理を大事にする嫌煙者たちが攻撃するわけがないと思う。むしろ、注意されて暴力をふるってきたマナーの悪い喫煙者たちが横暴だったはずだ。
論点や観点が何かズレてる気がした。
ナ○スがみんな健康になるように努めたのは、見方によっては、良い側面ではないだろうか?
悪が真っ黒かというと、白い部分も少なからずちょっとはあるかもしれない。
ナ○スは、別の側面で残虐な非人道的な行為をしたから、そのイメージが強くなり、嫌煙者がエスカレートしてナ○スみたいにならないか恐れているのかもしれないが、
嫌煙者の中には、公平性、平等性、健康性、弱者救済を願う心優しい人たちもいっぱいいると僕は思う。
むしろ、僕にはマナーの悪い喫煙者たちがナ○スのやっていたガス室送りにするような、タバコの副流煙=ガスをまきちらかして嫌煙者たちに加害行為をしているとしか思えないのである。
そんな元凶となるタバコなら、マナーの悪い喫煙者が非難されるくらい我慢しろといいたい。
嫌煙者は、副流煙を我慢して、なぜ、言論の自由まで我慢しなければならないのだ。
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