文楽の世界へ 13 河合龍之介 2018年8月5日 09:40 昨夜大阪に出向いていた目的は…文楽を観に行っていたのです。 初めての文楽。東京でも勿論文楽を観る機会はありました。しかしやはり!初見は本場ここ大阪の日本橋の文楽劇場で!という想いが強くこのチャンスをうかがっておりました。どうしても文楽は土日の公演が多く、たまたま公演などで関西に訪れる機会にも本番が重なる関係で近くにいながらすれ違いが続いていました。今回は仕事もひと段落した状況だったのでタイミングバッチリでした。 本公演は特に文楽の魅力がわかりやすく伝わる作品だったこともあり、とても!とても!楽しませていただきました!勿論、イヤホンガイド装備でね🎧♪ 人形という一見無機質な存在に魂が吹き込まれる瞬間。ジワジワとその情感が醸し出されて来る瞬間にはただただ無垢で率直な存在だけが舞台上に立ち上がります。そしてその主役の人形に魂を吹き込むためにあくまでも人間は黒子に徹します。その姿勢が素晴らしく、やがて観ている僕ら観客にありのままの創造力を与えます。 文楽は男性によって演じられます。太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ正に三位一体の演芸。そのあ・うんの呼吸にまず驚かされます。人形遣いの繊細なコンビネーションは本当に神業で、顔の細やかな動きから指先まで神経の研ぎ澄まされた動きは人間のそれをも超越するのではないかと思うくらい。序盤はそんな三業の圧倒的な芸にただただ感動で鳥肌でした。 そして徐々に物語に引き込まれていくに連れ、その段にはもう人形劇を観ているという感覚はありません。一つの人間模様にただただ、ただただのめり込んでおりました。もう、切なすぎて涙が…。人形だからこそ、表現をしない、何も発しない、存在だからこそ逆説的に表現がしっかりと伝わって来るのだと思います(能の能面と作用は同じかもしれませんね)。この‘ただただ’ひたむきに‘いる’。そんな存在に徹する、ことの大切さ。つまりは…人間の役者である自分はなんてわがままで欲深い存在なんだろうとすら思ってしまったほど笑。 僕ら欲深い人間にはなかなかたどり着けない境地かもしれませんが、目指すべき境地なのだと思います。とはいえ、そこに生身の人間がやる意味が隠されているのかもしれませんね。どうしても辿り着けない場所になんとか辿り着きたくてもがいている姿こそが僕らに課せられた役割であり、そこに人間なりの美しさがあるのかもしれません…。 こうした伝統芸能には長く研鑽に研鑽を重ねられた一つの答えが、そのヒントが沢山散りばめられています。少しでも一欠片でもそれを掬い上げて自分のものにしていけたらいいなと思うんです。そしてただただ純粋に美しいです。感動します。率直な表現ってなんて素晴らしいんだ!と安易な表現しかできなくなります笑。僕は芸を勉強していく立場の人間ですが、それを抜きにしても、というか所々そんなことすら忘れてしまって楽しんでしまいます。ですので是非これにご興味持って下さった方がいましたら、一度足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと終わった後…最高の酒が飲めますよ笑(オチはソコか!?笑)。でも本当にゆっくり劇を思い返しながら飲む酒は最高でした。(ビールがラガーだったら尚良かったけど笑)。わざわざ大阪まで来て良かった…。最後に…「人形」と書いてヒトガタ、「人間」はヒトとヒトとののアイダ(ヒトとの関係性によって規定される存在)。どちらも曖昧で完全にヒトではナシ、ヒトデナシな存在。最終的にヒトを表現する役者もヒトに飛びつかず、まずはこの‘ヒトデナシ’な存在から全てをはじめるべき?なのかな?と、おもったりなんだり…しました。 今回の公演の詳細になります。ご参考までに。 いいなと思ったら応援しよう! 新たなチャレンジへのサポートをいただければ嬉しいです! チップで応援する 13