高杉晋作先生の眠る地へ「東行庵」

画像1 本日は下関から移動し、晋作先生のお墓参りに東行庵まで行ってきました。じっくりお礼参りしてきました。僕にとって高杉晋作先生との出会いはとても大きなターニングポイントでした。そして今もその志に影響を受けています。(あっ、ちなみにこの“僕”と言う一人称を使い始めたのは先生だと言われています。)
画像2 そして、この地で死ぬまで晋作先生の菩提を弔っていたのが谷梅処こと出家した愛人おうのでした。人里離れたここでずっと愛した人を想い続けながら暮らしていたのです。僕はこの2人のエピソード、関係が好きなんです。特に2人の逃避行の旅はドラマチックです。晋作先生のお墓から少し離れた場所でひっそりと眠っているおうのさんのお墓はとてもかわいらしく、どこか2人の関係をそのまま表しているようでした。
画像3 また、ここには長州の重要人物、奇兵隊士も数多くねむっております。中でも個人的に、この人なくして時代の幕開けはなかったと思う人物、白石正一郎のお墓もありました。今でいうパトロンです。それも大きなパトロン。高杉晋作始め、坂本龍馬などに活動資金を惜しみなく注いでいたのは彼です。最後には彼らの為に大きな借金まで抱えるなど歴史を裏で支えてきた、かつ幕末の志士たちに大きな共感を持てるほどの才覚を持った重要人物でした。
画像4 いつの時代も人には人生における“役割”というものがあり、それに従って突き進むことが大事だと思っています。歴史とは表の人間だけでなくこうした裏で暗躍してきた人物たちと一体となって躍動してきました。むしろクローズアップされにくい彼のような人物にこそじっくり光をあててみたいものです。そして改めて自分自身にもそんなテーマを重ね合せてみたりもしました。
画像5 今日はたまたま東行庵の記念館が閉まっていて、高杉晋作先生始め、多くの貴重な資料を目にすることができなかったのが心残りでした。しかし偶然にも今日は終戦記念日。そんな日にこの地を訪ねることができて良かったのかもしれません。多くの先人達に対して想いを馳せる日ではありますが、中でも明確な人物や歴史にフォーカスをあてて過ごすことができました。
画像6 どこか風も穏やかで、激しい時代を駆け抜けた方々の魂を優しく包み込むような場所でした。
画像7 最後にやはりこの句で締めくくりたいと思います…。《面白きこともなき世におもしろく》《すみなすものは心なりけり》前半の句は晋作先生の終末の句、後半の句はその死を看取った野村望東尼の句です。僕の座右の銘であります。そうです。面白いことをするのです! P.S.…余談ですが…この野村望東尼という人物もとても興味深いのです。先生に関わった女性たち…妻のおまさ、愛人のおうのだけでなく、この野村望東尼こそがある部分では最大の心の支えだったのではないかと思うのです。もしご興味ある方がいましたら調べてみてください。

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河合龍之介
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