矢崎仁司監督「花を摘む少女と虫を殺す少女」より
先日、シネマノヴェチェントで矢崎仁司監督の特集上映があり行ってきました。当日は監督始め乱歩でもお世話になった草野康太さん、カメラマンの石井さんなど矢崎組の常連の方々も多数いらっしゃっておりました。
(自分は過去に「不倫純愛」という作品に参加させていただきました。)
そんな懐かしい再会の場でもありましたが、何より監督の作品に浸れる1日をとても楽しみにしていました。
当日はこの「花を摘む少女と虫を殺す少女」と「無伴奏」、「XXX kiss kiss kiss」の3本立てでした。
花摘む〜の尺が約4時間あるのでトータル8時間くらいかな…もはや4本立てレベル笑。文芸座のオールナイトでもなかなかない。
このごろは観ても2本立てが限界で、それ以上になると体力的な部分は勿論のこと、精神的に追いつかなくなってしまいます。
学生時代、20代の頃は毎日修行のように3、4本は観ていましたが、あの頃と今では映画を観ることに対する挑み方が変わってきたような気がしています。それは意識的にそうしているところもあります。昔はとにかく量でした。映画という言語をとにかく浴びるように体感しなければならないと自分に言い聞かせながら観ていたような気がします。実際に多くの映画に触れていたことが現場で生きてきた実感もありましたが。(また、シネフィルに憧れていたところもあったのかもしれません笑)そんな映画によって価値観を常に変動させられる体験はこの時期だからこそできたことだったのかもしれません。
今でもまだまだ確固たるものが確立された訳ではありませんが、変化することに対してじっくり構えるようになったのかもしれません。じっくりゆっくりと、削ぎ落としながら1つ1つと向き合い選択していくこと。今はそんな段階なのかもしれません。
だから決して映画が嫌いになった訳じゃなくて、むしろもっとその時間を大事にしていきたいと思っているところです。
またまた余談が過ぎましたが…今回はそんな映画と自分の関係を考えさせられるような1日でした。
しかもそれは矢崎監督の作品だったから感じれたことなんだと思います。
そもそもいい映画はずっと観ていられるものなのです。尺はあんまり関係ない。むしろずっと観ていたいと思う。そして相性なんです。特にこれは個人的なところですが、矢崎監督の作品はとても自分と相性が良いと勝手に思っています。
1番それを感じるのが“視線”です。監督(そして、カメラマンの石井さん始め矢崎組の常連スタッフ)の視線を通して紡がれていく観察1つ1つが、映し出されるものの1つ1つが、あえて映し出さないものの1つ1つが僕の希望なのです。 共感とは違う、なんでしょ、監督の視線には大きな愛があって、受け入れてくれる度量がある…から共愛?のような。
世界を許すことからはじめてくれる。
これが映画だなって思いました。
今回監督の作品をずっと観ながら、というか監督の視線を後追いしながら気付かせていただいたことです。
本当に、映画も人生もそんな体験をしていたいですね。特に映画はその力が強いと信じていますから。
正直映画はこれからどうなるかわかりません。これから大きな変革が起こるのかもわかりません。でもこういう根底にある映画の精神は生き続けて欲しい。そう願っていますし、そうでなきゃいかん。だから自分も少しでも加担していたい。そして、やっぱり良いものはいいと言い続けたい…。
と、今回作品の内容のことには触れられず、ごめんなさい。
しかしとにかく間違いなく映画愛のたっぷり詰まった作品です。是非機会があるときにスクリーンで観て感じていただきたいです。
P.S.
あっ、昨日「怒り」観ました。
これも凄まじかった。映画、死んでない。
河合龍之介