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影響力が大きいのは「行為」よりも「存在」 _feat.イエス・キリスト、孔子、吉田松陰

どんな人も、生きているだけで価値がある

僕は、本当にこう思っています。綺麗ごとや理想として語っているわけではないんです。僕たちの過去の歴史が、はっきりとそう示しているからです。

僕が代表をしているCOTEN(コテン)という会社は、約3500年分の歴史を整理・分類して「新しい世界史データベース」をつくるサービスの開発を続けています。

世界史をデータベース化することで、「歴史による深い洞察」を誰でも引き出せる仕組みを実現しようとしています。

このサービスは僕自身が歴史を学ぶことが好きで、たくさん本を読むことでしかわからなかった発見、社会や人間の傾向をシェアしたいと考えたところからスタートしました。

歴史を通して様々な偉人たちに出会っていくと、「社会的な行為やアクション」としてはそんなに大きなことを成してはいないのに、そのあとの影響が絶大であるケースにいくつも出くわすんです。

イエスも孔子も吉田松陰も、実は何も「成して」はいない

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たとえば、イエス・キリスト。キリスト教の影響力は言うまでもありませんよね。

ただ、イエスがした活動の範囲はすごく狭いんですよ。行ったことは、最大でも数千人といわれている聴衆の前でのスピーチだったり、少人数の弟子と狭い範囲を遊説したりしたぐらいです。

儒教を創始した思想家・孔子もそう。

十数年間、弟子を従えて徳の道を説いて回ったのですが、その活動範囲は半径数百キロ程度。孔子といえば『論語』でしょ、と思うかもしれませんが、『論語』は弟子と問答した内容を孔子の死後に弟子たちが記録した書物です。孔子自身が書いたわけではありません。

にもかかわらず、西のキリスト教、東の儒教というほど、儒教は人類史上最高クラスの思想体系として東アジアで定着しています。

日本人なら、吉田松陰も「自身が行ったこととしては大きくないグループ」の1人です。

倒幕で実際に活躍した高杉晋作、西郷隆盛らの功績に比べたら本人が行ったことは多くありません。30歳足らずの若さで亡くなってもいます。なのに、「近代の礎を築いた師」として吉田松陰に関連する本は数知れず、今も読みつがれています。

「非暴力・非服従」を提唱したマハトマ・ガンディーや、『社会契約論』のルソーも同じグループだと思います。

権力を持たない人間が死後に影響を与えた! なぜ?

世界史的スーパーヒーローの1人を挙げるとすると、アレクサンドロス大王がいます。

ギリシャからインド北西にまたがる大帝国を築き上げ、一度も戦いに負けなかったのがアレクサンドロスです。アレクサンドロスが自らの手で成し遂げた偉業と比べたら、イエスや孔子、ガンディーたちが生きているうちにした行為の規模や華やかさは足元にも及びません。

なのに、イエスも孔子もガンディーも後世に与えている影響はものすごく大きい。

権力を持たない人間が、それも死後に社会を動かした。すごくおもしろいと思いませんか? なぜこんなことが起こるのでしょうか?

それは、彼らの存在が「極端に何かを示唆するものだった」からだと僕は思うんですよね。

イエスも孔子も、吉田松陰も、その本人の周りにいた人間や弟子たちがどんどん勇敢になっていきました。彼らの後世にいる人間の挙動がアレクサンドロス大王とは大きく違っています。

吉田松陰という「存在」を知った弟子たちは、何かに突き動かされました。イエスには、死ぬときも自分を裏切った弟子のために祈っていたという説があります。

裏切った自分のために死の直前まで祈る様子を見た弟子は、そんな生き方がこの世に存在することを目の当たりにし、どんな気持ちになったでしょうか。イエスの言動が、周囲の人間にとって想像の範ちゅうを超えていたことは間違いなさそうですよね。

イエス、吉田松陰、孔子に共通してあったのは、理念とか思想に思いきり振り切っていたこと。

弟子の想像を超えるレベルで、自分の師匠があるベクトルに完全に振り切っていた。弟子としては師匠の方向性に賛同しているところはあるものの、いろんな社会状況や自分の状況を含めて考えると、合理的でないとか得策ではないと判断して止めたり、師匠を裏切ったりしています。

師匠のほうは、振り切ったまま死んでいきます。

そうすると弟子に「謎の罪悪感」が生まれるのではないかと僕は思うんです。師匠はあそこまでやったのに、自分たちは振り切れなかったという後悔。これはあくまでも僕の想像の域ですが、イエスの弟子たちや高杉晋作の生き様にそれを感じます。

「行為」というのは、その本人の功績として完結しがちなところがあります。一方で「存在による第三者の気づき」は、受け取った人間に行動変容を起こします。

つまり、その振り切った偉大な「存在」に弟子たちが自らの命をかけるほど吸い寄せられたことで、その「存在した人物」が死後に何千年も広く影響を与えることになったというわけです。

反面教師という「好影響」

イエスや吉田松陰はいい作用の例ですが、何もすごい人たちだけの話ではないんです。

僕たち普通の人間も、存在しているだけで影響を与えています。

たとえば、ニートという存在です。ニートは、社会的な「行為」をしていないかもしれないし、働く意欲のない無職の"良くない”存在として語られますよね。

でも、僕たちに「ニートが存在する」という事実による強い影響を与えています。

世間一般的な価値観において「とんでもなく最低な人がいる」というのも、周囲への影響力や気づきとしては同じです。

働かないしフラフラと遊んでばかりで、家族も省みない父親の元で育った息子が、父を反面教師に成長して社会を引っぱる存在になることはいくらでも起こります。世の中にある素晴らしいシステムは、その前のカウンターとしてつくられているものが少なくありません。

もっというと、いい影響を与えようと社会に貢献した人が、本当にいい影響を与えられるかどうかはコントロールができないとも言えるんですよ。

中国史にこういう例があります。

「清」の時代、皇帝・乾隆帝(けん・りゅうてい)が退位したあとに国力が落ち、イギリス(大英帝国)と大変な不平等条約を結ぶことになりました。

なぜ、超大国がイギリスのいいようにされてしまったのでしょう。

中国史が好きな人間からすると、その理由や背景を語るには、約2000年前にさかのぼらなければいけません。

春秋時代に「斉」の君主・桓公(かんこう)に仕えて覇者に押し上げた管仲(かんちゅう)をはじめ、「秦」の発展の基礎をつくった商鞅(しょうおう)、「漢」で劉邦(りゅうほう)をサポートした張良(ちょうりょう)や蕭何(しょうか)などなど、「王権を強くして、中国の国力を上げることがめちゃくちゃうまい」側近(政治家)がいたことが大きく関係しています。

中国の王朝というのは、皇帝を中心とした高度な官僚制度によって成り立っていました。

中央集権化に成功した中国王朝は栄華を極め、西洋よりも進んだ発明や技術をたくさん持っていました。商鞅や張良など優れた政治家の間接的な貢献があったといえますし、中央集権政治の体制によって中国は富国強兵を実現しました。

そうやって続いてきた超大国が、清の時代にイギリスに負けました。これは、王朝の力が強くなりすぎたことで資本主義が育たなかったからです。

資本主義の発展には自由な商業や所有権の保証などが必要で、強力な中央集権はそれを妨げます。資本主義の土壌がないし、育たないのです。

そうやって歴史をつないでいた中国に対して、西洋では何が起きていたか。

イギリスで産業革命がはじまり、資本主義が進んでいました。中国は、近代国家化に乗り遅れました。

結果として、不平等条約に甘んじることになってしまったわけです。

ほかの国に支配されることになった清の民たちは、ものすごく困りますよね。

その根源は実は約2000年前にあったわけですが、三国志に突入する前の時代に国を引っぱった英雄たちが、数千年後の祖国を予想して動くことなんて、当然ながらできるわけがないですよね(笑)。

真実は1つじゃない

多くの人が「行為」をものすごく重視し、人生で立派なことをしないといけないと思ってしまいます。

社会を良くしたい、社会を変えたい、何かを達成したいとがんばってしまう。

だけどその結果、社会にいい影響を与えられるかどうかは、なが〜い時間軸の視点に立つと本人のコントロール外にあるんです。

結果がどうなるかは、人智を超えていると言っていい。

いい影響か悪い影響なのかも、見方次第で大きく変化しますよね。

同じ出来事であっても、短期的に見るか長期的に見るか、どこのエリアから見るかでも変わります。

いつだって、真実は1つじゃない。

自分の人生が周囲や社会にどういう影響を与えているか。

それを自分で短期的に評価することは、あまり意味がないと思います。

孫正義やイーロン・マスクが、「行為」でものすごくいまの社会を変えているように見えるかもしれません。キラキラ輝く彼らに比べて、自分は本当になんてちっぽけな存在なんだ……。そうやって落ち込むことがあるかもしれません。

でも、僕は声を大にして言いたい。

何もしていないように見える人だって、実はその存在で世界を変えています

ここで最初の言葉に戻ってほしいんです。

すべての人は、自分が何をしていなくても、生きているという「存在」だけでめちゃくちゃ影響を与えています。

存在に価値がある」んです。

この概念を手に入れたら、自分にも他人にも長い目と幅広い視野で考えられるようになります。僕自身も、この考え方をとても大事にしています。


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このnoteでは、歴史を学ぶことで得られる「遠さと近さで見る視点」であれこれ語っていきます。3000年という長い時間軸で物事をとらえる視点は、猛スピードで変化しているいまの時代において、どんどん重要になってくると思っています。

何千年も長い時間軸で歴史を学ぶと、自分も含めた「いまとここ」を、相対化して理解できるようになります。世の中で起きている経済や社会ニュースとその流れ、ビジネスシーンでのコミュニケーションや組織づくり、日常で直面する悩みや課題などを解決できると僕は信じています。

人間という存在そのものを理解できたり、ストーリーとしての歴史のおもしろさを伝えたくて、歴史好きの男子3人でインターネットラジオ『歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO』を配信しています。PodcastやYouTubeとあわせて聴いてもらえたらとてもうれしい。毎週更新中です。

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(おわり)
編集・構成協力/コルクラボギルド(平山ゆりの、イラスト・いずいず

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COTEN 深井龍之介
株式会社COTEN 代表取締役。人文学・歴史が好き。複数社のベンチャー・スタートアップの経営補佐をしながら、3,500年分の世界史情報を好きな形で取り出せるデータベースを設計中。