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憤慨!理不尽な村上誠一郎のSNS規制!(エッセイ集 Article 19)


地上波とSNS、どちらが本当に危険か

偏向報道とSNS規制の真実を斬る

情報社会において、何が真実で何が嘘かを判断するのは、個人の責任と言われることが多い。しかし、それが簡単なことなら、そもそも問題にはなっていないはずだ。SNSの規制が進む現代、地上波や新聞という巨大なメディアはその影響力を存分に発揮しながらも、自らを省みることはない。これが情報社会の矛盾であり、滑稽さでもある。

村上総務相がSNSの情報流通に責任を求める発言をしたのは、まるでSNSをこの世の全ての悪の根源とでも言いたげな勢いだった。しかし、本当に問題なのはそこなのか?いや、むしろ地上波テレビや新聞という、日々の生活に溶け込むように情報を流し続けるメディアの影響力こそが、社会に根深く刻まれている偏向の温床ではないだろうか。

嘘も真実も

SNSは確かに速い。拡散力という点では、これ以上ないほど優れたツールだ。しかし、それだけではない。SNSは誰でも情報を発信できるという特徴を持つ。そのため、嘘も真実も、偏向も正論も、全てが混ざり合って流れてくる。ある意味で、混沌としているが、その分公平でもある。しかし、地上波や新聞はどうだろうか?そこには、情報の選択肢はない。編集者や記者の手によって、最初から選別されたものが「真実」として押し付けられるのだ。

これが何を意味するかと言えば、SNSだけを規制することは、一方向の視点を押し付けるメディアを助長する結果にしかならない。まるで、現代社会の迷路の中で「これが唯一の出口だ」と示されるようなものだ。しかし、その出口が実際には袋小路だとしたら?誰がその責任を取るのだろうか?

地上波や新聞の偏向報道に目を向けると、そこには意図的な編集が見え隠れする。記者の意見、放送局の方針、スポンサーの影響。これらが混ざり合い、「これが世の中の正しい見方だ」と無言の圧力で示される。それが誤りであった場合、被害を受けるのは我々視聴者であり、国民だ。


by 高倉龍之介

情報の公平性

SNSが取り締まられる中で、既存メディアがどれほどの影響力を持つかは無視できない。特に、高齢者層にとって、テレビや新聞は未だに主要な情報源だ。彼らがSNSのような多様な視点に触れる機会は少ない。そのため、地上波や新聞の情報が偏っていれば、それをそのまま受け入れる危険性がある。

これを考えたとき、SNSだけが悪者にされる現状は、全体を俯瞰した公平な対策とは言い難い。むしろ、地上波や新聞が果たしている社会的影響力を検証し、彼らにも責任を求めるべきだろう。情報の公平性は、すべてのメディアに共通して求められるべきものである。

この状況に切り込むとすれば、「地上波の報道は、都合のいいフィクションだ。SNSは現実だらけのカオスだ」。私たちは、フィクションに安心を感じるのか、それともカオスから真実を拾い上げる覚悟があるのか。その答えが、これからの情報社会を形作る鍵となるだろう。

SNSの規制強化は、地上波や新聞というメディアの独裁を許す危険性を孕んでいる。それは、情報を統制することであり、私たちの自由を奪う行為に他ならない。表現の自由と情報の公平性。この二つを守るためには、すべてのメディアに対して公平な視点を持つべきだ。SNSも、地上波も、新聞も、すべてを等しく疑うこと。それが現代を生きる私たちに求められる姿勢である。

私たちは、フィルターのかかった「真実」に踊らされるのではなく、自らの目で情報を見極める力を持たなければならない。その覚悟があるかどうか。それが今問われている。

◆YouTube:https://youtu.be/bYmmyPweYag
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※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)


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