
年収103万円の壁が示す日本の病理」エッセイArticle 56
「政治家の茶番劇に付き合ってる暇はない
「また壁の話かよ?」
そう思ったなら、それは当然だ。日本の政治は“壁作り”が大好きだ。103万円の壁、130万円の壁、150万円の壁——政府は庶民に見えないハードルを次々と設置し、「頑張るほど損をする」システムを維持し続けている。まるで迷路だ。
そして、またひとつ、新しい壁が立ちはだかった。
国民民主党は、この問題に正面から切り込んだ。「年収制限なんかやめちまえ」と言い切った。まったく正論だ。日本の労働市場はすでにガタガタで、人手不足に喘いでいる。それなのに、働けば働くほど手取りが減るような仕組みを維持する意味があるのか?
答えはシンプルだ。ない。
でも、自民党、公明党、維新の三つ巴は、まるで手品のように問題の本質をすり替え、国民を煙に巻こうとする。
「庶民のため」と言いながら、庶民を締め上げる政府の欺瞞
自民党は「財源がない」と言う。
公明党は「調整が必要だ」と言う。
維新は「高校授業料無償化に力を入れるべきだ」と話を逸らす。
では、問いたい。
「財源がない」と言いながら、大企業には優遇税制を与え、不要な公共事業にジャブジャブ金を使っているのはどこの誰だ?
「調整が必要」と言いながら、実際には何も調整せず、利権団体の顔色をうかがっているのはどこの政党だ?
「高校授業料無償化」と聞こえはいいが、それによって現役世代の負担がさらに増えることを説明しないのは誰だ?
答えは明白だ。
自民党は、ただひたすらに既得権益を守るために「財源がない」と連呼する。
公明党は、どこにも着地しない交渉を「政治の現場」と称して茶番劇を続ける。
維新は、パフォーマンスばかりで、結局は自民党の補完勢力でしかない。
何が「政治主導」だ。何が「改革」だ。結局、やっていることは「国民に負担を押し付ける」ことだけじゃないか。

維新の“ペテン”、公明の“ジレンマ”、自民の“無策”
国民民主党が「年収制限を撤廃しろ」と言ったのに対し、自民党が出してきた案は「年収850万円を上限に4段階に分けて基礎控除を特例で設ける」というものだった。
はっきり言おう。こんなのは改革でも何でもない。
そもそも論として「壁」が問題なのに、「壁を少し高くしてやるから黙ってろ」と言っているに過ぎない。年収制限が残る時点で、政府の「見直し」はまるで意味がない。
さらに言えば、維新の会が自民党と公明党に取り込まれる形で「高校授業料無償化」を条件に合意したのも、まるで筋が通らない話だ。問題は「働けば働くほど損をする」制度なのに、まるで「教育問題」かのように論点をすり替えてしまった。
維新は「改革政党」なんて言われているが、やっていることはただの政治的取引に過ぎない。公明党はそんな維新に振り回されながら、最終的には自民党の言いなりになった。
結局、国民民主党が掲げた「手取りを増やす」というシンプルな理念は潰され、維新が「勝った」ことにされた。実態は、自民党と公明党が維新を取り込んで、国民民主を排除しただけだ。
「政治に期待するな」は、もう通用しない
「政治なんて期待しても無駄」
「どの政党も同じ」
そう言いたくなる気持ちはわかる。だが、この103万円の壁問題が示しているのは、「政治があなたの生活に直接関わるものだ」という厳然たる事実だ。
無関心でいることは、彼らに好き放題やらせることと同じだ。
自民党は今後も、財源がないことを理由に、庶民に負担を押し付けるだろう。
公明党は、維新との間を右往左往しながら、自民党の下請けを続けるだろう。
維新は、「改革」を掲げながら、自民党と同じ穴のムジナであることを隠そうとするだろう。
一方で、国民民主党は「手取りを増やす勢力と増やさない勢力の戦い」だと明言し、真っ向からこの問題に立ち向かおうとしている。
この戦いを放棄するのか、それとも、政治のゲームを変えにいくのか。
選択は、国民に委ねられている。
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※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)