幸せとかドーパミンとか依存とか
年収が高ければそれに比例して幸福度はあがらないらしい
これは捉え方によると思うが幸せの定義をどう捉えるかに
よると思う。
「お金」「家族」「物」「思い出」「友達」
わからないがみんなはどうだろう
ただ熱中できる「なにか」は必ず必要だと思うし
なければ人生の面白みがないと思う
思えば学生時代に熱中できる行事が山ほど用意されていた
宿泊研修修学旅行(当日までに行き先を決めたり役割分担をする)
熱中した。
部活動 大会に向けて熱中するのもあるが1日の練習単位でも
みんなで声を掛け合い熱中した。
さて今はどうだろう
毎日のルーティンワーク
休日の決められたルーティン
熱中どころか脳死だ
そこにスマホがある
ドーパミン
(快楽物質)
こいつには恐ろしい薬物的効果がある
狩猟採集時代 木の上に果物がある。その果物はとても甘く栄養価が高い
ただその高さ10メートル
軽く届く距離ではない
だが摂れた←ドーパミンブシャ
次に見えた果物は今とった果物よりもはるかに栄養価が高く甘い
ただ高さは100メートル
だが摂れた←ドーパミンブシャ(先程よりも分泌)
その次も100メートルの高さの果物を食べるのを繰り返すと刺激
(ドーパミン)が足りないのでもっともっと美味しい果物を求める
ただなかなか100メートル以上はない
だがこのスマホ
努力(木に登る努力)を要さずドーパミンを得られる
自分が見たい情報にすぐにアクセス可能
より高刺激なのを求めるのに対応している
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AIが判断し自分好みを表示してくる
そうなると自分で思考するというのがなくなる
こうなるとおしまい
スマホとみきあうのは人類の
生き方に影響をもたらすだろう