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エジプトで日本人に2回敗けた話

先に述べておくが
本記事にはコーヒーの話は一切登場しない。

コーヒーについての記事は
次作 「イタリアでボナセーラ」を
楽しみに待っていてほしい。

成人ホヤホヤの私が
ローマとヴェネツィアで大暴れする話だ。

では本編。

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本編の前に前置き。

コーヒー天国エチオピアを発ち
本来の目的地エジプトに到着。

もちろん首都カイロにだ。

カイロで思い出したが、
小池東京都知事はカイロ大学の出身だった。

東京で思い出したが、
カイロで宿泊したゲストハウスの
Wi-Fiのパスワードが
“TOKYO2020” だった。

このような 「それで?」
で終わってしまうような一文が
エッセイを弛(たる)ませる。

ちなみに "たるむ" は週2でゲシュタルト崩壊するので
個人的には予め補強しておくことをオススメする。


さて、ここで余談だが
私は海外で日本人に話しかけられるのがあまり得意ではない。

というのも

「いや日本で会うても絶対喋らんやん」
という人間が

“異国の地で日本人に会った” という
ペラペラの運命だけを武器に

ニコニコ近づいて来るのだ。 

キツイ。

かなり。

海外ではなんとしてもI’m from Japan だと
同郷 (天敵)に悟られてはいけない。


そんな想いを綴った前置きを終え、
ここからが本編の前置きである。

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ここは、アフリカ随一の大都市、カイロ。

当然の如くこのゲストハウスにも
日本人と思しき "同郷" を確認。

バレればジャパニーズニコニコの餌食必至。

息をするように身体が自然と
バカンスモードからバトルモードに切り替わる。

日本人対日本人のデスマッチ in Egyptと
本編 開始のゴングが今、鳴った。カァーン


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カイロ市内の観光を終えた私は共有スペースでくつろいでいた。


今にも「筋弛緩剤をおかわりした人のモノマネですか?」と聞かれてもおかしくないくらいダラァーと。


その時

共有スペースに "同郷" が現れた。

全身の筋肉がモリモリモリモリと音を立てて隆起する。

今にも 「筋肉増強剤をおかわりした人のモノマネですか?」と聞かれてもおかしくないくらいにモリモリと。

準備は万端。


さぁ!

カイロでの初戦!

絶対に負けられない戦いが!

ここにある!

然れど!

同郷が!

私を見て!

放った!

第一声!!!!!


「日本人っすよね?」


「」

開始ゼロ秒、衝撃のゼロ距離かかと落とし。

HPも勝算もゼロ。

「え、お兄さん日本人っすよねえ?」

「わっつ?」


(なぜだ。なぜバレた。冷静に冷静に。大丈夫。日本語は発していない。それにパスポートなどの国籍を特定できるものは持っていな、、、)

ふと自分の手元に一瞥をくれる。


あぁ、、、



“あたしンち” を読んでいた。



エジプトの宿にあたしンちがあることに興奮し、
手に取ってしまったのだった。

まるで

「この宿を“あたしンち”と思ってください。」

と言わんばかりの

宿主の素晴らしき O・MO・TE・NA・SHI

エジプトツアー 無念の初戦黒星スタート

その後、
引き続き話しかけてきた"同郷"を おもてなすことなく
私は眠りについた。




翌日、この日は留年コーヒー20歳の誕生日。

世界一の墓 ピラミッドを訪れていた。

プンプンする観光地臭を横目に あ、横鼻に

ビジネス砂漠をズンズン進んでいく。

何千年も昔に機械を使わずあれだけのブロックを積み上げた人間の偉大さに

思わず「声が出ない」と言ってしまった。


せっかくなので20歳の誕生日に
ピラミッドに来た軌跡を残そうと

※RYOGOSS/留年コーヒーの当時の活動名


砂漠の砂に “RYOGOSS 17.11.2016” と
書いていたその瞬間

ラクダに乗った
地元のヤンチャボーイズに

砂漠の砂をかけられた。

"エジプトのガキは砂を投げてくる"
地球の歩き方に載せた方がいい。

地球の歩き方への提言


そんなこんなで最高の20歳を迎えた私は
カイロを後にし

ナイル川に沿って
エジプトを南下していった。

深夜に爆音でマッドマックスもどき観賞が始まる
夜行バスに揺られて(脳も身体も)

次の街ルクソールに到着。


早速ゲストハウスにチェックインして
少し休もうと思うも
ここが戦場であることを思い出す。

バッグパックをおろす暇もなく日本人デスマッチ第二試合 開始のゴングが鳴った。

その刹那

相手の先制攻撃「こんにちは」に

なす術も無く
「こんにちは」と返してしまった。


平凡な挨拶「こんにちは」が
敗北宣言に変わった歴史的瞬間だった。



もはやゴングのカァーンと「こんにちは」の「こん」が同時だったようにも思う。

圧倒的強者による極上の「カァーンにちは」


脊髄反射不可避の初手王手。圧巻。あっカァーン。


エジプト戦歴2戦2敗



その"同郷"は私の1つ年上の女性。

国立大に通っており
高校の世界史の教師を志しているという。

休学をしてヨーロッパを横断。
そのままモロッコからアフリカに入ってエジプトに辿り着いたようだった。

そんな彼女が旅する理由は、

歴史を自分の目で見た世界を通して伝えたい。

というなんとも素晴らしい動機。

私のマニフェスト

“10代のうちにアフリカに!”


とは純度が違う。

そんな彼女と共に数日旅路を共にし、

私はイタリアへ。彼女はエチオピアへと散った。

朝起きたら枕の下で寝ているというアーティスティックな女性だった。 



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ここからは後書きなのだが

むしろここからがサビだ。

連敗エジプト旅行から数年後。

枕下ガールと久しぶりに連絡をとっていた。

勿論 無料通信アプリケーション“LINE”でだ。

留年 “もう日本?”

枕 “うん”

留年 “大学は順調?”

枕 “あー大学やめた”

留年 “え、世界史の先生は?”

枕 “芸人になる”


うむ。

は?  だ。

しかしだ、
人間誰しも将来の夢なんてコロコロ変わる

私もスーパーマン、水泳選手、外交官を経て
今の留年コーヒーに辿り着いたし

この先も変わるだろう。

彼女だってそうだ。

紳士たる者、女性に野暮な質問はしない。

“えーなんでー?”

さりげないジャブを打つ。

ジャブといっても実際にリングに上がり枕下ガールを殴ったわけではないので安心して欲しい。


しかし私は、彼女のカウンターに
失神を禁じ得なかった。失禁した。

カウンターは以下の通りだ。

タンザニアで
ナオトインティライミと会い、

"君は頭のネジが17本くらい足りないよね。日本にこんな21歳の女の子いないでしょ!
君が伝えたいことを伝えるために教師になるのもいいと思うし、君に教えられる生徒は幸せだなって思う。
でも発信する場って一つじゃないし、お笑いやってみたらどう?"

てきな御言葉をいただき

帰国後大学を辞めて
上京し養成所に入った。

本人談


身体中のド肝というド肝を抜かれた。

人生とは分からないものだ。


枕の下で寝るのはキュビズム的なアートかなにかと
理解していた私がバカだった。

早計だった。ボケだった。


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この後書きの後書き。

芸人宣言から数年後の彼女は

芸人を辞めて

マザーテレサを目指しているそうだ。

茨の道を進む者は少なくない。


P.S.

彼女の夢が変わるたびにこの後書きは更新される。

一人の人生を描き続ける後書きなんてとてもアートじゃん?

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次回はイタリア編

ついに本場のエスプレッソとご対面。

“イタリアでボナセーラ”

乞うご期待


本日も左脳からあなたへ 愛を込めて


Powerd by 留年コーヒー

まじで終

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