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ある音楽プロデューサーの話を聞いて泣いた

蔦屋好位置さんという方がいる。僕の大好きな音楽プロデューサーの1人だ。

今では数々の有名ミュージャンの音楽制作をしている超有名なプロデューサーなんだけど、その方がまだ売れる前の逸話が大好きなのでnoteに書いておく。

蔦屋さんは元々バンド活動をしていたが、売れなくて解散した。そこから音楽プロデューサーになった。しかし良い曲があるからとレコード会社に持ち込んでも「売れない」と否定され続けて門前払い。

有名なアーティストの新曲ってコンペで募集して100曲ぐらい集まった中から1曲選ぶみたいなことがよくあるらしい。しかし蔦屋さんのその曲は全然通らない。何回コンペに出しても1回も通らなかったそうだ。そんな日々が続いて貯金の残高は2000円しかなくなった。

その頃に、またアーティストが新曲を出すということで曲を募集していたので、その曲をまたコンペに出した。

すると、そのアーティストに「この曲を10年待ってた」と言われ

コンペに通った。

そしてある日、蔦屋さんが渋谷のスクランブル交差点を歩いていると、自分の作ったその曲が街中にぶわーっと流れてきた。

蔦屋さんはそれを聞きながら、泣きながらスクランブル交差点を渡ったそうだ。

その曲がYUKIの「JOY」という曲。

それから蔦屋さんは8曲連続YUKIの曲を作曲することになる。「長い夢」「ドラマチック」「歓びの種」「メランコリニスタ」「ふがいないや」「星屑サンセット」「ビスケット」「ワンダーライン」今でもYUKIの代表曲であり続ける曲ばかりだ。

YUKIがソロとして成功し始めたものも「JOY」から

蔦屋さんの人生を救ったのも「JOY」

自分の大好きな曲にこんな裏話が秘められていたことを知ったときは本当に感動した。

最近この話に続きがあることを知った。JOYが通ったコンペに曲を出していた有名なアーティストがもう1人いたのだ。

その人物はサカナクションの山口一郎さん。サカナクションの「ワード」という曲はYUKIに歌われることを考えて書いた曲なのだそうだ。

このことを魚図鑑で読んでから、僕の中で地味でパッとしない曲という「ワード」のイメージが激変した。

それから何度もこの曲を聴くようになった。もしもこの曲がYUKIに歌われていたらどんな風だったろう。でもこの曲が通っていたらYUKIのJOYがこの世に生まれていなかったと思うと通らなくてよかったとか思ったり。

こんな風に何か自分の中でストーリーが出来上がると、同じ曲でも全然違って聴こえてくるから音楽って不思議で楽しい。

#エッセイ #音楽

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