混乱している中に見える幸福感とは
アロハでございます。
先週から今週から最近何だか沢山のことが起きて
戸惑い、不安、混乱。
そんな気持ちでいます。
奥さんが奄美へイエナプラン立ち上げのための
勉強に行って、2週間ほど。
行った初日は何だかものすごく寂しさを感じたことを思い出します。こうやって離れ離れになるのは度々ある。しかし、いつ帰るのか分からないまんまという心境というのは、はじめてだったのでしょう。
そしてそれも慣れるものですね。次男と2人の生活はそれはそれで自由で楽しんでいます。
そして繋がろうと思えば直ぐにLINEなどで繋がるし。
そしてその中で妻の胸のしこりが悪化してるのではないかという報告を受け、えっまてよ、妻がいなくなるのではないか!?というえもしれない不安が押し寄せて来ました。
妻も妻で奄美の生活に慣れずそしてその不安もあり、落ち込む数日、、、
私の中でも色んな思いがぐるぐる周る。
生きることと死ぬこと。
私の中でこの歳まで生きてこれば
色んな身近な人の死を見てきている。
しかし、これほどまでに自分の中で近しい存在が居なくなるということを感じているのは、はじめての感覚でなかろうか。
1人になる覚悟をする。
ぐるぐるぐるぐる思いが回りながら。
その中で奄美で良いお医者さんを見つけたようで、そこから奥さんは食事を変え、幸いに胸のしこりの方も大したことはないらしく(分からないが)奄美の環境にも慣れ始めメキメキ元気を取り戻している。
心身の健康とは如何に。
彼女は以前から、
存在を残せればいいといっていた。
私がここにこうしていて未来の子どもたちのためにより良い未来をつくっていくこと。
そしていざ、そうなってみて彼女自身色んなことを考えたのだろう。
自分とものすごく向き合っている。
そんなことを言っている彼女は、
また以前のように、いやそれ以上に元気に
イキイキとしているように見える。
それだけでもお腹いっぱいの日々の中、私自身の仕事のことや膝の痛みのこと、そして野球をやっている長男の肘を壊したことなど、、、
何とも言えない重たい気分。
いつもやっていたルーティンの
アファメーションもやらなくなり、
何だか色んなことにやる気が起きず、
日々を過ごしていた。
長男に何を伝えられるのだろう。
寄り添って、ただ聞いてあげてと妻に言われる。
そして長男と話した妻は、彼はゴールから今を見ている。だから大丈夫だよと言われる。自分よりもよほど妻も長男も気丈である。
目標も持っている。
生きる使命を持っている人は強いのか。
そんなことを感じている。
さて、毎度のことのように私はどうしていきたいのか。そんなことを自問しては分からず眠り、そして起きては眠る。
奥さんが言っていた。
アウシュビッツの中の人たちもあの極限の中で
夕日をみんなで見た瞬間だけは
何よりも幸せを感じたというような事を。
人生においても色んなことが起こるけれども
態度や有り様だけは自分で決められると。
2拠点生活の先に何がしたいのか。
誰か泣きたい人が
泣けられる場所をつくりたい。
そんなセンチメンタルな気分に
なりながらこの文を書いております。
こんな報告をして誰のためになるのだろうか?
もしここまでお読み頂いた方。
有難う御座います。
なんかつらつらと書き連ねてみました。
その混乱の中でも起こっていることは、
実はシンプルであるし。
寂しさや怒りや不安とか色々な感情があるけれども、何だか今、私は幸福感を感じながら過ごしています。
湿ったような心なんだけれども。
その中に
義母の作ってくれたおかずを頂けることであったり(2日目にしてようやくそれを真に感じられた)
次男と生命のことについて話せたり、奥さんや長男の心の強さであったり、困った時の大きな大局で見られる人の存在のありがたさであったり、出来ないものは出来ない(膝の痛みによる)ということを伝えることの大切さであったり。
そんな沢山のあるものに対して気づけた幸福感を感じているところでございます。
ポジティブにいこう!
読んだ人が前向きな気分になれるような
そんなテーマでこのnoteを書こうと何となく思っていますが、こんな複雑な思いをさらけ出せるのはこれまた皆様のお陰であると思い、、、有難うございます。
良い日をお過ごしください✨
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