第39話 夜の世界
「おはよございます」
夜の世界では、夜出勤しても挨拶は、おはようございますというのをテレビで見たことがあったので、その通りに挨拶して店に入っていった。
「おはよう、早速だけど、手伝ってくれる?」
店の中は、テーブルが大きく繋がり、昨日の残骸が散乱していた。
「昨日はね大きな宴会があったのよ、ボーイがいないと大変だったのよ、良かったわみっちゃんが来てくれて」
その店はママさんが綺麗で商売上手なので、大きな会社や、公務員の上の人と仲良くなり、大人数で入れるというのもあって、会社の飲み会や接待などに使われていたのである。
ママさんと2人でテーブルを通常の形に並べかえ、店中の掃除し、基本のセットを教えてもらい店を開ける準備をした。
「おはよう」
「おばちゃん、おはよう」
(えっ? おばちゃん?)
みつおはびっくりした。
立派な綺麗なお店なのに、60歳くらいのおばあちゃんが出勤してきたからだ。
「みっちゃん、紹介するわね、うちの店の料理担当のおばちゃんよ、キッチンのことはおばちゃんに聞いてね」
「あ、はじめまして、よろしくお願いします」
内心ホッとした。
通常は19時出勤で、料理のおばちゃんが19時半、他のホステスが20時に出勤してくるらしい。
おばちゃんはいそいそとキッチンで準備に取り掛かった。
みつおは、毎日やるトイレそうじと、テーブル、カウンターを拭いて、冷蔵庫の中のビールの在庫を調べることを教えてもらいながらやっていた。
「おはようございます」
ホステスが出勤してきた。
「おはようございます、今日から入りました、みつおです。よろしくお願いします」
先ほどのおばちゃんじゃないがみつおより10歳は上だと思われるホステスさんだった。
「おはようございます」
次々とホステスが出勤してくるのだが…
みつおが期待していた、若くて可愛いホステスさんはいなかった。
そうなのだ、ここはある程度落ち着いた部長さんや、社長、会長さんの常連の店なので、若い子ではなく、落ち着いて話ができるホステスばかりだったのだ。
ま、かえってみつおには好都合だった。
仕事として割り切って働けるからだ。
下手に若い子がいて、恋してしまったら仕事どころじゃなくなるかもしれない。
初めての水商売だったが、みつおは楽しかった。
毎日、スナックにタダで遊びにきている感じだったからだ。
自衛隊を辞めてからは、飲み歩く暇も金も無かったが、自衛隊のころは毎週休み前には、いろんな店を飲み歩いていたのだ。
金を出して飲み歩くのではなく、金をもらいながら飲み歩いている気分だった。
もちろん、ボーイは酒を飲む仕事ではないが、それでも売り上げのためにホステスがボーイの分のビールをお客さんに出させたりしていたので、乾杯で1杯は飲むのだった。
残ったビールは、裏のキッチンのおばちゃんにおすそ分けしていた。
おばちゃんは、けっこう酒好きで、毎日キッチンドリンクをしていた。
そして、おばちゃんと仲良くなると、ママさんに隠れて、一緒にキッチンドリンクをするようになったのだった。
「俺も若い頃はボーイをした事があるんだぞ、その頃にある人に出会い…」
宴会で残ったキープボトルを飲みに1人でくる宴会の幹事の人はカウンターに指定された。
そこで、ボーイにビールをおごり、自分の昔の話をするのだが…
来るたびに同じ話をするので、暗記できるくらい覚えているのだが、仕事なので初めてののように聞くしか無かった。
男は過去の栄光は話したがる生き物なのである。
店で働くうちに、人間像が見えるようになっていった。
その中でも、みつおがびっくりしたのは、女という生き物だった。
ボーイをしていると、ホステスの裏側が見えてくる。
あんなに愛嬌が良かったホステスさんが、
「ちょっと失礼します」
といって席を離れ、キッチンに入ってくるなり、
「あ〜、疲れる、あのハゲオヤジ、ウザいんだよ」
と、タバコを吸いながら、おばちゃんとみつおに愚痴を言うのだ。
仕事のためなら、女優になるのが、女という生き物なのだ。
しかし…
女優以上だと思う事件が勃発したのだった。
「もしもし〜、みっちゃんごめん、後5分で着くんだけどさ、悪いけどタイムカード押しといてくれない?」
「あ、はい分かりました」
「もしもし〜、みっちゃん今日ね具合が悪いから休むって、ママに言っといて」
「はい、風邪ですか?」
「う、うん、風邪にしといて(笑)」
「あ〜、はい(笑)」
みつおは皆んなからみっちゃんと呼ばれ可愛いがられていた。
というか、いいように使われていたに違いないがみつおはそれでも楽しかった。
ママさんに言いにくいことは、みつおを使ってくるのである。
みつおは争いが嫌いなので、上手く誤魔化して、当たり障りないように振舞っていた。
「みっちゃんごめん、あのお客さんが怒ってるからさ、先にこの曲をかけてくれない?」
「オッケー」
「みっちゃんお願いがあるんだけどさ、高山部長が来たら私を指名してくれない?」
「はいはい(笑)」
ホステスと、そのホステスを目当てくるお客さんの姿を見るのは楽しかった。
みつおもホステスに騙されて、女の子目当てで飲み歩いていたので、男の気持ちは分かる。
しかし、裏側から見ていると、男が可哀想になってくる。
思わせぶりなホステスに騙されて、月に何十万も使うお客様もいるのだ。
自分の事は棚に上げて、男って馬鹿だなと思うのだった。
しかし、いろんな男を相手にしていると時には正念場を迎えることもある。
「どうしよう、今日は玉城さんと同伴してきたのに、高山部長も来るって連絡あったのよ」
ショウコは焦っていた。
ショウコは年のわりには若く見え、けっこう人気のホステスである。
同伴とは、お店が始まる前に食事に付き合い、出勤の時に一緒に店に入り、そのお客様に着いて飲む事ができるのだ。
高級なクラブだと、同伴した分だけその手当てがもらえたり、指名料をもらえたりするのだが、この店にはそんなシステムはない。
しかし、ママの顔色を伺うことで、給料に影響してくるのである。
他の自分が嫌なお客様につかされるよりは、気楽で楽しい人につきたいから、という理由もあった。
ショウコが同伴した玉城さんは、冗談好きで面白く、他のホステスにも人気のお客様であった。
玉城さんもショウコを目当てに、週に3回も通う常連のお客様で、ショウコがいなくても、他のホステスと仲良く飲んで楽しく帰っていく、店側としては、いいお客様だった。
一方、高山部長は、同伴こそはしないが、必ず遅く来て、ショウコと一緒に帰っていくのだった。
金使いはあまり良くない。
いつもカウンターで1人で静かに飲んで、ショウコが終わるのを待っていたのである。
きっと本命に違いないとみつおは思っていた。
お店ではお金をあまり使わずに、帰ってから2人の時間を大切にしているのだろうと思っていたのだ。
カウンターで、みつおを相手におしゃべりをし、ビールを出して一緒に飲みながら、時にはみつおに歌を歌わせていたので、みつおは高山部長が来ると、また飲んで歌えると思って喜んでいた。
その日もカウンターに座ってビールを注文した。
「今日は早いですね」
「今日は仕事が早く終わってね、どこも行くところがないから、ここに来たよ
おぅ、お前も飲め、グラス持ってこいよ」
「いらっしゃい、ちょっと待っててね」
ショウコはそう声を掛けて、キッチンに入ってきた。
「どうしよう」
入ってくるなり、慌てふためいている。
いつもは遅く来るので、早い時間にお金を使ってくれる玉城さんと同伴したのである。
もちろん、玉城さんの方は自分が本命と思っているので、同伴したからお店ではベッタリとショウコがついてくれると思っている。
他のお客様なら、すぐにチェンジしてもらって高山部長の隣にくるのだが、今日はそうはいかない。
玉城さんが早く帰ってくれるのを祈るしかなかった。
「玉城さん、今日はゆっくりしていくって言ってるのよ、あの人ヤキモチ焼きだから、私が外して他のお客様につくと怒るのよ」
絶対絶命である。
幾ら何でも、高山部長を何時間も待たせるわけにはいかない。
「みっちゃん何とか高山さんと仲良くして、いっぱい歌でも歌ってて、カラオケ代は私が出すからさ」
そう言って、ショウコはキッチンからカウンターに入ってきて、カウンター越しに高山部長と話をした。
「高山さんゴメンね、今日は忙しいからゆっくりしてって、私がカラオケ代出すから、みっちゃんと歌ってて」
そう言って、ショウコはみつおにカラオケ代3000円を渡して、またキッチンに入り、そこから店の中の玉城さんのテーブルに向かったのだった。
玉城さんに怪しまれないように、あえてカウンター越しに話をしたのだ。
女はずる賢い。イチイチ巧妙である。
みつおは、何とか高山部長を退屈させないように、高山部長の武勇伝などを聞き出していた。
男は、自分の自慢話を聞いてもらうのが、最高の酒の肴なのだ。
しかし…
いっこうに帰ろうとしない玉城さん
だんだんと焦れてくる高山部長
ショウコ以外のホステスが座ると怒るので、いつも1人でカウンターで飲んでいるのだが、あまりにも長すぎた。
みつおも店が忙しくなると、氷やお酒を出したり、料理を出したり忙しくなり、高山部長は放置状態になっていた。
ようやく店の終わりの時間が間近になってきた。
しかし、玉城さんは最後まで帰ろうとしない。
きっと帰りも一緒に帰ろうと思っているのだろう。
同伴をして、Openから閉店までいたら、どれだけ金を使ったのだろう。
それを思うと気の毒になってきた。
最後まで期待して、いざ帰るときになると、女は別の本命の男の元へ行くのである。
所詮、金づるの中で一番気に入られているに過ぎないのだ。
「あ〜、どうしよう、玉城さんが一緒に帰ろうって言うのよ、何で今日高山さんも来たのかな、土曜日に来るって電話あったから、今日玉城さんと同伴したのに…」
裏のキッチンではショウコが焦っている。
みつおとおばちゃんはどうしようもなく、見守るしかない。
「1回玉城さんと出て、具合悪いって言って別れたら? その間、私が高山さんを引き止めておくさ、また後でお店に来たらいいんじゃないの?」
おばちゃんは、何とか協力しようとしていた。
玉城さんが会計を済ませ店を出て行く。
その後テーブルを片付け、仕事が終わったホステスが次々と出ていった。
リリリリリン
店は閉店の時間なのに電話が鳴った。
「はい、ありがとうございます五番街です」
「あ、もしもし、みっちゃん?ショウコだけど、高山さんまだいる?」
「あ、はい」
「このまま帰るからさ、タイムカード押しといてくれない? 高山さんには何とか誤魔化しといて
明日適当に理由考えて電話するから」
「えっ? あ、はい分かりました」
みつおは頭が混乱した。
高山部長が本命じゃなかったのか?
お店のお客様は全て帰っていった。
高山部長を残して…
「みっちゃん、ショウコはいる?」
「え?、あそういえばどこ行ったんですかね?
さっきまで片付けていたのに…」
みつおは必死でシラをきるのが精一杯だった。
ホステスもほとんど帰り、みつおとおばちゃんとママさんだけになっていた。
「あら、どうしたの?」
ママがカウンターに来て高山部長に話しかけた。
「ショウコさんがいなくなってるんですよ」
みつおがカウンター越しに、わざとらしく答える。
「あら、ゴメンなさい、伝えるのを忘れてたわ、ショウコさんは気分が悪くなって、さっき息子が車で迎えにきて帰ったわよ
高山さん楽しそうだったから、そっとしていくから、後から伝えてって言われてたのに、すっかり忘れてたわ、ごめんなさいね」
とっさに勘が働いたママさんが上手に合わせて言い訳をしてくれた。
「なんだ、だったら一声掛けてくれたらいいのに、しょうがないな」
高山部長は腑に落ちない感じだったが、紳士的に振舞って帰っていった。
「ふー、びっくりした」
みつおは肩の荷がおりた。
「どういうことなの? ショウコちゃんの彼氏は高山部長じゃなかったの?」
ママがびっくりしていた。
「ですよね、僕もそう思ってたんですけど、さっき玉城さんと帰るって電話あったんですよ」
ママさんも騙されていたのである。
後日、追求すると、玉城さんと本気で付き合っているのを白状したのだった。
今までの振る舞いは全て芝居だったことになる。
女は恐ろしい
と、みつおは思ったのだった。
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