第43話 転機
「いらっしゃい…ませ」
その日はヒマだったので、片付けを終わらせて2時ちょうどに閉めるつもりだった。
閉店は2時なのだが、お客様がいっぱいのときは、なかなか帰ってくれないので、3時、4時は当たり前だった。
みつおは残業代よりも早く帰りたかった。
早く終われば、飲みに行ける店があるのだ。
いつの間にか、真夜中に飲み歩くようになっていたのである。
今日はどこに行こうかと考えている矢先だった。
もう閉めるつもりで外の看板も灯りを消していたのだが…
「おーい、マーマーいるー?」
ベロンベロンに酔っ払って入ってきたのは、ママさん目当ての常連さんである。
ある大手の電気メーカーの会長である。
いつもどこかの会社から接待されると、その後に五番街に来るのがお決まりだった。
「あーら、社長、また酔っ払ってきたの?たまには早い時間にきてよ」
「ぜーんぜん酔っ払ってないよ、何を言っとるか君は」
いつものお決まり会話が始まった。
みつおは諦めて準備を始める。
キープボトル棚から社長のキープを探して、氷と水を用意する。
絶対に食べないがお決まりのチャームも用意する。
「食べないから出さなくていいよ」
と言うのだが、
「大丈夫よ私が食べるから出してちょうだい、それとソーメンチャンプルーも出して」
料理のおばちゃんは1時には帰るので、その後はみつおが料理をするのだった。
簡単な料理をおばちゃんに教えてもらっているので、慣れたものだった。
たまにおばちゃんが帰った後、急に忙しくなるときは半端じゃないほど忙しかった。
「みっちゃん、氷!」
「はーい」
「みっちゃん、ニューボトルお願い」
「はーい」
「みっちゃん、スーチカーとイカ天」
「はーい」
「みっちゃん、カラオケが止まってるよ」
「はーい」
カウンターとキッチンを一人でやるのは大変だった。
当時のカラオケは、レーザーディスクである。
しかも旧型だったので、1曲、1曲、ディスクを手で換えないといけなかったのである。
だから、カラオケ1曲歌っている間に料理をしなければならない。
もちろん仕込みからすると無理なので、最初の1曲を歌っている間に食材を準備し、フライパンを用意して、次のカラオケを入れ替えた時にフライパンでさっと炒める。
とりあえず火を止めて、次のカラオケを入れ替えてから更に盛り付けるのである。
水と氷は、いっぱいにしてカウンターに置いておけばホステスが勝手に取りにきてくれるのだった。
その日はヒマなので、ゆっくりと料理をしてソーメンチャンプルを出した。
「何ー?注文してないぞ俺は、今接待で沢山食べてきたのに食べられるわけないだろ」
と迫力のない怒りをぶつけられても、ぜんぜん平気だった。
「社長、何言ってらっしゃるんですか、これは私の夕ご飯よ、忙しくて何も食べられなかったから、今から食べるのよ、みっちゃんも一緒に食べよう」
「何でお前らのご飯を俺が出すんだ」
「あら、社長が遅かったからでしょもっと早く来てくれたら良かったのに、ずっと待ってたのよ」
「今日は来ると言ってないだろ」
「社長、そんなこと言うの?接待されたら帰りはここって決まってるでしょ」
「何で接待されるのをママが知ってるの?」
「私と社長の間でしょ、そんなの分かるわよ」
「いや、君はおかしなことを言ってるよ」
「おかしいのは、遅くきた社長でしょ、細かいことはいいから飲みましょう、みっちゃんカラオケいれて、裕次郎がいいな」
「はーい」
いつもの茶番劇が始まった。
この社長が来ると帰れないのは覚悟の上だった。
他のホステスを返して、ママさんとみつおと社長で朝まで飲むのである。
朝まで飲むのがお決まりではないが、ニューボトルを出すまで飲むので結局は朝までかかるのだった。
それが分かっているので、どうにかボトルのお酒を減らすようにみつおも協力していた。
いつもは仕事中に飲んでいるのを見つかると怒られるのだが、この時は他に誰もいないので、逆にお酒を勧めてくるのだった。
「ねぇ、うちのみっちゃんにもお酒を飲ませていい?」
「おぉ、飲め飲め、お酒でいいのか?ビールでもいいぞ」
他のお客様ならビールをいただくのだが、狙いはニューボトルなので
「いえ、社長と同じウイスキーが飲みたいです」
そう言って、かなり強めに作って乾杯するのだった。
しかし、なかなかボトルの中身は減らなかった。
今日も朝まで粘るしかない。
毎回同じだが、ようやくニューボトルを出した瞬間に
「あら、もうこんな時間、社長もう朝になっちゃいましたよ、急いで帰らなきゃ奥様がお待ちかねよ」
ニューボトルを出すとすぐにお会計をして帰すので、いつもキープボトルは満タンなのである。
だから、まるまる1本を空けないと帰れないので、その社長がくると朝までは確定であった。
ようやく4時過ぎに店を閉めても、空いている店は少なかった。
そんな日はとっとと帰ればいいのだが、そんな日ほど飲みに行きたくなってしまうので、唯一6時まで空いている店に行くのだった。
たまにはマイケルのいるマハラジャに行きたかったが、遅い日が続くとなかなか行くチャンスがなかった。
マハラジャは5時までなので、4時過ぎに行くには遅すぎた。
しかし、それもすぐに状況が変わった。
マイケルが店を変わったのだ。
小さなディスコではあるが、そこのオーナーにヘッドハンティングされて、バイトではなく、高額な月給で契約したのである。
その店は、朝方7時くらいまで空いていることもあった。
小さい店だがいつも満員である。
しかし、みつおが来ると特等席を空けてくれた。その席はDJブースの真ん前で、自分の彼女とか仲のいい友人を座らせるためのキープ席なのだ。
その店は完全にマイケルに任されていた。
そして、高給なのも納得した。
そこに来ているほとんどの客はマイケルのファンなのである。
マハラジャで人気のDJだったマイケルが店を移ったので、そのファンも一緒にこの店の常連になったのである。
つまり、この店の客は、ほぼマイケルの客ということになるのだ。
「マイケル、こんなにファンがいるんだったら自分で店出した方がいいんじゃないの?」
普通にそう思うのだが
「みっちゃん、ありがとう!でも俺はオーナーになりたいんじゃなくて、DJやってるのが好きなんたよ、みんなが盛り上がってくれたら最高! DJが楽しいからいいよ」
欲のないマイケルだった。
そんな彼だから沢山のファンがいるのだろう。
みつおはどうしても、お金儲けのことを考えてしまうのだった。
「マイケルさん、今日もお願いします」
その店には、ファンばかりではなく、マイケルからDJを習うために通っている人も多かった。
気さくなマイケルは、ただで教えていたのである。
その店は大きなディスコとは違い、ミュージックバーだったので、入場料とかは払わなくても入ることはできた。
ドリンクだけ注文すればいいのである。
だからみつおはほぼ毎日のように通っていた。
マイケルのファンの女の子が多いので、幼馴染だという特権を活かして、一人くらいはいい感じになる子がいるかもしれないと思ったが甘かった。
マイケルに会いにきているので、どんなに仲良くなっても、女子は全てマイケル狙いだったのである。
ま、それでもお喋りをするのは楽しかった。
高い金を払ってスナックに行かなくてもマイケルの店で一緒に飲んで踊って楽しい日々が続いたのだった。
毎日楽しい日々が続き、みつおはますます夜の世界にハマっていったのだった。
そんなみつおにある転機がおとずれた。
そしてみつおはある決心をしたのだった。