第49話 大工の世界
「アガーーーーっ」
初日からやらかしてしまった。
思いっきり振り下ろしたハンマーがみつおの左手の親指を直撃したのである。
「おいっ、みつお何やってるか、早く持ってこいっ」
従姉妹の旦那さんは普段はとても優しいのだが、現場に出ると人が変わったように厳しかった。
痛い親指を何とかカバーしながらようやく型枠を作って持っていった。
「はーぁ? これはさんぎが逆だな、こっちの面に付けないとどうやって使うか!」
「あっ、すみませんやり直します」
「もういいよ、俺がやるからお前はあそこのベニヤ板を4枚運んできて」
「すみません…」
初めての大工仕事で気張った分空回りしてしまった。
初日の夜、従姉妹の家で食事をして帰ることになった。
「はい、お疲れさん、大変だっただろ、続きそうか?」
ビールで乾杯しながら優しく話しかけてくれた。
職場とは全然違う顔である。
「みっちゃん大丈夫ね?夜の仕事してたから昼間の仕事は大変じゃないの?」
従姉妹も一緒にビールを飲みながら話しかけてきた。
「そうですね、太陽の下で仕事するのは久しぶりですからね」
「お前は自衛隊にいたからこれくらいの仕事は大丈夫だろ」
「あはは、自衛隊で大工仕事はしませんよ」
昼間の仕事をした後に飲むビールは最高だった。
夜の商売をしながら飲むビールとは一味違うことを初めて知ったのだった。
「明日からも頼むよ、今が一番忙しい時期だから」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「それから、給料日は毎月第二土曜日だからな」
「あ、そうなんですね、日にちではなく第二土曜日なんですね」
「そうそう、職人に給料を渡すと酒を飲みに行って次の日誰も来ないんだよ、だから平日ではなく休みの前の日じゃないとダメなんだ」
「えっ?そうなんですか?」
みつおはびっくりした。
飲みに行く気持ちよよく分かるのだが、それでも次の日の仕事を休むというのは理解できなかった。
夜の店で働いている時でも、飲み過ぎることはあった。沖縄には、朝までどころか昼までやっている飲み屋がいくらでもあるので、帰る頃には昼の2時というのはざらにあった。
それでも帰ってから3時間くらい寝て、二日酔いの状態で店に出勤するのだった。
確かに二日酔いで仕事はキツかったが、飲みに行く魅力にはかなわない。
キツい思いをしてでも飲みに行くというのは分かるのだが、それで仕事を休むというのは、みつおの中にはなかったのである。
それが、一人、二人ではなく全員が来ないというのは理解不能だった。
ま、大袈裟に言っているのだろうとその時は思っていた。
その従姉妹の夫婦は一戸建ての借家に住んでいた。
じつはその親方は、元々東京で仕事をしていたらしい。
去年沖縄に戻ってきてみつおの従姉妹と知り合い、最近結婚したばかりだったのである。
それで、みつおは今年の正月に初めて会ったのだが、酒の席で盛り上がり、仕事をさせてもらうことができたのである。
だからまだ立ち上げたばかりの小さな会社だが、信用があるらしく仕事はひっぱりダコで忙しかったので、みつおも呼ばれたのである。
猫の手を借りたいくらいの忙しさだが、猫よりはまだ役に立つだろうと思っていた。
みつおは高校を卒業してすぐに自衛隊に入ったので、一般社会の中で昼間の会社で働くのは初めてだった。
自衛隊の時は、よく
「シャバは厳しいよ」
と冗談で言われていたが、ここは快適な居心地だった。
昼間の仕事はキツかったが、周りの先輩も良くしてくれたので、過ごしやすかったのである。
親方の親戚ということもあるがそれだけではなかった。
実は、みつおの兄貴も働いていたらしいのだ。
すぐに辞めてしまったらしいが、従業員からは慕われていたらしい。
「お前のにーにーは凄かったよ、誰も言えない事を平気で上の会社の人に怒鳴りちらしていたからな、そのおかげでトイレと水道がすぐに仮設されたんだよ」
現場の最初の頃、仮設トイレ水道が間に合わないまま工事を始めたので、仕事をする人たちは近くのコンビニまで車でトイレに行くということをしていたらしく、ぶち切れたみつおの兄貴が親会社のお偉いさんに怒鳴り散らしたらしい。
「トイレも無い、仕事後の手や顔を洗う水道も無い、こんな現場で仕事できるか?お前らバカじゃねーのか?もっと働く人の事を考えろよ」
確かにその通りなのだが、親会社のお偉いさんに向かってのその口の聞き方が問題だった。
従姉妹の旦那の親方が呼ばれて説教されたらしいが、そのおかげで翌日にはすぐにトイレと水道が設置されたのことだった。
実は従業員の中には、中学のときから兄貴を知っている人もいて、兄貴の学生時代の武勇伝も酒の席で教えてくれたのだった。
みつおの兄貴は不良をまとめるリーダーだったらしく、喧嘩が強くて隣の中学にまで名前が知れ渡っていたのである。
「まさか、あのかずおにーさんと一緒に仕事するとは思っていなかったよ」
不良連中からは憧れの的だったようである。
みつおにはただのいい加減な兄貴にしか思えなかったが、外面がいいのである。
高校生の頃に街を歩いている時にはよくヤクザ風な人に呼び止められたものだった。
「おい、お前ちょっと来てみ」
見るからにヤバそうな強面の男である。
「あ、はい、」
逃げる事もできずに言われるままにその人所へ行くと
「お前、かずおーの弟だろ?」
「えっ?かずおにーにー知ってるんですか?」
「おー、お前の兄貴の同級生だよ、お前昔のかずおにそっくりだな、かずおは元気か?」
「あ、はい」
兄貴の友達だったのである。
ヤクザに呼ばれたみつおを待っていた友達は心配して
「みっちゃん大丈夫か?何だったの?」
「にーにーの友達みたい」
「はっ?お前の兄貴はヤクザなのか?」
「違うよ、不良だったらしいけどヤクザではないよ」
そんな事が、高校生の時に二、三度あったのだった。
しかし、従業員が教えてくれたような武勇伝は聞いたことがなかったのでびっくりだった。
無鉄砲ですぐに喧嘩してしまうのだが、それは仲間のことを思ってのことで、学生時代からそうだったらしい。
新しい側面の兄貴を知ったのだった。
そして初めての給料日
給料は仕事の後、従姉妹の家で集まって渡されるのだが、そこにはご馳走とビールが用意されていた。
親方の家でご馳走を食べビールを飲みながら一人一人に手渡されるのである。
夜の世界の給料とは違い、とても楽しい雰囲気で給料日だった。
「はい、みんなお疲れさん、かんぱーい」
親方が音頭をとって飲み始めた。
「いやぁ、今日は大変だったよ、給料日なのに残業かと思ったよ、無事に終わって良かった」
従業員のリーダー格である儀間さんが喋りはじめた。
現場では厳しいが酔うとかなりはしゃいで楽しいらしくて、みんなも酒の席ではからかったりして親しく話していた。
「おいみつお、お前はクラブで働いてたんだろ、その店は可愛い子いるのか?」
「いやぁ、うちの店は落ち着いた店で若い子もあまりいなかったですよ、それに高いし」
「そうか、じゃオヤジに連れていってもらわんと行けないな、あはは」
「おぉ、いいよ儀間さんが頑張ってうちの会社儲からせてくれたら」
親方の家でただ酒を飲んで楽しかったが、みんな給料日なので早く飲みに行きたそうな雰囲気だった。
「じゃ、そろそろ歌いに行こうか」
親方が声をあげた。
親方の行きつけの店に行くらしい。
みつおの従姉妹も一緒に行くことになった。
従姉妹は元々飲み屋で働いていたらしく、その店で出会って結婚までこじつけたのである。
その元いた店が行きつけの店だった。
松山の繁華街とは違い華やかではなかったが、
落ち着いて変に気取ることもなかったので、逆に心を許して飲める感じの店だった。
みつおがいた店がある繁華街では、みんなどうにか売り上げをあげようと必死なので気を張ってしまうのである。
その親方の行きつけの店で飲んだあと、解散してそれぞれの店へと向かうのだった。