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ずっと見られてる...

前回の万引き未遂事件の話の背景というか、僕の考え方の話を今回しようと思います。

みなさんは、ずっと見られてる気がする、ってことありますか?

あ、ホラーの話ではないです!笑

僕は、小さい頃から神様とか先祖的な何かから見張られているっていう感覚を持っているんですよね。

それは、幼少期からの教育のせいかもしれませんが、常に見張られている感覚があるのでゴミのポイ捨ても出来ないし、悪いことも出来ないんです。

ゴミをポイ捨てするだけで巡り巡って自分に悪いことが起こるんじゃないかっていう、一種の不安障害みたいなものですけどね。。。

神様とか、先祖が見守ってくれているとか、正直全く信じてはいないんですよ。
でも、なぜだかこういう見張られている感が心にあって、自分で自分を律してるんです。

なんでなのか、ちょっと冷静に考えてみました。

たぶん根底にあるのは、『怒られたくない』っていう意識なんだと思います。

幼少期の父親のDVだったり、怒鳴り声に対しての苦手意識が転じて、誰かに怒られることを極端に嫌ってしまってるんだと思うんです。

それと、母親に見放されたくないって気持ちも小さい頃はあったので、悪いことをして失望されることが怖かったんでしょうね。

僕の場合、その2つがこの”見張られてる感”の原因だと思います。

常に誰かに見張られているって、考えると恐ろしいですよね。
息苦しいし、生きづらい。

今でこそ、そこまで気にしなくなりました。
でも学生の頃は本当にこの気持が強かったんですよ。

まぁその抑圧された気持ちが爆発して、中学生の頃にやらかしてしまったんですけどね。。。

その”誰かに見張られている感”が幼少期からあって、そのせいで色々と我慢する子供になったんです。

良く言えば、忍耐力のある、悪く言えば、自分の意見を尊重せずに周りの空気ばかりを読んでしまう子供でした。

こんな意味のわからない感性でしたが、やっぱりこの頃の考え方とか感じたことも含めて、今の自分のルーツになっているんですよね。

それに、誰かに見張られているって表現をすると息苦しいですけど、『因果応報』を意識すると気持ちが楽になるんです。

悪い行いは自分に返ってくるけど、良い行いだってきっと自分に返ってくる。
そう考えると、誰のためでもなく自分のために頑張れたりするんです。

ということで、今日のまとめです。

誰かに見張られているような不思議な感覚だって、見方を変えれば味方になってくれます。

結局自分がどうしたいのか、どんな自分になりたいのか、そういう部分の意識を大切にしていくことが、すごく大切なことなんだって思います。

自分自身の罪悪感とか責任感とかが強いと、それが誰かに見張られているような錯覚につながりやすいんです。

正しく在りたいっていう在り方が出てるだけなので、むしろ良いことなんです!

そんな僕の価値観のお話でした。
今日もご拝読いただき、ありがとうございました!


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