兄弟喧嘩の行く末はいかに...
今日は幼少期からの兄弟喧嘩の話をしようと思います。
僕には、2つ上の兄がいるんですが、中学校入るくらいまでは、しょっちゅう喧嘩をしていました。
喧嘩の内容は本当にしょうもなくて、遊びの延長ですぐに喧嘩になったり、口喧嘩がエスカレートして喧嘩になったり、ほんと頻繁に喧嘩していました。
そんなありふれた日常だったんですが、一言物申したいから今回わざわざ執筆しちゃいました。
何かというと、喧嘩するとたいてい自分が殴られて終わっていたっていうところです。
そう、いつもなんです。
口喧嘩になっても、最初に手を上げるのは兄の方で、僕は殴られるんです。
そして、反撃をする前に母親が仲介に入るんですよ。
仲介ありがたいんですけど、いつも僕が殴られてからの仲介なんです。
時には顔面引っかき傷だらけになって、見るも無残なときもありました。
そんなときも、やはり僕が反撃をする前に仲介されるので、僕はいつも痛い思いをするだけだったんですよ。
・・・え?
僕が反撃するのが遅いだけ?
いやいや、違うんです。
これ以上我慢できない、よし、反撃だ!ってなった時に止められるんですよ。。
果たして、兄を守るための仲介なのか、僕がこれ以上殴られないための仲介なのか、母のみぞ知る。
そんなこんなで、僕は父親がいない状態でも、兄からも殴られる生活だったんですよ。
もちろん、喧嘩の力関係が兄のほうが上だっただけで、家庭内暴力とかいうものではないんですけどね。
なんか、いつも殴られて、反撃前に止められてたなぁって思いだしたら、すごく理不尽な気がして今回記事にしました(笑)
でも、反撃が成功しなくてよかったと今なら思います。
僕は、殴る側にはなりたくないですから。
あの父親を見てきたんです。
暴力をふるう側にまわるのは、自分の中の最大級のルール違反なので、子供の頃もそのボーダーを超えなかったの、偉いと自画自賛しておきます。
ちなみになんですが、僕と兄は結構よく遊んでいた方だと思うので、仲は良かったと思います。
と、念の為弁解しておきますね(笑)
ということで、今日のまとめです。
喧嘩になって、たとえいつも殴られて泣かされていたとしても、自分の中の譲れない部分をしっかり守れていれば、それは『負け』ではないんです。
喧嘩に強いことが正義じゃなくて、内に秘めた信念の大きさが正義でもなくて、あくまで結果として”喧嘩が起こった”という事実が残るだけです。
その勝敗も、結果も、経緯も、なにもかもただの日常の結果として受け流すことが重要だったりするので、何事も固執して考えないようにしましょう。
・・・自分に言い聞かせました。
気持ちの整理も出来たので、今日はこのへんで!
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