無償?有償?愛の話
今回は、”無償の愛”についてお話ししようと思います。
この”無償の愛”、世の中は美化しすぎな気がします。
もちろん尊いものですが、正直それを強要するのは違うと思っています。
僕の感覚で言うと、もはや”借金”のように感じています。
どういうことか説明しますね。
原則、無償の愛を受けて人は育っていくじゃないですか。
母親の愛情だったり、家族の愛情、友愛、いろんな”愛”を受けてるんです。
これ、「無償の愛を受けたんだから、次は無償の愛を返しなさいね」って言われてる気がするんですよね。
それが悪いことじゃないですけど、社会の風潮として、それを当たり前に考えてるのがちょっとしんどいなって思うんです。
だってそうじゃないですか?
もらったんだから返していくのが当たり前って、勝手に借金作られたみたいな気持ちなんです。
何度も言いますが、無償の愛自体は尊いものです。
それを否定しているわけじゃないです。
ただ、人によっては、その”当たり前”を押し付けられるのがしんどくなる人もいるんです。
世の中で、育児放棄が起きたり、DVが起こるのも、そういう感性によるものなんじゃないかなって思ってます。
僕自身は、無償の愛の刷り込みをばっちり受けてしまっているので、割と無償の愛に抵抗はないんですが、ふとした時に気になるんです。
この当たり前って、尊いことは率先してやりましょうっていう性善説前提なんですよ。
もう、考えれば考えるほど重たくって重たくって。。。
こんなことをこんな風に考えるのは偏屈すぎるかもしれないんですけどね。
そもそも当たり前の押し付けが嫌いなんです。
社会全体でそれをやられると、どんどん息苦しくなっていくんです。
(共感してくれる人がいるといいなぁ、、、)
ということで、本日のまとめです。
無償の愛は尊いですが、それを当たり前だと思うことは僕は違うと思うっていう話でした。
出来る人はすればいい。
出来ない人に、”当たり前”だと言って押し付けると取り返しのつかないことになるかもしれません。
それが、DVだったり育児放棄だったり、犯罪だったりに繋がるリスクがあると僕は思っています。
なので、”当たり前”の押し付けをせずに、多様性を認めていくことが必要だと思います。
自分自身を守りながらで大丈夫なので、自分の意見を”当たり前”だと思って強要しないように注意したいですね。
そんな、無償の愛=当たり前っていう偏見に対しての話でした。
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