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10年交流がなかった知人と、なぜか飲みに行くことに

中学校は引きこもっていたので、交流関係がほとんど残っていないたつやです。

今回は、そんな僕がほとんど交流がなかった中学校の知人と偶然再会し、飲みに行くことになった話をしようと思います。

あれは、たしか電器屋で買い物をしている時だったと思います。

特に意識もしていなかったんですが、お互い目が合って「あっ!」ってなったんですよ。
中学校の同級生とばったり出会ったんです。

そしたら向こうから話しかけてくれて、他愛もない話に花を咲かせたわけです。

(僕はほとんど質問に答えていただけのような気もしないでもないですが、、、笑)

僕としても別に嫌いな人ではなく、むしろ好意的に感じていた知人の一人だったので、気付いてくれたことや話しかけてくれたことが嬉しかったんです。

そんな中で、せっかくだからご飯とか飲みに行こうって誘ってくれたんですよ。

僕、感動。

中学の関係は、ほとんど途絶えてしまっていたと思っていたし、ごくごく一部の人としか交友が残っていなかったんです。

だから、こんな形で交友関係が一つ増えたことが嬉しかったし、向こうから次の話す機会を誘ってくれたことが嬉しかったんですよ。

もちろん、社交辞令かもと思いました。
ただ、それでもよかったんです。嬉しかったから。

でも、社交辞令じゃなかったんですよ!

偶然出会ってから間もなくして、その飲みの誘いは実現されました。

こんなことってあるんですね。

中学校時代はほとんど引きこもりだったので、僕という存在を覚えてくれていることが奇跡だと思うんです。

飲み会では、近況報告とか昔話で盛り上がりましたが、驚くことに僕が引きこもりでほとんど学校に行っていなかったことを覚えていなかったことにはビックリしました。

やっぱり当事者じゃないと、覚えていないものなんですね。
絶対悪目立ちしていると思っていたのに、それすらも自意識過剰だったようです(笑)

過去のことなんて、みんな自分中心で美化した記憶が残っている、当たり前のことかもしれませんね。

僕としては、イジメられた過去が他の人の記憶から消えているのは複雑な心境でした。

きっと、そんなもんなんでしょうね。割り切るしかなさそうです。

自分ばっかりが過去に囚われても意味がないんだなって思った出来事の一つでした。

ということで、本日のまとめです。

人は昔のことを正確に覚えていることはほとんどありません。

特に、自分に関係のないことについては、全く覚えていないことも多いです。

イジメられた人はずっと過去を引きずっているのに、イジメた側は忘れているなんてことも多いです。

だから過去を割り切ろう!って簡単に割り切れたら苦労はしないので、一つの視点として覚えておいてもらえたらと思います。

人間、考え方や捉え方、視点を変えれば人生180度変わることも多いです。

どんな自分も受け入れて、その中でどう捉えていくかを変えていくことが大事なんだと思います。

そんな考え方のきっかけになった、中学校時代の知人とのお話でした。

ご拝読いただき、ありがとうございました。

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