うえすぎくんの そういうところ Season.8 本当の優しさ編 『第106話 あなたは私の誇り』
第106話 あなたは私の誇り
「もしもし柚子葉ちゃん、助けて!」
名乗るなり挨拶するなりあるだろうに、コハクちゃんがシャワーから出てくるまでの時間との戦いと動揺からいきなり開口一番がこれとは、高校生にもなって恥ずかしい振る舞いだ。
「りゅうくん、落ち着いて! どうしたの? いまどこにいるの?」
声でわかってくれたことには感謝だけれど、いきなり助けを求められたら彼女の発言は至極当然。特に『今どこにいるの?』がわからなければどうしようもないのだから。
「自宅だよ!」
「ケガしたの? おばさまが病気なの? 大丈夫だから深呼吸して、今どんな状態なのか落ち着いて説明して」
「コハクちゃんがシャワー浴びてて……」
ものすごく早口で起こった現実を、いつもの様に素直にそのままバカ正直に話した。
受話器の向こうから深い溜息が聞こえた後、
「それで?」
とても冷ややかな声が返ってきた。
「それでって…… 」
「かわいい妹に『頑張ったらチューして』って言ってもらえてよかったじゃない? お兄ちゃん冥利に尽きるんじゃない?」
接続詞を上回る冷徹な呆れ声が再び返ってきたどころか、更なる追い打ち。
「一つ屋根の下に同じ歳の兄妹が一緒に住んでいるんだもの。それくらいあたって不思議じゃないんじゃない?」
あまりのショックに言葉が出ず、そのまま静かに受話器を置いて玄関に向かい靴を履いて、どこに行くとか何も考えられずにすっかり暗くなった道を学校とは反対の方向へ歩き出す。困った時にはいつも道を指し示してくれた柚子葉ちゃんから冷たく突き放され、彼女に極度な依存をしてきた自分にはどうしたらいいのか、どのような考え方をしたらいいのか全くわからない。放たれた風船みたいに宛てもなく空虚に歩き続け、河川敷から一段低いところにある人気のないベンチに腰をおろした。
空は雲に覆われているのか星や月も全く見えず周囲は真っ暗で、靴を脱ぎ体育座りをして膝を抱える。いつもならシャワーを浴びて妹と予習をし、心やすらかにベッドに入っているであろう時間。どれくらい歩いたのかわからないけれど薄っすらと掻いた汗が夜風に冷えて肌寒さを覚え、より密度の濃い体育座りへと姿勢を変えさせた。何を考えるでもなくただボーっと目の前にある黒色を見つめ、時間の歩みもわからない。
誰かの目に振れたなら絶望の淵で呆然としている様に見えるかもしれないけれど、視覚や聴覚が研ぎ澄まされる暗所というのは不思議なほどに悪い気分ではない。誰にも干渉されず、周りの気分の抑揚や顔色を気にしなくてもいいこの空間が今はただただ落ち着く。
今朝起きてから何を食べたのか、今日一日何があったのかなんてどうでもよくて、真っ暗に自分も溶けていきそうな不思議な気分。ふと同じような感覚を以前経験したことがあるような気がして記憶の糸を探ってみる。目を閉じて外界と同じように暗い脳内を歩いてみると、最初に浮かんだのはランドセルを背負って表情の分からない男の子の姿。何本もの電車が通り過ぎ、乗り降りする人は沢山いるのに身動き一つせず、ホームに設置されたベンチに座っている。
「こんにちは。どうしたの、誰かを待っているのかな?」
心配になって声を掛けてみても返事はなく、ただ一点を見つめて黙っている。
「こんなところにずっと座っているとお家の人が心配するから、帰った方が良いと思うよ」
一向に動く気配もなく、返事をするどころかこちらを見ようともしない。
「学校はどこ? お父さんやお母さんはお家に居ないの?」
心配で声を掛けているのではなく、声を掛けないと周りになんて思われるか気になってしまうから形式的にやっているだけだ。
返事が返ってこないからといって高校生が腹を立ててランドセルを背負った小学生に怒鳴ってしまっては体裁が悪い。取り繕って穏やかにもう一声掛けようとしたその時。男の子は無言で立ち上がり、ホーム下に敷いてある線路に向かって歩き出した。
「ちょっと待って、そっちに行ったら危ないよ!」
全く耳を貸そうともせず、周囲の大人たちも気にする様子はない。危機感を覚えて腕を掴もうとするも、霞のようにすり抜けてしまう。
「誰か! 子どもが線路に向かって歩いています、止めてください!」
駅員さんを含めこれだけ沢山の人が居るのに、誰一人自分の声に気付いていない。形振り構わずランドセルを掴もうとしたり立ちはだかってみたりいろいろやってみたけれど、全て自分の体をすり抜けてしまう。そんな自分の横からゆっくりとホームの際に向かって歩いていく男児の手を握って歩みを止めさせた長い黒髪の女の子、同級生だろうか。そういえば少年を見つけてからずっと、視界の端っこに写っていたような気がするこの少女もまた男児を気に掛けて監視していたのだろうか。手を握り何か声を掛けられたことでハッとした表情になり、その感触を確かめるように男の子は改札から出て行った。
これが幼い日の自分であると気づくのにそんなに時間は掛からず、それなのに彼女が発した言葉がどうしても思い出せない。とても重要な、大切な言葉だった気がするのに思い出せない!
「……り?」
「どこ……もり?」
「どこいくつもり?」
はっ!
体は指の先からつま先まで冷え切って感覚が殆どない状態なのに、両頬と唇が温かい。ゆっくりと目を開けると瞳から涙を流す大好きな顔がすぐ目の前にあった。彼女があの時の僕を救ってくれた、そして今も闇の中を探し当てて引き戻してくれた。
(いま、自分の言葉で自分の意志ではっきり言わなきゃ)
二人の位置は変わらない。
互いの息が触れあう距離でありったけの想いを静かに口にする。
「僕は弱くて臆病で、自慢できるものも無ければ誇れるものも何もない。でもね、世界中の誰よりもきっと君のことが一番好き。今までは怖くて言えなかったけれど、お願い……聞いて」
「守ってあげるなんて格好の良い約束はできないけれど、もう二度と逃げない。これからもいっぱい相談すると思うし逆に助けてもらっちゃうかもだけれど、自分自身から絶対に逃げない。残りの高校生活、大学、就職、そしてその先もずっとそばに居て欲しいんだ」
「だから、僕と結婚してください」
「……はい。 私もりゅうくんのそばに居たい。あなたは私の誇りなの」
後日談。
柚子葉ちゃんから折り返し連絡が入り、僕が家に居ないことをコハクちゃんが知る。彼女はすぐに香中家へ電話してたくみに状況説明後、時系列的に一歩早く捜索に出た柚子葉ちゃんの数分後に二人も手分けして探してくれていた。
一時間に一回は必ず道場に集合して情報の擦り合わせをしようという流れだったようで、二人が道場に集まった時には僕たちは既に道場に居た。何のことはない、もの凄く長い時間歩き自分と向き合っていたようで、時間的には三十分ほどのお散歩だったらしい。
驚くほど自然に誰にも責められず、仲良し四人組が慣れ親しむ場所に集まって談笑する風景。ほどなくしてそれぞれの家に帰ろうかと腰を上げ始める雰囲気の中、
「ねえ、コハク」
「ん?」
振り向きざまに柚子葉ちゃんが彼女の唇にキス。
「んん! な、なにごと?」
「ご褒美の先渡しよ、頑張ってね。女の子同士、これくらい普通でしょ?」
「んー。ん? んん? もしかしてそういう……こと?」
「うん。そういうこと」
笑顔でも わかってないのは たくみだけ
(お粗末さまでした。 あ、最終話じゃないですよ)
重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。